プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

太田紘一

2014-11-06 21:56:30 | 日記
1964年

ことしの阪神は、オープン戦のうちから次から次へと巨人用投手を育て上げた。バンサイドについで二年生コンビの交告、村上、それから四年生の太田。なかでも太田はオープン戦とはいえ、巨人相手に好投してすっかり自信をつけ、藤本監督に高く買われている。昨年までの太田はせいぜい投げて三回程度。4イニング以上投げた経験がなかった。カーブ、シュートのコントロールはよかったが、いま一つピリッとしたところがなく、巨人戦に登板しても左対左の有利な立場にありながら、王にボカスカ打たれる始末だった。その太田がめざましい進境を示し、オープン戦とはいえ巨人を手玉にとったときには、藤本監督でさえもアッといった。それも一度ならず、二度までも巨人を押えたのだから、疑いもなく本物。杉下コーチも、「ことしの巨人戦にはどんどん使う」と強気な言葉をはいている。太田が昨年と違う点は、ストレートだけで勝負できるところだ。このストレートは握り一つで自然にシュートしたり、スライドしたりする。太田はいわずと、「自分で意識したものではないが、それでも手首のひねりをちょっと違えただけで変化する」そうだが、このナチュラル・シュートやスライダーが、ストライク・ゾーンを上下左右にグルグルと回って打者の目をくらます。倉敷での巨人戦で6イニング投げ、長島の1安打に押えたときは、完璧のピッチングだったし、続く後楽園での対巨人戦でも、4イニングを2安打に封じている。「オープン戦で自信をつけたので、ペナント・レースでもやれると思います。ことしは結婚したばかりなので、心機一転、大いに頑張らなきゃ・・」と、この巨人用投手は、手ぐすねひいて巨人戦に備えている。
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荒川巌

2014-11-06 21:27:08 | 日記
1965年

産経の四年生ピッチャー荒川(会津工)が、二十日、巨人多摩川グラウンドの対巨人14回戦で、今シーズン初めてのノーヒット・ノーランを記録した。荒川は四球4個をだし三塁を二度踏まれながら、九回まで巨人打線をノーヒット。しかし、肝心のバックの援護射撃がこれまた渡辺に6安打の散発と押えられて無得点。ゲームが九回日没引き分けとなったため、このノーヒット・ノーラン惜しくも参考記録にとどまった。荒川は「調子はよくなかった。カーブの切れが悪かったしコントロールもダメ。ふだんなら四球を4個もださないんですがネ。ただ追い風だったので、ストレートの伸びがよかったのと、巨人の雑な攻撃に助けられた形ですヨ。でも勝てなかったのが残念です」としきりに口惜しがっていた。「投手を見殺しにするあたり、サンケイは一軍とよく似てる」と荒川に同情の声がしきりだ。
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七森由康

2014-11-06 21:08:51 | 日記
1965年

四試合に登板して、5回1/3イニングで自責点6.これが金田の見返り?

でサンケイ入りした左腕投手。七森の公式戦成績だ。「速球で押せ押せのピッチングをしたい」と目を輝かせていた入団当時には、考えられないような投げっぷりで、いまでは七森株はガタ落ち。七月二十五日の広島戦を最後に、現在はまたイースタンへ逆戻りして、腕をみがき直している。しかし、イースタンでも冴えず、2勝5敗という星。「七森はフワッとしたカーブがあるだけ。直球が速いわけでもなし、キレは悪いし、ただ左ピッチャーというだけじゃないのか・・・」というのが現在のきびしい評価だ。ただプロ入り四年目で20歳という若さがあるだけに、今後に希望はもてるが、とにかく球威不足が、期待を裏切った七森の最大原因だといわれている。
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