1959年
黒崎武遊撃手・・・同選手は元来投手で、夏の大会予選では三塁にすべり込んださいの負傷で作新学院に敗れたが、その後回復し、甲子園から帰った作新学院を7対2と降している。だが東映ではサイド・スローの同選手よりも、遊撃手としての技術を高く買っており、東映としては本格的に内野手として育てるといっている。内野が弱い弱いといわれながら、内野の補強が思うようにいかなかった東映にとって、同選手の入団は大きく、フット・ワークのいいこと、打力のあることからして、岩本監督も、「さっそく来シーズンから木村とともに遊撃のポジションを死守してくれるだろう」と目をほそめている。
黒崎武遊撃手・・・同選手は元来投手で、夏の大会予選では三塁にすべり込んださいの負傷で作新学院に敗れたが、その後回復し、甲子園から帰った作新学院を7対2と降している。だが東映ではサイド・スローの同選手よりも、遊撃手としての技術を高く買っており、東映としては本格的に内野手として育てるといっている。内野が弱い弱いといわれながら、内野の補強が思うようにいかなかった東映にとって、同選手の入団は大きく、フット・ワークのいいこと、打力のあることからして、岩本監督も、「さっそく来シーズンから木村とともに遊撃のポジションを死守してくれるだろう」と目をほそめている。