プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

白滝政孝

2014-11-24 20:47:59 | 日記
1971年

同選手は今年四月関大から新日鉄広畑入り、社会人一年ながら三番を打ち、打の立役者として夏の都市対抗の優勝に貢献した。ノンプロでの成績は37試合で2割8分9厘、19打点、3ホーマー。法元スカウトの話では、チャンスに滅法強い。四十一年夏には郡山高の4番打者として甲子園に出場しており、関大では三年からレギュラー。五番打者として貴重な得点源だった。
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横山小次郎

2014-11-24 16:57:49 | 日記
1968年

ドラフト一位で指名し、すんなり東京入りが確実視されている近大・有藤通世三塁手。本人は「先輩がおられるので心強い」と早くも闘志を見せているが、その先輩とは横山小次郎投手。何せ、中学、高校、大学とすべて同じというから、まさに有藤にとって先輩中の先輩だ。そこで、「オレも後輩に負けぬようカッコつけないといけない」とソワソワしているのが当の横山先輩。ナインからは横山の苗字から連想されるエンタツの下をとってタッチャンとかタツと呼び名がもっぱら。「後輩の前でタツじゃ、タッチャンも浮かばれんぞ」とナインに冷やかされて、横山は人がいいだけに「本当ですね」と思案顔。有藤、横山のユニホーム姿での初対面が見ものである。
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吉沢岳男

2014-11-24 16:25:10 | 日記
1969年

古巣へ再び帰ってきた吉沢は中日から近鉄へ出された当時、濃人監督(現東京)が「吉沢はもう第一線の捕手としては限界に来ているから・・・」との見当ちがいの理由でトレードしたものだが、いぜん捕手として健在なのには驚かされる。その当時、東映さんも、それを見て「吉沢のようないい捕手をどうして中日は出したのかな。ウチ(東映)も欲しい選手だ」と語っていたことがある。それが、こんどの古巣へ復帰、しかも水原監督の就任一年目になったとはちょっとした因縁めいた話である。ところで、当の吉沢は「こんど名古屋へ戻ってくることになったが、どういうものか大阪はなじめなかった。やっぱり故郷へ帰って来たという気分ですよ」とうれしそう。いまでも、名古屋には知人が多く「よく帰ってきたな、来季はぜひ、もう一度がんばってくれ」といった激励も早くもあちこちから受けている。ことしでプロ生活十五年生。しかも捕手の激職にもめげず、現役でがんばっている吉沢のカムバックを知って、後輩の板東投手ら当時を知っている連中は「えらいもんですわ。ワシらも吉沢さんに負けないように、まだまだやらなくては・・」自分にいい聞かせており、若手捕手たちも「いままで以上にポジション争いがきびしくなった。吉沢さんのいい面を見習って負けたくない」とハリキッている。

近鉄から古巣の中日へ七年ぶりに返り咲いた吉沢捕手。さすが投手リードと捕手の守備には、第一人者の定評があるだけに、ドッシリ構えたところはたしかに貫録がある。投球練習では一球一球、投げるコースをミットで構えて指示するが、小川投手にいわせると「とてもきわどいコースだったり、投球のコンビネーションでも、吉沢さんにはいろいろと考えさせられることが多い」といっている。そして、ピッチングのあとには、投手へ適切なアドバイスを与えている。昨年まで近鉄でコーチを兼務していただけに、ポイントをずばりいい当てているので投手陣の信頼も厚い。ところが、本人は「昨年のキャンプにくらべたら、プレーヤー一本だから、ウンと楽ですね」とはにくい。
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佐々木勝利

2014-11-24 15:48:01 | 日記
1969年

「こんどカープにすばらしい投手が入ったよ。アンダースローでね、南海の杉浦そっくり。球威はもちろん、マナーもいいんだなあー。まあ十勝は堅いんじゃないの。その投手とはかくいうわたくし」こういってしきりに売り込むこの男、新人どころか、すでにプロ生活十年の佐々木勝利投手。宮古高から大毎、カープにきてからも七年になる。右の本格派と期待されながら故障続きで、いまだに勝利の味を知らない。この彼が、キャンプ途中からフォームを変えた。これまでとは正反対の下手投げ。「コーチにいわれたんですよ。腰の回転が横なんだ、腕の振りを変えたほうがいいって。ボクは我流を通してきたからフォームは欠点だらけ。だからこれまでよく肩やヒジを痛めたんだと思う。初めは不安だったが形を変えてみるととても感じがいい。無理な感じがまるでないんですね」佐々木はニコニコ顔で、新人のようにことばをはずませてい¥う。首脳陣の評価もなかなかのもの。「かなりフォームも固まってきたし、キャリアがあるだけにおもしろいよ」カープ投手陣は比較的、横や下から投げる人が少ない。それだけにこの佐々木のメドがつけば収穫だ。「十年もプロにいて勝利の味を知らないんではあまりになさけない。名前(勝利)の手前だってね・・・」ごもっとも。
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長持健一

