プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

辻善之

2014-11-03 19:23:37 | 日記
1964年

「きょうは柿本だから下から投げろ」「きょうは城之内だから上からでいいぞ」シーズン中、バッティング投手をやった辻が、十四日から多摩川で始まった秋季練習から、正式にアンダー・ハンドに転向した。大石コーチに理由を聞くと、「上からだと余りにタマが素直すぎる。スピードはあるんだが、クセ球でもないし、下からのほうがいい球を投げるから」ということだった。辻はことしで三年目。名門の平安高から同僚の林と一緒にはいったが、林と違うのは同じ平安高でも、辻は軟式の出身。高校一年の時は硬式の野球部に籍を置いていたが、二年から転向。中央球界には余り知られなかったのも三十五、三十六年の全国大会、三十六年の国体と大きな大会に三度も優勝している。1㍍76、73㌔と肉体的には恵まれた辻も、軟式から硬式の重いボールに持ちかえて面くらったらしい。それでも昨年は、イースタンで43回2/3投げて自責点10、防御率2.05で4勝をマーク、大洋投手陣の中では最多勝利を上げるほどの進歩をみせた。「稲尾さんの外角速球は見ていて気持がいい。それと広島の大石さんの打者を恐れず真っ向からぶつかるピッチングに魅力を感じます」入団当時から辻の目標はこの本格派のふたりだったが、アンダー・スローに変わって目標がなくなった格好。今シーズンは、イースタンにも一度も登板せず、もっぱら一軍のバッティング専門投手として思いっきり投げ込んだ。そのお陰でスタミナと肩には絶対の自信をつかんだらしく、来シーズンに期している。
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稲垣博愛

2014-11-03 18:28:14 | 日記
1964年

「あの人の球大好き。いつも調子がおかしくなってくると、あの人に投げてもらうんだ。コントロールはいいし、クセ球を投げないので、打っているうちにてんでいい気持になってくるんだ。オレの恋人みたいなもんさ」という豊田をはじめ、レギュラー級の打者から惚れられている投手がいる。ゲームには出ずに、毎日毎日バッティングにばかり投げている稲垣がナインの恋人だ。愛知大学ー新三菱名古屋を経て国鉄入り。もう四年目で28才になるが、体に恵まれず(身長1㍍75、体重65㌔)、球質が軽いため公式戦出場のチャンスがつかめない。その代り、コントロールは抜群なので、バッティング投手にばかりかり出されてしまう。一軍と常に行動をともにしているため、イースタンの試合にもチャンスがないが、本人は、チームのプラスになるならと、不平もいわずに毎日黙々と投げ続けている。昨年の長島には近藤というカゲの存在があったが、近藤はマシンの代用品にあき足らず、自分から退団してしまった。難しもプロの投手なら、花やかな脚光を浴びて、公式戦に投げてみたい夢を持っているが、力およばずバッティング投手に明け暮れる人も出てくる。それはそれで、貴重な存在だから、もっと別の形で恵まれてもいいような気がする。仕事はマシンの代用でも、稲垣だって人の子だ。一月九日に郷里愛知県一宮市の富田敬子さん(24才)と、ゴールインした。ところが十一日から早速横浜市・大倉山のグラウンドでトレーニングがはじまり、島田キャンプ、湯之元キャンプと続いて、新婚の夢まどかの生活も当分はフイ。「まだ結婚したという実感がわかないんで困っちゃうよ」といっているが、毎日元気に投げ続けている。「制球力といい、外見に似合わぬ勝負度胸といい、私の手がけた投手の中で稲垣は№1」と稲垣の素質を惜しむのは小山スカウト(前愛知大学監督)。ことしはチャンスを与えたいものだ。
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永田善一

