2打席連続ホーマー、5打点をあげるという、ペナント・レースの花形選手もどきの快進撃を見せた選手がいる。大洋の在原兵次選手である。去る五月十四日、東京スタジアムで行われた対大毎戦でのことである。三回長田から奪った3ラン、つづく五回にも土井から2ランとたてつづけにレフトスタンドに入る本塁打を飛ばした。しかもこの日好調の関根がトップで10割を打つという、絶好のチャンスを逃さずにいたということは、りっぱであったという他ないだろう。新聞に打力はイースタンで抜群だと評されていたが、「いや、そんなことはないですよ。あの日だってまぐれだったんです」と、大きな手を頭に上げながら、さかんにテレていた。連続ホーマーを放った選手とは、およそ見当もつかぬていねいな口調である。四月のはじめ右足首をネンザして、痛みはまだあるが、「この調子ならだいじょうぶ」といっている。在原といえば先週この欄でお知らせした。森代表の無登録によるミスで、入団三年目にもかかわらず、ことしの研修制度にかかり新人扱いにされた選手である。このことを在原にただせば、「何といいますか・・もうしょうがないといいますか。気にしていたらしょうがないでしょう。一々過ぎたことを気にしていたらプレーできませんから・・」と、至極、消極的である。森代表からは直接そのことについては何もいってこなかったというが、在原自身が割り切った考え方をしているのでこれでいいのかもしれないが・・・。川崎市を横切る多摩川の近くにある大洋の合宿は五月二十日が休日であった。在原は昭和11年千葉の長浦で生まれ、関東高校を出てノンプロに席をおいたが、それから36年大洋にテスト生として入団。彼の部室は南側に位置するので、普段なら快い光がさし込むのであるが、梅雨時の昨今とあって、うっとうしい曇り空がうらめしそうに見えるばかり。そんな天気だから、その日在原は自室に閉じこもっていた。「ウチにいるときは、テレビばかり見てるんです。映画はこむのであまり行かないです」あんがい出不精に見受けられる。だからレコードなんか大好きと力をこめていう。ラテンものか、ハワイアンがとくに好きだという。テレビを見たり、レコードを聞いてばかりいては、太ってしょうがないとばかりムックリ立ち上がって、つっかけを足に外へ出る。元来彼は肥満性らしい。合宿と隣り合っているグラウンドのほうへ行ったのだ。「こう雨ばかり降っちゃ、しょうがないですよ。グラウンドはすぐ痛むし、練習が思うようにできません」とは、なかなかたのもしいことをいう。前述の試合のあと、「インコースの球でしたね。あそこなら打てるんです」といっていたが、在原はカーブに弱い。自分自身もそれを認めていたが、「このごろでは、うまく打てるようになった・・・と思うのですがどうですかね」ハハハハと笑っているが、そういうところをみれば、その後の練習ぶりがうかがえる。「研修期間は、年がいっているので(ことし27才)50試合までです。やっぱりプロであるからにはがんばって、早く一軍に行きたいですね」と、笑ってかたずけたが、本心を、チラッとのぞかせている。つづけて、「監督さんが、どういうかわかりませんが・・・」「とにかくやれるまでやってみます」これまでの好調なペースが、くずれないかぎり、監督のお目がねにかなうぐらいに、りっぱに伸びてくる選手になるのではないか。
1976年
阪神・松下の株が急上昇中だ。2月28日の対阪急オープン戦、雨に流れたものの先発予定で期待のほどがうかがえる。工藤、長谷川、池内、松下、この若手から4人の中からだれか一人でも出て来ないことには、苦しい阪神投手陣、現在のところ横一線で並んでいる状態だが、「一番早く出て来るのは松下じゃないかな」という声が多い。スピードだけならだれにも負けないものを持っている。手元でグンと伸びる球は「コンスタントにあの球を投げられるなら一軍でも面白い存在」と久保コーチの折り紙付きだ。胸の張り、ダイナミックに投げ込むピッチングは、若さにあふれているといっていいだろう。右足を傷め、出遅れていた工藤より期待が集まるのは当然でもある。工藤と同期のプロ入り二年目。知名度では及ばないが今や若手のホープにのし上がった感じだ。「ボクらはオープン戦で認められないことには一軍に上げてもらえない。