プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

飯田敏光

2014-11-28 23:11:15 | 日記
1973年

紅白戦形式のシートバッティングで、ジャンボ飯田が初めてマウンドに上がり、長崎に右中間ホームランを打たれたが、まずまずのピッチングを披露した。なにしろこの男はチーム一の変わりダネ。清水中を卒業して東京電気に入社したが、45年に退社してプロレス入り、日本プロレスで二年間マットに上がっていた。結局は故障つづきで引退、再びサラリーマンに戻ったもののスポーツの世界が忘れられず、今度はプロ野球にあこがれて東映(現日本ハム)、巨人、太平洋のテストを受けて回ったが、すべてはねられた。昨春拾い上げられ、今シーズン選手として初めて契約したばかり。「去年はテスト生で一度も打者を相手にさせてもらえなかった。きょう初めてマウンドに上がりました。やっぱり上がりましたね」といいながらも永年の夢が実現してさすがにうれしそう。稲川コーチは「まだ素人に毛の生えた程度。でも楽しみなピッチャーですよ。あれだけの球が投げられるんだからー」といっている。
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鵜飼克雄

2014-11-28 21:25:01 | 日記
1973年

1位指名した鵜飼は無名に近い選手だが「縦の大きなカーブとコントロールが武器。スピードも十分だ」控えめな瓜生編成部長の10勝は確実と踏んだ貴重な戦力だ。それだけに七回におよんだ交渉が並たいていでなかったことを物語っている。「入団を決めたのは正月明け。迷いながらこばんでいたのでは後悔や未練が残る。これではいけない」ドラフト直前に生まれたばかりの長男康之ちゃん以外、鵜飼の周囲は反対したという。それだけに決めたあとは「反対を振り切っての入団だ。余計力いっぱいやらなければ」と言い切る。
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小鷹卓也

2014-11-28 21:18:49 | 日記
1973年

ロッテは、ドラフト2位指名の埼玉・飯能高・小鷹卓也投手(18)=181㌢、76㌔、左投げ左打ち=の入団発表を十七日午後二時、東京・西大久保の球団事務所で石原代表、金田監督が立ち会って行った。契約金700万円、年棒は150万円(いずれも推定)で、背番号はすでに大洋へ復帰の決まっている鬼頭の21を引き継ぐ。

同投手は甲子園大会にこそ出場していないが、昨年夏の県予選の対萩高戦、今春関東大会県予選で計二回ノーヒット・ノーラン試合を記録。今夏の甲子園では県予選準決勝で川越工高に敗れている。左の本格派で落差の大きいカーブを主武器に1試合20三振を取ったこともあり、在京球団各スカウトに早くから目をつけられていた。発表の席でも「先輩の松原さん(大洋)に次いで飯能からはプロ入り二人目です。指名されたらすぐプロでやりたいと考えていました」とがっしりした体ではきはきと答えていた。また金田監督は握手を交わしながら「いまが花、これから地獄の苦しみを味わうんやで」と変な激励をしていた。
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佐々木剛

2014-11-28 20:38:19 | 日記
1967年

産経は十六日、新人テストで合格した佐々木剛投手(18)=175㌢、70㌔、右投げ右打ち、釜石北高=と東京有楽町の産経球団事務所で正式に契約した。同選手は同夜東京九時半発の特急はやぶさで西下、十八日の練習からキャンプに参加する。

シートバッティング三日目。80打数24安打、やや当たりを取り戻してきた。醍醐、山本を相手に、徳武が1本塁打を含む3安打を放って好調。「いま彼が一番振れている。この調子を続けてもらいたいもんだが・・」と岡本コーチ。このほか丸山、倉島がそれぞれ本塁打を含む2安打して好調。テスト合格の新人佐々木投手が前夜宿舎入りしてこの日初練習、ブルペンで約100球、早くもスピードのある球を投げ込んだ。テストの日から注目していた中原コーチは「コントロールはいいし、球は速い。これは大物になるぞ」と目を細めていた。なお十九日午前十時半から新人テストを行う。
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