2014-11-03 17:13:22 | 日記
1964年

このところイースタン・リーグから一軍入りの選手が続いている。首位東京で迫田とともに主戦投手として活躍していた永田が十六日、日生球場の近鉄27回戦で初登板した。エース坂井のあとをうけて2イニング投げただけだが、速球がさえて1安打のピッチング。「なかなかいけるじゃないか・・・」と本堂監督や真田コーチを喜ばせた。永田はことしにはいってメキメキ腕をあげた成長株のひとりといえるだろう。昨年はイースタンでも1勝7敗と大きく負け越し、64回と2/3投げて3・05という成績を残した。速球とキレのいいシュートで三振をとる反面、四球が多く、昨年、東京投手陣では30個と最多四球を記録するなど、もうひとつコントロールに難があった。しかし、今シーズンは見違えるようによくなり、ジュニア・オールスター戦へも晴れの出場を飾った。もともと実績のあったピッチャーで、鎌倉学園時代は永田がいたため、一年後輩の半沢(国鉄)が出られなかったくらい。今度の一軍昇格も彼の実績が買われたわけだが、「迫田や半沢には負けられない」という永田のファイトが大きくモノをいっているようだ。夏バテした投手陣のつなぎとして起用した首脳陣は、「若いし、スタミナがあるし、球も速い。少しずつ自信をつけさせれば中堅投手としての将来性は十分だ」永田自身は、低調だった昨年の不成績に、ことしはなんとしてもがん張ろうと、もち前のファイトで励み、現在の成績も自責点2、防御率はなんと0.35と見違えるばかりの姿で精進している。首脳陣も、「大切に育てよう・・」と永田を見直している。小野、堀本といったベテラン投手の沈滞で東京の投手陣も若手へ切り替える時期がきたといえるだろうが、その成長株の中でも、永田は本格派として最も期待できるピッチャーといえそうだ。
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平山佳宏

2014-11-03 16:51:54 | 日記
1964年

「ボクはバッティング・ピッチャーに徹すればいいんです。そりゃ毎日30分も投げれば肩があがらなくなります。だけどチームが勝ってくれればボクらはそれだけでうれしいんです」縁の下の力持ちのバッティング・ピッチャー専門になってこう泣かせ文句をいつも口にしていた大洋・平山が、とうとう四年目で初登板した。去る十五日の中日23回戦(中日球場)で峰のあとをうけ五人目のピッチャーとして投げたのがそれ。試合は7対3で敗れ、、戦局には響かなかったが、2イニング投げて安打1の自責点1という成績。左腕投手が鈴木隆、篠田のふたりしかいないうえ、篠田がパッとしないため急遽バッティング専門から左の戦力にバッテキされたものだが、当の平山は、「なにしろ1万4千人もいる観衆の中で投げたのは初めて。緊張したけど、やっぱり一軍相手に投げるということは、なにか生きがいみたいなものを感じますネ」と大感激していた。平山は長崎県五島高校出身の四年生。体力にも恵まれ、左投手ということで毎年のように期待されていたが、昨年はキャンプで左サ骨の関節を脱臼するなど一時は再起を危ぶまれるほどだった。まだフォームには堅さは抜けないが、練習熱心で粘り強い性格はチーム内でも定評がある。半ば野球生活を諦めていたようなこの平山に、登板のチャンスがきたことは各チームのバッティング専門といわれている若手ピッチャーたちに大きな刺激と希望を与えたことだろう。
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周防清・川端英文

2014-11-03 15:31:13 | 日記
1965年

最近はファーム強化の影響からどの球団にも中学卒、高校中退といった選手がふえている傾向がある。それらの選手たちはほとんど学業をあきらめて野球オンリーに打ち込んでいるが、中には昼は野球、夜は学問と好きな野球を両立させようとがん張っている選手がいる。巨人の周防清投手(18才)と練習生の川端英文選手(16才)のふたりがそうだ。周防投手は、昨年の九月群馬県の富岡高校を二年で中退。また川端選手は今春、静岡県の伊東中学を出て荒川コーチに誘われたのが縁で、それぞれ巨人入りした。そして今、周防投手が多摩川の合宿の対岸にある大田区鵜ノ木の東京高校の三年生。一方、川端選手のほうも同じ東京高校の一年生として毎日仲良く通学している。練習の終わるのは夕方の四時半。それからすぐに五時半から始まる授業へとんで行く。合宿に帰って来ると十時ごろになってしまう。「猛ノックを受けてクタクタの日なんか、授業がつらくて眠くなることもありますが、ここでくじけたら駄目だと思ってがん張っています。日曜日以外は自分の時間がないけど、野球をやって夜学にも通えるんだからボクらは幸せですヨ」とふたりは口をそろえていっている。とはいっても、昼間の練習が練習だけに、いくら若さがあるといっても大変な努力だと関係者の間ではもっぱらの評判。周防投手は、「春の試験はキャンプとかち合ったために受けられず追試験をしてもらった。これまでも遠征で出掛けない限り学校は休んだことがない。どんなことがあっても絶対に卒業して見せます」と大張り切りだ。多摩川の合宿に住み込んで二軍の面倒をみて、いわばこの二人の親代わりの武宮コーチは、「わたしも長年プロで暮らしているが、夜学にはいりたいといわれたのは初めて。驚いたヨ。ただでさえ遊びたい年ごろなのに・・・これじゃこちらも協力しないわけにはいかないヨ」プロの世界のきびしい風に当りながら、将来の生活設計を考えて勉学に励むこの二選手などは、さしづめ本当の研修生といえるだろう。
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安岡正博