その意味でも阪急とのオープン戦には投げたかった。今年はオープン戦が少ないし、雨で2試合も流れた。またチャンスが少なくなりました。今度投げるときは、絶対にいいピッチングをしないと・・」数少ないチャンスをモノにしようと必死である。口をついて出るのは「工藤には負けたくない」だ。ハンサムな顔立ちから想像もできない。気性の激しさを持っている。ライバルに追いつけ追い越せーを合言葉にしてきた昨シーズン。そしてもう一つ松下を支えているものがある。三重県・津市出身、長いプロ野球の歴史でも郷里からいまだかつて1人もプロ選手は出ていない。「このまま野球をやめるわけにはいかんのです。とにかく一軍のマウンドを踏み、一人前にプロ選手として認めてもらえないことには・・。せめてボクだけでも津出身の選手だといわれるようになりたい」郷土の期待も担っているのである。「下半身がまだ割れているようだが、徐々に直していきます。なにもかもすぐによくなるものでもありません。切れのいい球はとにかく武器になるでしょう」久保コーチは、いかにも楽しみにしている。
阪神・松下の株が急上昇中だ。2月28日の対阪急オープン戦、雨に流れたものの先発予定で期待のほどがうかがえる。工藤、長谷川、池内、松下、この若手から4人の中からだれか一人でも出て来ないことには、苦しい阪神投手陣、現在のところ横一線で並んでいる状態だが、「一番早く出て来るのは松下じゃないかな」という声が多い。スピードだけならだれにも負けないものを持っている。手元でグンと伸びる球は「コンスタントにあの球を投げられるなら一軍でも面白い存在」と久保コーチの折り紙付きだ。胸の張り、ダイナミックに投げ込むピッチングは、若さにあふれているといっていいだろう。右足を傷め、出遅れていた工藤より期待が集まるのは当然でもある。工藤と同期のプロ入り二年目。知名度では及ばないが今や若手のホープにのし上がった感じだ。「ボクらはオープン戦で認められないことには一軍に上げてもらえない。その意味でも阪急とのオープン戦には投げたかった。今年はオープン戦が少ないし、雨で2試合も流れた。またチャンスが少なくなりました。今度投げるときは、絶対にいいピッチングをしないと・・」数少ないチャンスをモノにしようと必死である。口をついて出るのは「工藤には負けたくない」だ。ハンサムな顔立ちから想像もできない。気性の激しさを持っている。ライバルに追いつけ追い越せーを合言葉にしてきた昨シーズン。そしてもう一つ松下を支えているものがある。三重県・津市出身、長いプロ野球の歴史でも郷里からいまだかつて1人もプロ選手は出ていない。「このまま野球をやめるわけにはいかんのです。とにかく一軍のマウンドを踏み、一人前にプロ選手として認めてもらえないことには・・。せめてボクだけでも津出身の選手だといわれるようになりたい」郷土の期待も担っているのである。「下半身がまだ割れているようだが、徐々に直していきます。なにもかもすぐによくなるものでもありません。切れのいい球はとにかく武器になるでしょう」久保コーチは、いかにも楽しみにしている。
1964年
東映のイースタンで、ことし最大のホープとみられているのが五年目を迎える堺内野手だ。1メートル81、85キロという恵まれた体格の持ち主で、その強打はもっぱら評判だった。昨年秋のオープン戦に初めて一塁に起用され、注目を集めたが、伊東キャンプでも藤村コーチに何かとアドバイスされて目をつけられている。一時は腰を痛めて、いまだにときおり腰の骨がはずれることがあるというが、持前の腕っ節の強い振りは、藤村コーチの目にもすぐとまった。「ステップが小さすぎる。もっと踏み出して前でミートしてみろ」とティ・バッティングでは細かい注意を受けて感激している。ことしは、何としてでも第一線へ出場してみせると固い決意を抱いていた堺は、真剣な表情で練習に打ち込んでいるが、「藤村さんにいわれて、ステップを大きくし、前で当てるようにしてみたら、確か当りが一段と強くなりました。すぐに変えられるものではないでしょうが、少しづづでも改めて行きます」と喜々した話しぶり。専門ポジションは遊撃だが、オープン戦にも使われた一塁でも依然としてチャンスがあり、藤村コーチの知遇に応えられるかどうか。一つの見どころである。
