プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鈴木五郎

2014-11-15 18:36:17 | 日記
1970年

西鉄の鈴木五郎(プロ七年生、仙台工、宮城県出身、二十七歳)は、故郷・仙台に帰って、家業のクリーニング屋を手伝うはずだったが、夫人が福岡で高校の音楽教師をしていて、仙台へ行けないこともあって、福岡市内のある工務店に平社員として入社した。そこでは、「野球をやめた場合を考えて・・」と、取っておいた運転免許が役に立っているそうだ。
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中村益章

2014-11-15 18:30:03 | 日記
1970年

若くて経営者になるのに西鉄に一年間いた中村益章(プロ一年、川内実業、鹿児島県出身、十九歳)という無名の選手がいる。この中村は昨シーズン西鉄入りした右腕投手で、球団ではクビにするつもりはなかったのだが、鹿児島県川内市で旅館を経営中の父親が病気になったためせっかく二年目の成長を期待されながら自分から退団を申し出て、親父に代わって客商売に精を出す。
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芝野忠男

2014-11-15 08:34:03 | 日記
1962年

豪快なバッティングに期待をかけられ、三十二年、鎌倉学園から入団した芝野だが、持ち前の豪快なバッティングを生かしきれずに、七年目を迎えることになった。三原監督は、なんとか芝野の豪快なバッティングをものにしようと、シーズン中も岩本をコーチ役としてつききりにさせていた。そのかいもなく、61年のシーズンも、よいところなく終わってしまった。伸びなやみの芝野を宮崎コーチは、残念といった口調で、「私とちがって、体も力も持ち合わせているから、ちょっといい当たりをしたら場外(合宿のグラウンド)へ叩き込めるのに、ときどき代打に出るくらいじゃおしいんだがなあ。気の弱さがプロのはげしさについて行けないといえばそれまでだが、それより、恵まれた家庭の坊チャン育ちなものだから、野球をやらなくても生活に困らないから、どんなことがあってもやらなくてはという気が起きない。これが、芝野の伸びなやみの原因だろう。やる気さえ出したら、ポジションもとれるんだが・・」と、語っていた。伸びなやみをおしまれている芝野は、一時間くらいのランニングと素振りは欠かせないが、いまはのんびりとシーズン・オフを送っている。「六年もやってだめなんだからと、シーズンが終わったときは思ったけど、いろいろ考えてみると、好きな野球をやらせてもらえるんだから、62年のシーズンこそ、やれるだけやってみようと決意を新たにしたよ」と、日頃無口でとおっている芝野が、一気に62年のシーズンの決意を力強く語った。
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関根勇

2014-11-15 08:20:55 | 日記
1964年

広島は約一週間、異例の新人強化練習を行った。「ことしは粒がそろっている」と白石監督が目を細めていたが、その中でとくに目立ったのが関根捕手(大阪高ーノンプロPL)ファイト満々のトレーニングぶりが、首脳陣の目に止まったわけ。広島の選手は概しておとなしい。新人もチームの雰囲気にすぐなじむのか、あまりがめついところがない。ところが関根だけは違っていた。初日から新人とは思えぬハッスルぶり。これには二年生、三年生組も思わず引きずられた。関根いわく、「ぼくのように未熟なものが、他人と同じでは到底プロでやっていけません。人一倍努力し、せめてファイトで追い抜かなければ・・」ということだそうだ。白石監督は、ハッスル関根を評して、「あれぐらいであたり前だ。いままでの連中がおとなしすぎたんだよ」と。この関根は合宿でも大いにハッスル。朝食はドンブリ3杯、夜は軽く4、5杯。一人で米ビツをカラにしかねない健啖ぶりに、先輩連中も毒気にあてられたとか。
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西尾慈高

2014-11-15 07:42:32 | 日記
1958年

西尾投手が五月五日の大洋戦で勝利投手になった。それも延長13回を一人で投げ抜き、5安打散発、みごとシャットアウトにほおむったのだから素晴らしい。西尾のシャット・アウト勝ちは三十一年四月二十九日の中日戦いらいのことだから、まる二年目の快挙だ。二線級投手という恵まれない地位にありながら、延長13回を投げ抜くスタミナを黙々と養った努力は大いに買わねばならないが、「まだ五回くらいなら投げられる自信はあった」と左腕をさするあたり、頼もしいかぎりである。フォーク・ボールを得意とする西尾の台頭はタイガースの左投手難を必ず解決するにちがいない。
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田中喜八郎

2014-11-15 07:25:42 | 日記
1959年

新人八人のうち、もっとも期待を集めているのは、東圧大牟田から入団した田中喜投手である。同じ新入団組に軟式出身、サロンパスから入った田中清がいてなかなかまぎらわしいが、田中清のほうは西鉄に入団してはじめて硬球を手にするのだから、少なくとも、二、三年の下積みが必要だ。この点、田中喜は津久見高三年のとき東九州代表として甲子園に出場、三十一年に東圧大牟田に入社してからも全国都市対抗に出場した実績派である。一メートル七七、七〇キロで真っ向上段からの速球が武器である。重松二軍監督は、彼が昨年の暮、練習に参加したとき、「呼び声が高くても、働きそうな選手もいればそうでもない選手もいる。田中はなんとなく活躍しそうだ」といっていたが、二十四日からのトレーニングぶりをみて、いよいよ確信を持ったようだ。「体は柔軟だし、腹筋も強そうだ。これから変化球を覚えねばならないが、出足さえうまくゆけばすぐ使える」と太鼓判を押している。球団が、第一線背番号の15番を田中にだけ与えたのも、その力量を評価してのことだろう。田中喜自身も背番号の数だけは勝ちたいといっている。
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堀田明

2014-11-15 06:47:56 | 日記
1965年

若手中心の秋のオープン戦では、期待の成長株たちが大いにハッスル、めざましい活躍ぶりだが、中でも抜群の心境をみせているのが巨人の堀田。打ってよし、守ってよしで、坂崎、船田ら中堅選手顔負けの落ち着いたプレーぶりを披露している。オープン戦6試合の中、二番、左翼手として先発メンバーで出たのが五回、一番柴田に続いて実践的なシャープなバッティングはしばしばチャンスをON砲に結びつけている。オープン戦の通算成績は、3割4分8厘(23打数8安打)と好調右の打てる外野手として二番に起用した川上監督の期待に見事に応えている。「特別に好調とはいえないんですが、うまくヒットが続いているのはいい感じでバットが出るようになったからでしょう。だけどまだまだちょっと当たると翌日はさっぱりダメだったりムラが多すぎますよ。試合に出してもらってる間に実戦の駆け引きをウンと身につけておかなければ・・・」と堀田はまだ物足りない成績だという。しかし、オープン戦前半に比べて当りが出たのは確か。七、八日の両日、静岡、浜松で行われた対大洋との東海シリーズでは9打数5安打といずれもバットの真っ心に当てる快打を連発してひとり気を吐いた。堀田のいいところはタマにさからわずに好打することで、打球はほとんどセンター中心に飛んでいく。大洋戦の5安打も全部中堅へのヒット。それも七日の静岡では佐々木から中堅左の二塁打。島田源から中前シングル。八日は下手投げの辻、峰、稲川とそれぞれのタイプの違ったピッチャーからいずれもジャスト・ミートの中前ヒットを飛ばしている。試合後の堀田に感心させられるのは、「最初のは真ん中から沈むタマあとは外角のストレート・・・」といつもこういった具合に自分の打ったボールをよく覚えていることだ。最後までボールを見て打っている証拠といえるだろう。荒川コーチは、「うまくバットは出るようになったが、まだかがみ過ぎる欠点がある。余りかがみ過ぎると腰がはいらずパンチが弱くなる」また相羽と並んでオープン戦の大収穫だという川上監督は、「成長ぶりは目についた。しかし、レギュラーのポジションを獲得するのはそう簡単に出来ることではない。努力次第ではチャンスは十分にあるが・・・」といっている。
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田辺修

2014-11-15 06:31:28 | 日記
1965年

「ホームランか三振か・・・」最近のプロ野球にはこういったタイプのバッターは少なくなっているが、若いファーム選手の中にはまだまだかなりいる。その代表格といえるのが大洋一の巨漢選手田辺だ。1メートル87、85キロは大型選手の多い大洋の中でもひときわ目立つ。森、長田といった重量選手より一回りからだが大きくいつも68番のユニホームを窮屈そうに着ている。その田辺が一軍戦で初めてヒットを飛ばした。八日、浜松の対巨人2回戦で八回、田辺は先頭バッターとして代わったばかりの巨人四人目中村と相対した。初球は高目のカーブだったが、バットの先っぽに当った打球は鈍い音を立てながらもあっという間に左翼手堀田の頭上を越えてフェンスへ直接ゴツン。ところがスタートした田辺は一塁ベースを回ったところで、腰くだけ。一瞬ガクリとしたが持ち直してそのまま二塁へー。田辺にとって、会心とまではいわないが力にまかせた一発だった。田辺は童顔をほこばせながら、「バッター・ボックスにはいる前にシゲ(高橋重)に、最初からカーブを狙え、といわれて待っていたら本当にカーブでした。オープン戦5打席目にやっと初ヒットが出ました。一軍でヒットなんか打てっこないと思っていたからうれしいです」と大喜び。腰くだけについては「一塁ベースを回ったところが、グラウンドが柔かくて・・・」と弁解していたが、聞くところによると田辺のランニングはいつもヨタヨタして足がもたつき気味だという。上体が重すぎて足で十分に支えきれないらしい。今シーズン田辺はイースタン・リーグで51試合に出場、外野もやらされたが動きが悪いのでほとんど一塁ばかり。打率は2割7分8厘(176打数49安打)でホームランを10本(二位)も飛ばして長打力のあるところを見せた。ところが45三振はリーグ一。「三振か、ホームランか」でリーグ戦を終わったわけだ。岩本コーチは今シーズン重松、伊藤、松原を育て、つづいて日下、大石、今井と次代の成長株の育成におおわらわだが、この田辺はその中でも一番時間がかかりそうだといっている。「当たれば大きいのを飛ばす。しかし、当ればの話で、まだ本当のバッティングになっていない。下半身がぐらぐらしているのもいかんし、田辺の課題は人一倍あるよ」ときびしい採点。巨漢選手共通の悩みだが、期待の大器、田辺もまず、下半身の強化が先決問題といえそう。
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