2014-11-03 15:05:41 | 日記
1965年

先に一軍入りし、リリーフ・ピッチャーとして活躍している迫田に続いて、またひとり有望株がのしてきた。昨年、阪神から移籍してきた四年生の左腕安岡がそれ。イースタンでは7試合に登板して2勝1敗。21回2/3を投げてヒットは20本打たれ、防御率も4点ちょうどと、あまりパッとした成績ではないが、東京の首脳陣が期待をかけているのは、まず第一に左投手ということ。それに若手に似合わずコントロールがいいことで、打たせてとるピッチングは、一軍でもつなぎ投手として通用するんじゃないかと見ているからだ。それともう一つ、真田コーチが考えているローテーションの立てなおしである。「これから夏場に向かって選手たちの疲れは目立ってくる。どうしても中心となっているピッチャーはそれがひどいだろう。だからこの夏場は、それら中心になっている小山、坂井といった連中の負担を出来るだけ少なくしなければならない。そのためには夏場に若手の起用を考えて乗り切ることだ。安岡などはその点うってつけのピッチャーとして大いに期待している」と真田コーチはいっている。安岡はことしのハワイ・キャンプの選にもれた。しかしその間、迫田らと一緒に市川のグラウンドで懸命に精進を続けた。その努力がやっと実って注目を浴びるようになったというわけである。試合休みの日には真田コーチは安岡指導のために市川グラウンドへ日参する。それだけ安岡への期待が大きいということだが、ことしはいった同じ左腕の竜を押しのけて、この安岡のほうが意外に早く勝星をさらうかも知れない。
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芳村大基

2014-11-03 14:41:11 | 日記
1964年

どこの社会にもまた球団にも落伍者はいる。だが、彼等には落伍するまでの・・・ある程度の期間が与えられているのが世の常である。しかし、ここに入団して僅か三カ月で、整理されていった選手がいる。しかも、学業を半ばにして契約を交したのだったのに・・。この、あまりにも短命な新人落伍者は、芳村大基という投手候補で、昨年暮、大阪商大を中途退学して、期待されて大洋に入団したが、三カ月もたたない二月の初旬、草薙キャンプ中に整理されてしまった。大学の学業を途中で放棄してまで、プロの世界で生き抜こうと飛び込んできて間もなくの整理宣告は、本人にとって大きなショックだった。芳村は、「一日も早く次の職を見つけなければ・・」と、いさぎよく身を引いていったが、僅か三カ月でやめさせるくらいなら・・、しかも大学を中退させてまでも・・。そんなことなら、始めから採用しないほうが、本人のためでもあり球団の名誉のためでもあろう。とは報道陣で事情を知る者のささやきであるが、スカウト陣の弱体を暴露したようなものだというのが大方(おおかた)の評判。
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KHライト