東映のイースタンで、ことし最大のホープとみられているのが五年目を迎える堺内野手だ。1メートル81、85キロという恵まれた体格の持ち主で、その強打はもっぱら評判だった。昨年秋のオープン戦に初めて一塁に起用され、注目を集めたが、伊東キャンプでも藤村コーチに何かとアドバイスされて目をつけられている。一時は腰を痛めて、いまだにときおり腰の骨がはずれることがあるというが、持前の腕っ節の強い振りは、藤村コーチの目にもすぐとまった。「ステップが小さすぎる。もっと踏み出して前でミートしてみろ」とティ・バッティングでは細かい注意を受けて感激している。ことしは、何としてでも第一線へ出場してみせると固い決意を抱いていた堺は、真剣な表情で練習に打ち込んでいるが、「藤村さんにいわれて、ステップを大きくし、前で当てるようにしてみたら、確か当りが一段と強くなりました。すぐに変えられるものではないでしょうが、少しづづでも改めて行きます」と喜々した話しぶり。専門ポジションは遊撃だが、オープン戦にも使われた一塁でも依然としてチャンスがあり、藤村コーチの知遇に応えられるかどうか。一つの見どころである。
1968年
東映の合宿所無私寮の周辺はいま急ピッチで進んでいるオリンピック競技場建設工事でごった返している。絶え間なくダンプカーが疾走する駒沢道路で、きょうも安藤順を先頭にかけ足をつづけている東映の若手選手のなかで一番張り切っているのは高島だ。づんぐりとした体をしている高島にとっては、走るということは大変な苦痛に違いない。しかし、高島は弱音一つ吐かないで歯を食いしばって頑張っている。いつもならオフ・シーズンになると郷里に帰るのだが、昨年は、松谷、堺、山本恒らと一緒に合宿に残り、正月を返上して、トレーニングをつづけているのだ。「高島はハッスルしていますヨ。今シーズンはきっとやります。みてやってください」と、リーダー格の安藤順も、高島の精進ぶりをほめているほどだ。「ぼくもプロに入って、ことしで五年目になるんですからネ。いままでのようにベンチ・ウォーマーでくすぶっていたんじゃあ、球団からいつポイされるかわからないでしょう。ハッスルしなくちゃあ・・」九州男児らしいハッスル屋だ。かけ足がすむと合宿前の広島で体操したあと、約20㌔もある鉄アレーを使って、腕力をつけるトレーニングをはじめるのだ。十回、十五回までは、なんなく持ち上げていたが、二十回を数えるころになると、さすがの頑張り屋高島の顔も変り、呼吸も激しくなる。「もっと、頑張れ、もっといかなきゃ!」堺たちが声援を送る。とうとう三十回をオーバー。「フーム・・・。まだまだいけるが、あまり無理をして肩を痛めちゃあなんにもならないからこれでヤメだ。いっぺんに数多くやっても逆効果になりますからネ」額から流れ落ちる玉の汗を、手でぬぐいながら、高島はニッコリ笑った。その顔からことしこそという決意が、はっきりうかがえた。
東映の合宿所無私寮の周辺はいま急ピッチで進んでいるオリンピック競技場建設工事でごった返している。絶え間なくダンプカーが疾走する駒沢道路で、きょうも安藤順を先頭にかけ足をつづけている東映の若手選手のなかで一番張り切っているのは高島だ。づんぐりとした体をしている高島にとっては、走るということは大変な苦痛に違いない。しかし、高島は弱音一つ吐かないで歯を食いしばって頑張っている。いつもならオフ・シーズンになると郷里に帰るのだが、昨年は、松谷、堺、山本恒らと一緒に合宿に残り、正月を返上して、トレーニングをつづけているのだ。「高島はハッスルしていますヨ。今シーズンはきっとやります。みてやってください」と、リーダー格の安藤順も、高島の精進ぶりをほめているほどだ。「ぼくもプロに入って、ことしで五年目になるんですからネ。いままでのようにベンチ・ウォーマーでくすぶっていたんじゃあ、球団からいつポイされるかわからないでしょう。ハッスルしなくちゃあ・・」九州男児らしいハッスル屋だ。かけ足がすむと合宿前の広島で体操したあと、約20㌔もある鉄アレーを使って、腕力をつけるトレーニングをはじめるのだ。十回、十五回までは、なんなく持ち上げていたが、二十回を数えるころになると、さすがの頑張り屋高島の顔も変り、呼吸も激しくなる。「もっと、頑張れ、もっといかなきゃ!」堺たちが声援を送る。とうとう三十回をオーバー。「フーム・・・。まだまだいけるが、あまり無理をして肩を痛めちゃあなんにもならないからこれでヤメだ。いっぺんに数多くやっても逆効果になりますからネ」額から流れ落ちる玉の汗を、手でぬぐいながら、高島はニッコリ笑った。その顔からことしこそという決意が、はっきりうかがえた。
