1970年
西鉄の鈴木五郎(プロ七年生、仙台工、宮城県出身、二十七歳)は、故郷・仙台に帰って、家業のクリーニング屋を手伝うはずだったが、夫人が福岡で高校の音楽教師をしていて、仙台へ行けないこともあって、福岡市内のある工務店に平社員として入社した。そこでは、「野球をやめた場合を考えて・・」と、取っておいた運転免許が役に立っているそうだ。
西鉄の鈴木五郎(プロ七年生、仙台工、宮城県出身、二十七歳)は、故郷・仙台に帰って、家業のクリーニング屋を手伝うはずだったが、夫人が福岡で高校の音楽教師をしていて、仙台へ行けないこともあって、福岡市内のある工務店に平社員として入社した。そこでは、「野球をやめた場合を考えて・・」と、取っておいた運転免許が役に立っているそうだ。