2014-11-24 13:41:02 | 日記
1969年

キャンプインまで、一度も硬式ボールを握ったことがないという、まるで信じられないようなプロ選手がいたというから驚きだ。しかも、その選手はピッチャー、長持健一投手(22)。この長持投手は、昨年十月二十五日、東映多摩川球場で行われた新人テストに応募し、見事合格を果たしたわけだ。国士舘大学を一年で中退すると、野球がやりたいばっかりに自衛隊に入隊、二年間をここで過ごしたあと東京・上目黒にある小西電機に入社。この会社には野球チームがなかったため世田谷にある野球愛好チーム「アカシヤ・クラブ」に入団。エースとして一試合に十七個の三振を奪ったことがあるという。だが、こうなるとなんとかプロで腕を試してみたいと決心してテスト応募、この伊東キャンプでは胸をいっぱいにふくらませて練習に励んでいた。たまたま、この熱心な練習ぶりが松本監督の目にとまり持前の速球をほれ込ましてしまった。しかも、元東急フライヤーズの長持栄吉外野手(現大宮市教育委)の甥であることがわかって、長持は松木監督のエンマ帳に二重丸をつけられてしまった。しかも、二十五日の紅白戦では紅軍の三番手投手として思い切り投げてみろと、土橋コーチから思いもよらぬハッパをかけられた。二回ではあったが大石を三ゴロ、岩下、三沢をともに中飛と、白軍の一、二、三番打者を凡打に討ち取る見事なピッチングを披露。許したのは松村の三遊間安打一本きりだった。これには、松木監督、土橋コーチも二度びっくり。「マウンド度胸も堂々たるもの。軟式から東映にはいってエースになった土橋は変化球を投げられるまでに二年半もかかったが、この長持は二日目でカーブも覚えた」と松木監督。土橋コーチは「なにしろ、きのう初めてカーブを教えたばかりなのにもうきょう投げた。キャンプインしたころは、ろくすっぽストライクもはいらなかったのに、あと一年したらどんなピッチャーになるか。それを思うとこっちがこわいくらいだ」・・・とあきれ顔だ。カーブの投げ方を二日目で覚えプロのマウンドを踏んだという経歴の持主はおそらく世界でもこの長持が初めてだろう。
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榎本直樹

2014-11-24 11:17:52 | 日記
1971年

榎本は一昨年大洋からドラフト6位に指名されたが拒否。中京大から拓銀に就職した。二年前、全日本大学野球選手権大会の優勝投手になった実績がある。丸い童顔をほころばせながら「フォークボールには」と自信の一端を披ろうした。
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山口喜司

2014-11-24 08:59:07 | 日記
1968年

「今後は、さらに自衛隊魂を発揮してがんばります・・・」入団発表の席上でいった山口喜司投手の抱負である。しかもその姿勢は文字どおりの直立不動。これにはさしもの報道陣も口をあんぐり。謹慎、合宿追放と相次いだ昨季のカープ。きびしいことでは十二球団一といっていい。そこに自衛隊西部出身の山口投手である。球団首脳としてはしてやったりといいたいところだろうが、「ナインは大変だ」とは、あるファンの声。この山口投手、球歴も変っている。大分県の中津東高と大分鉄道のときは一貫して外野手。ところが自衛隊にはいった昨年暮、投手に転向した。そのいきさつを入団発表に、山口投手に付き添ってきた野球部監督の守口三佐の「自衛隊にはいってきたとき、外野手、一塁手、投手のテストをやった。私が受けてみたが、実にいいタマを投げる。それで投手にした」というねらいはピタリで、ことしはすばらしい星を残した。木庭スカウトは「彼のピッチングを見てると、とても一年生投手とは思えない。山口君はまったくの掘り出しもので、ひょっとしたらうちの秘密兵器になる。上背(178㌢)もあれば、性格は自衛隊仕込みとあって几帳面そのもの。まあみていてください」と自信たっぷり。その活躍を大いに期待したい。
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大場隆広

2014-11-24 08:08:39 | 日記
1966年

11月5日から中日・秋季練習に参加した大場は、先輩選手にまじってトレーニングに励んでいる。1㍍81、72㌔、骨太のがっちりした体、腰がすごく大きく、強い感じだ。借物という江藤のユニフォームのズボンがきゅうくつそう。投手に転向したのが一年前、カーブは半年前におぼえたという。それでいて、30試合に登板、一試合平均13個の奪三振防御率0・64という成績を持っている。上手からの投げおろしの速球と、落差の大きいカーブが武器である。投手としては未完、幼い頃から農家できたえた強じんな腰と腕は魅力だ。なかなか気もシンも強く抱負を王、長嶋さんにも絶対逃げず、胸元のストレートで三振をとりたいという。中日が対巨人戦用に獲得した、期待の左腕である。
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