2014-11-03 14:02:50 | 日記
1974年

ライト(阪急)が幻の異色投手に終わりそうだ。それというのもプロ野球の投手として技術的にも限界を感じ、ユニホームをぬごうとしているからだ。正月前に藤井スカウトが「頑張れ。もう少し辛抱すれば花の咲くこともあるじゃないか。ここで辞めたら男がすたるぞ」と一度は説得に成功したと思われたが、自主トレ開始を前にしてまだ心がグラついたもの。1㍍90の長身とオーストラリア国籍の投手として女学生にも人気があったが、ピッチングのほうはもう一つ力不足。技術的に行き詰まりを感じたらしい。球団は冷却期間を置いて心境の変化を待っているが果たしてどうなるか。
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土橋修

2014-11-03 13:49:08 | 日記
1965年

阪神の安芸キャンプで特訓を受けたのが、ルーキーの土橋投手。ノンプロ・日本新薬時代は内野手で、投手に転向してから一年そこそこというのにスジがいいと首脳陣が力を入れている。遊撃手をやっていたせいもあってかからだが柔かく、フォームも弾力性に富んでいる。難をいえば、スピードはあってもボールの軽いのが欠点。古川コーチは、「投手転向後、日が浅いので投手として基礎的なものをまだマスターしていない。これが今後の課題だ」と自らミットを持って土橋の手を取り、足を取って指導している。
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須崎正明

2014-11-03 13:36:31 | 日記
1965年

「攻守走、三拍子そろった好選手。野球のセンスは一級品」と近鉄時代から定評のあった国鉄の須崎(今シーズン移籍)に、ようやく春が訪れようとしている。須崎は昨年暮れ、目をかけられていた別当監督の退陣と同時に近鉄を整理され、ことしの湯之元キャンプには国鉄のテスト生として参加、その素質を認められて晴れてスワローズの一員になっていたもの。開幕と同時にイースタン・リーグに参加、トップ・バッターとして三十日現在、2割7分8厘(36打数10安打)6打点をマーク「なかなかやるじゃないか。脚もいいし、プレーにもソツがない」と首脳陣の目を見張らせている。イースタンでは中堅手の定位置をすでに獲得して、張り切っているが、須崎のいいところは引っ張ってよし、流してよしという巾の広いバッティング。とくに二十四日、五日(多摩川)の4連戦で、この須崎に5安打の6打点をたたかれた巨人の高橋一、石原といったうまいピッチャーも、「どのコースもうまくバットをだすので、どんなタマを投げていいかわからん。投げにくいバッターです」と須崎の好打ぶりに頭を下げている。10安打のうち、高橋一から左対左の不利をはねとばしたランニング・ホーマーが1本。二塁打はまだ1本と長打力はそれほどでもないが、左右へムラなく打ちわけるバッティングは、ファームではとび抜けて目立っている。左の好打者といわれていた佐藤一も、須崎の加入で陰が薄くなった感じ。須崎は林監督から砂押監督にバトンが渡った二十七日の巨人戦(神宮)から晴れて一軍入り。成績は2打席でノー・ヒットだが、須崎は福富(神奈川大)以上の実力の持ち主。そのうちきっとでてくるとみる人が多い。「近鉄時代に味わったことのないほど気分的に充実した毎日です。こんどこそ国鉄で自分を磨き直します」と須崎は張り切っているが、年齢もまだ25歳という若さ。これからの活躍が楽しめる。
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辻野欣也

2014-11-03 08:43:34 | 日記
1965年

空前の大トレードといわれた山内ー小山の移籍で、投手力弱小の汚名を挽回できると微笑んでいる大毎の幹部連に、「身内の中で、誰か一人忘れてはいませんか」と森の石松ばりのセリフをうそぶき、正月休みを返上してトレーニングしている辻野だ。「ことしこそやらんことにはネ・・」入団四年目を迎えたことし、いつまでたっても、イースタンで投げていては、うだつが上がらんし、クビは必至だと、肝に命じたというのである。兵庫県淡路市で洋裁店を営む、母親と静かな正月を迎えるとすぐに上京して、一人江戸川の堤を走りつづけている。「足腰を鍛えて、スタートから飛び出す」と、ことしにすべてを賭けた決意は堅い。「一軍の試合に数多く出て、勝つこと、とにかく全力でやってみせますよ」温和でどちらかというと内向性の辻野が、ことしは外向的に転じ、闘志をムキ出しにハッスルしている。こんな辻野に期待しよう。
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