プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

坂英男

2014-11-26 22:26:18 | 日記
1966年

坂英男外野手(18)=176㌢、70㌔、右投げ右打ち、岐阜商

・坂は今春のセンバツに出場、シャープなバッティングと百㍍11秒5の俊足は各球団スカウトからマークされていた。典型的な中距離バッターだが、高校時代は練習試合も合わせてホームラン16本を記録した長打力も持ち合わせている。右の外野手不足に悩む南海だけに、即戦力として大いに期待されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池尻勉

2014-11-26 22:05:05 | 日記
1966年

大阪府堺市中モズの中モズ球場で、捕手の新人テストを行い、参加者15人のうちから、池尻勉(18)=島根付属農林高、168㌢、72㌔、右投げ右打ち=の入団を内定した。正式契約は今月末、藤江渉外課長が島根県八束郡宍道町西来町の同選手宅に出向いて行う。池尻選手は昨年の甲子園大会、島根県予選の2戦で敗れたため、中央には名を知られていないが、三年から捕手で4番と、チームの中心として活躍。その強肩、好打は県下で有名だった。高校三年間の通算打率は・320。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松室武

2014-11-26 21:29:08 | 日記
1967年

松室武外野手(23)=175㌢、76㌔、右投げ右打ち

・松室は昨年も南海が交渉権を獲得したが、このときは球団側に事前調査のミス(まだ三年)があり、コミッショナーから制裁を受けるという不手ぎわを演じた話題の選手。いわば二年越しの獲得ということになる。浪速高から近大、その後竜谷大に転校したが、関西六大学野球機構の規約で公式戦出場ができなかった。それだけに、野球部に所属しながら練習だけで、公式戦からは五年間も遠ざかっているが、春秋のオープン戦には出場し、パンチには定評がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩月宏之

2014-11-26 20:39:21 | 日記
1966年

中日は、七日午後一時から名古屋市中川区八島の球団事務所で、ノンプロ西濃運輸の岩月宏之投手(24)=183㌢、70㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。

同投手は享栄商三年のとき、夏の甲子園大会に出場した経験を持ち、そのときは三塁で五番を打っていたが、日大に進学した三十六年春から投手に転向、真っ向から勝負する本格派投手として活躍した。四十年に日本石油、四十一年に西濃運輸に入社。社会人野球の成績は15勝6敗。
なお同投手は第二回選択会議のリストにはあがっておらず、中日が無名の選手を獲得したのは、軟式野球中央精版、橋本投手につぎ二人目。

岩月投手の話 得意はカーブです。プロ野球はよく知っているが、プロでどこまでやれるかわからない。ただ一生懸命やるだけ。

西沢監督の話 きょう初めてみるので技術的なことはまったく知らないが、ずっと彼をみてきた江崎スコアラーの話によると、オーソドックスなフォームで真っ向から勝負する本格派投手らしい。球の威力はじゅうぶんあるんじゃないか。うちには本格派は山中ぐらいなので大いに期待している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊岡昭久

2014-11-26 20:20:36 | 日記
1981年ファーム成績
3試合・3打数0安打・三振1

1981年
・10月9日、大阪・ナンバの球団事務所にひっそりと姿をみせた男がいた・・・。豊岡昭久捕手、高校球界の名門・倉吉北から小西酒造へ、そして昨年、「第二の野村克也」を夢見て、テスト入団したルーキーだった。今シーズン、一軍のブルペン捕手を務めることもしばしばあった。それがわずか1年で・・・。「悔いはない。力がなかったばっかりに・・。だが、本当は悔しい。厳しい社会とは知っていましたが、もう少しやれると思っていたのに・・」豊岡は去った。倉吉市内の母のフトコロへ帰った。これから始まる第二の人生に青春を賭けるために・・・。悔しそうに秋雨の中へ消えていった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする