プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田原藤太郎

2014-11-12 22:00:11 | 日記
1958年

三月二十三日中日球場で中日ー大毎の定期戦の第二戦が行われた。名古屋地方は朝からの曇り空で妙にしめっぽい日だった。観衆は約三千人。オーダーが発表された。美しい鶯嬢の声が場内に流れる。「一番サード岡嶋、二番センター中・・・」そして「ラストはピッチャー田原・・」第一戦をしてやられた中日だけに、例えオープン戦とはいえ面子にかけても第二戦はものにしなければならない。その意味からしても第一戦級の投手をふり向けるだろうと予想されていた。それだけにスタンドの観衆もいささか拍子抜けした恰好で、ざわめきが起った。「田原だって」「北海高の田原か、まだ居たのか・・」それほど忘れられた存在だった。ちょっとはにかんだような表情の田原がプレートに立った。プレーボールである。ところが田原は素晴らしくいい調子であった。内角低目に鋭く食い込むシュート、外角へブレーキのよくきいたカーブ。速球にも相当の威力がみとめられた。このためさしもの猛打を誇る大毎打線も手のほどこしようがないといった有様。田原は四回になってはじめて榎本、山内に一本づつ安打を許し、無死一、二塁をピンチらしいピンチを迎えたが、落ち着いた態度で衆樹以下を凡打に退けてしまった。そして六回にスタンドの拍手に送られて中山にバトンを譲った。この調子からみて、今シーズンの中日に大きなプラスとなることは間違えないだろう。田原藤太郎(二二)投手は、北海道の名門北海高のエースとして甲子園に出場したこともあり、好投手としての呼声高かった。昭和二十九年に将来を大きく嘱望されて中日入りしたのだが、球運に恵まれず、いつかファンの脳裏から忘れ去られてしまっていた。しかし田原は黙々と精進を続け、特に昨年はシーズンが終わっても彼一人だけ帰郷をやめ、名古屋に居残ってトレーニングを続けていたもの。まさに「し伏四年、春巡る」といったところ。田原は「ボクの運命は今年で決まるんです。今年こそどうしてもやるんだという覚悟で、北海道へ帰るのも返上して必死になって鍛錬しました。まだまだ勉強しなくてはならないことばかりです。幸いいまのところ肩の調子もいいですから今シーズンはガン張ります」杉下も「人にいわれてもなかなか出来るものではない。それだけ技術と力を養わなければだめだ。それは本人の努力次第。田原はいま一生懸命だ。いい球をもっているし、勉強もしているから今シーズンはきっとやるでしょう」
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新井良夫

2014-11-12 21:29:41 | 日記
1970年

投手陣の非力から四連覇を逃した阪急は、秋季練習で西本監督自ら厳しい指導を続けている。それは基本技を徹底させながら紅白戦で応用練習をする段階まで進んだが、プロ入り二年目を終えた新井投手がようやく進境の跡を示し、西本監督を喜ばせた。紅白戦で新井はわずか二イニングだったが、ノーヒット、三振二個、四球一つ、無失点で押えた。目立ったのはスライダーがよかった点で、切れのよいカーブとのミックスでいっそう効果を発揮した。新井の成績はウエスタン・リーグで今季六勝三敗、防御率三・一四で、佐々木に次ぐかせぎ頭。それでもシーズン終盤までスライダーが不安定だった。西本監督が紅白戦でも好投に目を細めたのも、課題だったスライダーがよくなっていたからだ。野口コーチは今季の新井について「ブルペンではスピードがあるのに、マウンドに上がると力を出し切れない。気ばかり先ばしってフォームまで変わってしまうからだ」と実戦での練習を強調する。ドラフトでこれといった選手を指名できなかったこともあって、三年目を迎えようとする新井への期待は大きい。
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島津佳一

2014-11-12 20:48:37 | 日記
1974年

樋沢に負けず「脚力は一級品」、と日増しに脚光を浴びてきたのが日本ハムのルーキー島津外野手(本田技研鈴鹿)。故障の千藤に代わって目下、オープン戦、右翼で顔を出しているが、ベース一周を14秒そこそこの快足ぶりには首脳陣もぞっこん。別府大府高から大東文化大へ進み、四十七年に本田技研鈴鹿へ入社。昨年は四十四試合で46盗塁の快記録をつくった。肩も強く、日ハムきってのホープだが、いまの調子で公式戦出場がすんなり出来るかどうかが問題。「センスはいいが、まだキャリア不足」(岩本打撃コーチ)「脚力は球界でも一級品だが、藻類技術などこれからの磨きをかける要素は多い」(河野走塁コーチ)と課題は一杯。しかし、向っ気の強さは人一倍。面白い存在になりそうである。
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樋沢良信

2014-11-12 20:35:37 | 日記
1974年

河埜の台頭に刺激されたか、このところ巨人ヤング連の活躍が目立っているが、「オレの力を思いきりぶつけて試してみたい」と四年目で初の一軍入りに大張り切りなのが樋沢。九日から始まったオープン戦関西シリーズに横山とともに一軍ベンチ入り。「出場のチャンスが来れば結果を恐れずにすべてを出す」と虎視たんたん。東北高出身で二塁をやったり外野をやったり。それでも昨年はジリジリ調子を上げ、2割2分3厘で打撃十位。盗塁は同僚の山下につぐリーグ二位という成績で首脳陣に見直された。「あいつは肉屋の息子のくせに肉料理が嫌い。それが太らない原因だよ」とパンチ力の不足(昨年は3ホーマー)を指摘されていたが、今年は69㌔から73㌔に増え、1㍍78の長身にたくましい芯が一本入った感じ。「足は飛び切りだし、試合で力を発揮する実戦タイプ。きっかけを掴めば足腰のバネがいいだけに台頭は早いだろう」と国松二軍監督の期待もなかなか。層の厚さで定評のある巨人だが、俊足好打の樋沢の飛躍はナインの刺激剤なことは確か。
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若林仁

2014-11-12 20:10:39 | 日記
1975年

「ドラフト1位の菊村(兵庫・育英)より、球威も将来性もかなり上」と、買われていたロッテの伏兵ルーキー若林(身延高)が、公式戦ではあっさり打ちこまれている。五月一日現在、0勝3敗。2敗目を喫したヤクルト戦(武山)では一回2点、二回にも2点と先制攻撃にあって、三年先輩の松岡清に投げ負けている。また、3敗目は巨人・定岡と投げ合った時。多摩川球場に一万五千人が集まった一日、大観衆を意識してしまい、富田に3点本塁打を浴び、計5点を献上、回途中で降板してしまった。「球質が重くていいのだが、配球の組み立てがまだ甘い」と首脳陣。しかし、1メートル80、80㌔から投げ込む速球は成績とは別に魅力が十分にある。成田、村田、三井らファーム出身の主力投手に負けない野球センスの持ち主だけに今後の立ち直りが楽しみ。
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