1965年
荒けずりだが、大型バッターの多い東映選手の中で、池沢や大杉に負けない強打を見せているのが、二年生の高島昭(神奈川大中退)。開幕当時の五番バッターから一時は四番、三番を転々、現在は七、六番の下位打者にさがっているが、その打ちっぷりはコンスタント。三十日現在、3割2分(25打数8安打)の高打率で、ホームラン1本を記録している。「内角球は強いが、まだまだ外角の変化球に甘さが多い」といわれるバッティングだが、腕っ節のほうは強い。第一号ホーマーは、大洋2回戦(十八日)で江尻の内角ストレートを左翼へ引っ張ったもの。しかし、単調なピッチングには強いが、横の変化の多いゆさぶりには極端に弱さを見せている。初登板の新治のスライダーに手を焼いて、三振にとられたのがいい証拠だ。神奈川大の同級生だった福富(国鉄)にいわせると、「高島昭はパンチがあるし、陽気な性格だからプロ向き」福富はこの高島昭を最大のライバルといっているが、一軍ベンチ入りは福富のほうが早かった。開幕から一軍入りした福富に比べると、高島昭はいまだにイースタン専門。しかし、一軍でいまだにパッとしない福富に比べれば、着実に腕を上げている高島昭のほうが、スタートは出遅れたものの、じっくり実力をつけるためには、賢明な?二軍落ちかも知れない。「焦らず、たっぷり練習を積んで、いまのうちに土台をしっかり作っておきます」と高島昭は割り切っているがこのライバル果たしてどちらに軍配が上がるか、面白いせり合いになりそう。「佐野に先を越されて、高島昭はくさっているんじゃないか」という声もあるが、強打者の素質十分だけに、焦らず精進して欲しいもの。
荒けずりだが、大型バッターの多い東映選手の中で、池沢や大杉に負けない強打を見せているのが、二年生の高島昭(神奈川大中退)。開幕当時の五番バッターから一時は四番、三番を転々、現在は七、六番の下位打者にさがっているが、その打ちっぷりはコンスタント。三十日現在、3割2分(25打数8安打)の高打率で、ホームラン1本を記録している。「内角球は強いが、まだまだ外角の変化球に甘さが多い」といわれるバッティングだが、腕っ節のほうは強い。第一号ホーマーは、大洋2回戦(十八日)で江尻の内角ストレートを左翼へ引っ張ったもの。しかし、単調なピッチングには強いが、横の変化の多いゆさぶりには極端に弱さを見せている。初登板の新治のスライダーに手を焼いて、三振にとられたのがいい証拠だ。神奈川大の同級生だった福富(国鉄)にいわせると、「高島昭はパンチがあるし、陽気な性格だからプロ向き」福富はこの高島昭を最大のライバルといっているが、一軍ベンチ入りは福富のほうが早かった。開幕から一軍入りした福富に比べると、高島昭はいまだにイースタン専門。しかし、一軍でいまだにパッとしない福富に比べれば、着実に腕を上げている高島昭のほうが、スタートは出遅れたものの、じっくり実力をつけるためには、賢明な?二軍落ちかも知れない。「焦らず、たっぷり練習を積んで、いまのうちに土台をしっかり作っておきます」と高島昭は割り切っているがこのライバル果たしてどちらに軍配が上がるか、面白いせり合いになりそう。「佐野に先を越されて、高島昭はくさっているんじゃないか」という声もあるが、強打者の素質十分だけに、焦らず精進して欲しいもの。
1966年
