プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石原碩夫

2014-11-14 07:00:58 | 日記
1964年

昨シーズン末、東映の任意引退選手となってプロ野球から一度足を洗った石原碩が、本格的なカムバックを目差して連日汗みどろの精進を続けている。石原は一昨年、南海、阪急に勝って2勝2敗の成績を残したが、昨年は登板に恵まれず、10試合で2敗という不振。この不振に、本人もいや気がさしたのか、昨年末には再契約にも応じないまま、あっさり郷里の岡山に帰ってしまった。実家は岡山市並木町で牛乳販売店をやっているが、兄弟はこの石原と、大阪で就職している弟だけというわけで、両親も引退を賛成した形だった。ところが東映の家庭の事情がそれを許さなかった。というのは、同じ下手投げの安藤元が伊東キャンプですでに移動性軟骨というヒジの故障から使える見通しが立たず、アンダースロー投手は若い柴田しかいない。「ピッチング・スタッフにバラエティをつけるには石原をもう一度呼びもどすほか手はない」ということになって、三月、福山で行われた広島とのオープン戦のとき、水原監督が石原を呼んで復帰の説得に成功したわけだ。五月二十日の西鉄戦(平和台)でカムバック初の登板。それ以来勝星には関係ないが、東京、近鉄、南海戦にショート・リリーフで顔を出している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

峰国安

2014-11-14 06:46:30 | 日記
1964年

「自分でもこれだけ投げられるとは思いませんでした」五月二十八日、対国鉄12回戦(神宮)で三年ぶりに勝利投手となった峰は大喜びだった。峰の先発は三十六年の九月九日(対広島24回戦)以来だから、三年ぶりのチャンスをものにしたわけだ。長崎海星高から大洋入りして六年目。過去2勝5敗の成績は頭打ちの感じだった。対馬灘でオールをこいで鍛えた足腰は強じんそのもの。そして赤銅色に日焼けした分厚い胸も豪球投手の条件にピッタリのものを持ってはいたが、とにかく、ここ二、三年の峰は折角の素質がカラ回りしている感じだった。ところが今年は別所コーチの入団で峰はキャンプからたたきなおされた。大洋一といわれる重い球に加え、沈む球、フォーク・ボールも覚えた。一番身についたのは峰の伸び悩みの原因といわれてきたコントロールだ。「ピンチになっても思い切ったピッチングが出来たのはコントロールに自信があったからでしょう」この峰がハッスルした原因は技術的なものだけではないようだ。というのは、昨年まではイースタンでもさっぱりだった後輩の高橋重が快調に飛ばしていること。もう一つは高校時代からのライバルだった西鉄の杉町(長崎南山高)が、ことしからまたピッチャーに転向して投げ始めた、この二つにあるようだ。このふたりが元来欲のなかった峰に、「負けてたまるか」という敵がい心を大いに燃え上がらせてようである。三年ぶりの1勝の自信はすごい。五月三十日の巨人戦(川崎)では見事にしめくくり、巨人には初めてという金星まで上げて、早くも2勝目。多摩川の合宿はことしから寮長制度をやめて班長というリーダー格が、二、三人いる。この峰もそのひとり。勝星に恵まれ始めたこの班長さんは、朝の体操からランニングに人一倍また精を出している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西田稔

2014-11-14 05:53:48 | 日記
1958年

五日、西宮球場での対東映戦に西田投手が九日を1点におさえ、プロ入り三年で初の完投勝利を記録した。この日は負傷の全快した秋本投手が久しぶりに西田のリリーフで投げる予定であったが、西田のピッチングは快調そのもの、ベンチでも西田に完投させて自信をつけさせてやろうと続投させたとのことだった。

西田 低目にコントロールできたのがよかったと思います。味方がウンと点をとってくれたので気が楽だった。

ー去年に比べて進歩した点は?

西田 スピードがちょっとでてきたカナ。でも本当はわかりません。スピードはもっとつけたいと思うけれど、からだが小さいから、やはり自分にマッチしたピッチングをしなければならないと思っています。カーブと落ちるシュートが武器ですが、ボクの球はクセが多くで、まっすぐに投げても変化するといわれるんですヨ。

同投手は京都の力餅屋の息子である。昨年の暮ごろから付ききりで面倒を見ていた土井垣捕手は、「さっぱりして気性のいい男です。度胸のいいことじゃあウチでも一、二を争うほどですヨ」と語っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする