プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

武内国夫

2014-11-29 23:49:24 | 日記
1968年

武内国夫外野手(19)…今春大分県日田林工高を卒業、八月テストして俊足を買い、見習いとして採用したが、代走要員として正式契約。1㍍72、67㌔、右投げ、右打ち。
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岡元勝幸

2014-11-29 23:46:22 | 日記
1968年

岡元勝幸一塁手(23)…三十九年鹿児島高卒、ノンプロ立正佼成会で三年間五番を打ち、ことしは大京観光の四番打者。60試合で打率3割5分2厘、本塁打6本、打点40を記録した。1㍍77、72㌔、左投げ、左打ち。
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落合勤一

2014-11-29 23:41:28 | 日記
1968年

落合勤一。二十一歳。今シーズンは23試合に登板、1勝2敗といっても、ご存知でない方が多いであろう。つまり、これから伸びそうなおもしろい投手である。初勝利は、九月十二日(小倉)の西鉄戦。たしか初登板も、西鉄戦(平和台)だったと思う。あれは、ちょうど暑くなりだした六月末のことであった。スピードもコントロールもよくて、コーチ連中は口をそろえて「楽しみなピッチャーだ」といっていたのを思い出す。当時、期待されていた尾崎がさっぱりダメなことも手伝って、この落合は桜井、松本などとともに大下監督の救世主的青写真のなかにはいっていた。南海戦に突然先発して、途中まで南海打線を手玉にとったこともあるのだ。わたしに強く残っている印象は「落ちるタマ」の魔力であった。「落ちるスライダー」といっていいのか、それとも「鋭く落ちるカーブ」と呼んだほうがいいのか非常にまぎらわしいタマである。これなどたいへん期待できる武器だが、できることならコンスタントにこのタマを使いきってほしい。そのための補助手段として、インシュートで打者の横っ腹をえぐるか、あるいは高めのつりダマをおとりに活用することを工夫してみるがいい。もし、この攻めかたが一つの型にはまってくると、あとはピタピタときまって、投球が楽しくなってくるにちがいない。4コマの連続写真を圧縮したこの投球フォームなかなか味わいがある。ポカーンと口をあけるのではなく、真一文字に結んだ口元は「食うか食われるか」の戦いをいどんでいる男の表情そのものだ。ただ、それにしては、いきさが眼光に鋭さが欠けている。まったく惜しい。球界には毛深いおひとよしがかなりいる。クマソを連想させながら、その実、打者との勝負になると「逃げてばかり」の投手もいたものだ。この落合も見たところ、九時十五分のマユがりりしいが、さて気性はどうなのか。この投球フォーム、手首が思う存分かえっているのが目につく。そのせいかボールが指先によく粘っているのが、うかがい知ることができる。顔をかくして腕だけみると、小山(東京)と間違えそうだ。それほど、まとまりのいいスイングである。

落合投手の話 はじめてペナントレースで投げたので、はじめはビビッてしまった。それでもスライダーはよくきまった方だと思う。残念なのは、ストレートが思ったより伸びなかったことだ。握力が弱いので、スナップがきかないからかもしれない。それにスタンスを大きくとるので、どうしても右足が折れるよう曲がってしまう。だから、タマが出るところが、それだけ低くなるから、角度はなくなるし、スピードも死んでしまう。来春の伊東キャンプではこの点の是正に努めるつもりだ。

土屋コーチの話 落合はあれだけ上背に恵まれていながら、それを十分生かしきっていない。投げるとき、どういうわけか、右足が折れてしまうのだ。腕を大きく振っても、タマはそれだけ死んでしまうし、角度もなくなる。これを直すのには、スタンスを小さくすることも効果的だが、足腰をより強くすることだろう。キャンプではみっちり走りこませる。
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柏熊克美

2014-11-29 22:04:31 | 日記
1968年

西鉄にまた新人投手が入団する。千葉県小見川高のエース柏熊克美投手(18)だ。二十日、東京駐在の渡辺スカウトが千葉県香取郡東庄町笹川の自宅を訪れ、両親と本人をまじえて話し合い、正式契約を完了した。同投手は身長1㍍79、体重73㌔。右投げ、右打ち。ことしの夏の大会では県予選一回戦で敗退し、中央ではあまり騒がれなかったが、長身から繰り出す速球にはかなり威力がある。すでに先月末テストを兼ねて西鉄の秋季練習にも参加したことがあり、球団では同投手の将来性を買っている。
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上地英満

2014-11-29 21:42:25 | 日記
1969年

産経の佐伯キャンプに安仁屋二世をめざす沖縄出身の上地英満投手(18)=1㍍78、80㌔、右投げ右打ち、中部農業高=がテスト生として二十三日参加する。上地投手は沖縄中部・具志川村中部農業高の速球本格派投手で昨年甲子園予選には二回戦で敗れたが陸上砲丸投げでも高校の第一人者。沖縄ヤクルトの嘉味田社長の紹介で産経のテストを受けることになったもの。二十二日午後一時三十分佐伯着の急行「青島」で到着する。

第二の安仁屋投手と沖縄島民期待の沖縄中部農業高校三年、上地英満投手(17)=1㍍78、80㌔、右投げ右打ち=が、産経の入団テストを受けるため、二十二日午後、鹿児島からの列車で同球団のキャンプ地、大分佐伯市に到着した。同投手は甲子園大会沖縄予選で、昨年は二回戦で敗退した無名校の選手。昨年のドラフトでも無指名だったが、オーバーハンドの本格派速球投手として鳴らし、四番を打っていた。同校野球部・我如古(がねこ)監督ー沖縄ヤクルトの嘉味田社長を通じ、球団に話が持ち込まれていた。この日はちょうどキャンプの休日のため、テストは二十三日から練習と並行して行われる。
上地投手は「本土は長い間の夢でした。産経へ入団できればもうこっちでずっと暮らせる」とテストにかける意気込みを見せていた。なお同投手の入団が決まれば、沖縄出身者のプロ入りは金城(元東映)安仁屋(広島)に続き戦後三人目になる。
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上林成行

2014-11-29 21:19:39 | 日記
1967年

上林を見て来たスカウトは口をそろえて「投手として完ぺきに近いフォームで投げている」という。巨人・武宮コーチは「とにかく欠点の少ない選手だ」長身から上背をムダなく利用して投げる速球はスカウトの目を見はらせている。ことしの夏の甲子園予選では強敵中京と当り3-1で敗れたが、そのピッチング内容は高く評価された。愛知には、豊橋東の工藤という早くからプロに目をつけられていた投手がいるが、「工藤を見に行く」といって他球団スカウトをけん制、豊橋とは目と鼻の先、豊川にある国府・上林投手を見るため、各球団スカウトがはち合わせになったというエピソードがある。産経・小山スカウトは「全国に有望な投手は多いが、素質という点では抜群だという。父親を早くなくしたが、母親・登美子さんは人を使って農業を守り、自らは豊橋市内に勤務している。登美子さんは「就職も進学も本人の好きなようにしてあげたい」と、ひとり息子、上林の意思にまかせている。国府といえば卓球が強く、野球選手でいい選手が出るのはめずらしい。地元の人たちは「プロでやらせてみては」という声が多い。しかし、上林は「野球は決してやめれないと思う。しかし、上林家という問題もあり、どうしても大学だけは出たい」と立大進学を望んでいる。1㍍78、72㌔、右投げ、右打ち。
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村田清美

2014-11-29 21:02:19 | 日記
1966年

西鉄は二十二日、球団事務所で、小野田工・村田清美投手(18)の入団を発表した。同投手はさきの新人募集テストでパスしたただひとりの選手。スピードと馬力が全コーチの目にとまり、入団となった。身長172㌢、体重70㌔、右投げ右打ち。背番号83。高千帆中学二年生から投手となり、小野田工では二年の夏(四十年)リリーフ投手として甲子園にも出場している。
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辻原幸雄

2014-11-29 01:08:54 | 日記
1967年

午後三時から福岡・天神二丁目の球団事務所で辻原幸雄投手(18)=178㌢、71㌔、右投げ右打ち、鹿児島・川内高=の入団を発表した。同投手は今夏の鹿児島地区予選で、優勝決定戦まで進出、9イニングを投げて無安打4本に押える好投をみせたもののバックスの不振で2-1で敗れ、甲子園出場のチャンスを逸したが、同投手の速球、カーブの威力は各スカウトの注目を集めていた。なお、同高校からプロ入りは辻原投手が初めて。
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竹村一義

2014-11-29 00:34:11 | 日記
1967年

大洋が交渉権を獲得した安芸高の竹村一義投手(17)=高知県安芸郡安田町=は同球団と契約、入団が決定した。これは十六日明からにされたもので平山総務部長、本人、家族立会いのうえ十六日、契約書に調印した。
竹村は選択会議で指名された選手の第一号で身長179㌢、体重72㌔、右投げ右打ちの本格派投手。高校三年間を通じての防御率は1・5。打者としても定評があり、通算打率4割をマークしている。

竹村選手の話 家の者は大学進学を望んでいたが、どうせやるなら一日も早くプロでやってみたかった。巨人の金田さんのような投手になりたい。学校のつごうもあるので月末ごろ上京する予定だ。
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金子準一

2014-11-29 00:24:00 | 日記
1965年

西鉄はこのほど今治南高の金子準一投手(18)=1㍍71、65㌔、左投げ左打ち=の入団を発表した。同投手は昨春の選抜大会に出場し、一回戦の対大谷高戦で敗れたが、被安打9、奪三振8、四球7の記録を残している。ことしの新人選択会議では近鉄が交渉権を得ていたが棄権した。
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植村秀明

2014-11-29 00:09:23 | 日記
1967年

午後一時三十分から球団事務所で、植村秀明投手(18)=郡山高、188㌢、85㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。同投手は高校球界では河原(大分商ー西鉄)村田(福山電波ー東京)らと並ぶ剛速球投手として知られているが、四十一年夏甲子園大会に出場、長身から投げおろす重い速球とシュートでプロ野球関係者の注目を浴びたのがきっかけ。今年は25試合に登板、23勝2敗、防御率1・00、奪三振1試合平均12個の成績を残している。また打っても四番をつとめ・330の高打率をマークしている。植村は父親正治さん(51)母親秀子さん(50)に伴われ発表の席についたが、登島球団重役、根本コーチらはたのもしそうに見守っていた。
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