昨年までは代打男といわれると麻生(大洋)や宮原(東映)の名前がクローズ・アップされていたが、今シーズンは東京の倉高がナンバー・ワンだという声が強い。十八日現在、3割3分3厘(59打数18安打)で打点が10という成績は代打男にふさわしい。平安高から同大を経てことしでプロ五年生。決して若手とはいえない年齢だが、ピッチャーから打者に転向したのが昨年のオールスター直前だから、打者としては若さにあふれた一年生。ピッチャーだったが代打男としてのキャリアは豊富だ。平安高時代は三十一年の38回大会で全国制覇。この時はエース岩井(明大~日立製作所)の陰にかくれ、第二投手に甘んじていたが、代打で三度も活躍。同大時代の打力を買われて、三年まで外野手をやり、四年からまたピッチャーに復帰して東京入り。昨年、イースタンでは長身のサウスポーとして4勝1敗の成績を残している。そして投げない日は必ずといっていいほど一度は代打で登場した。打率は2割4分1厘(54打数13安打)だったが、国鉄2回戦(東京)で島谷から代打ホーマー第一号をマークするなど、このころからすでに代打男の片鱗をのぞかせていた。本堂監督は、「リストのよくきいたバッティングは以前から注目していた。打者として大成する素質が十分」とコンバートさせたわけである。その期待に見事にこたえた倉高だが、今シーズンの好調もスタートは四月二日、東京球場の阪急6回戦。八回、代打で足立から左中間二塁打をとばして二重丸をつけられた。とにかく1メートル84、75キロの体力に恵まれた倉高の将来性は、ことしの自信でさらに大きく開けることは確かだ。
昨年までは代打男といわれると麻生(大洋)や宮原(東映)の名前がクローズ・アップされていたが、今シーズンは東京の倉高がナンバー・ワンだという声が強い。十八日現在、3割3分3厘(59打数18安打)で打点が10という成績は代打男にふさわしい。平安高から同大を経てことしでプロ五年生。決して若手とはいえない年齢だが、ピッチャーから打者に転向したのが昨年のオールスター直前だから、打者としては若さにあふれた一年生。ピッチャーだったが代打男としてのキャリアは豊富だ。平安高時代は三十一年の38回大会で全国制覇。この時はエース岩井(明大~日立製作所)の陰にかくれ、第二投手に甘んじていたが、代打で三度も活躍。同大時代の打力を買われて、三年まで外野手をやり、四年からまたピッチャーに復帰して東京入り。昨年、イースタンでは長身のサウスポーとして4勝1敗の成績を残している。そして投げない日は必ずといっていいほど一度は代打で登場した。打率は2割4分1厘(54打数13安打)だったが、国鉄2回戦(東京)で島谷から代打ホーマー第一号をマークするなど、このころからすでに代打男の片鱗をのぞかせていた。本堂監督は、「リストのよくきいたバッティングは以前から注目していた。打者として大成する素質が十分」とコンバートさせたわけである。その期待に見事にこたえた倉高だが、今シーズンの好調もスタートは四月二日、東京球場の阪急6回戦。八回、代打で足立から左中間二塁打をとばして二重丸をつけられた。とにかく1メートル84、75キロの体力に恵まれた倉高の将来性は、ことしの自信でさらに大きく開けることは確かだ。
1976年
ドラフト1位選手の低迷に比べて、このところ3、5位クラスの選手の活躍が目立つが、その代表格が渋とい打撃でメキメキ頭角を見せてきたヤクルトの近沢内野手(中京、4位指名)。6月現在、3割3分8厘で4位の好成績だが、とくに「球に食いついていく根性がいい」(小森二軍監督)と、中々の評価を受けている。長打力はないがそのかわり、うまい右翼打ちを見せるなど「目標は土井さんですから・・・」という近沢らしい打ちっぷり。晴れの球宴出場も当確でいいことずくめの1年目といえそう。この近沢、入団発表の席で「4年以内に1000万円選手に・・・」とPRして周囲をケムに巻いたものだが、この分でいくと2年目の5割アップの方は、どうやら確実になったようだ。
ドラフト1位選手の低迷に比べて、このところ3、5位クラスの選手の活躍が目立つが、その代表格が渋とい打撃でメキメキ頭角を見せてきたヤクルトの近沢内野手(中京、4位指名)。6月現在、3割3分8厘で4位の好成績だが、とくに「球に食いついていく根性がいい」(小森二軍監督)と、中々の評価を受けている。長打力はないがそのかわり、うまい右翼打ちを見せるなど「目標は土井さんですから・・・」という近沢らしい打ちっぷり。晴れの球宴出場も当確でいいことずくめの1年目といえそう。この近沢、入団発表の席で「4年以内に1000万円選手に・・・」とPRして周囲をケムに巻いたものだが、この分でいくと2年目の5割アップの方は、どうやら確実になったようだ。