プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

野崎進

2016-05-10 20:49:50 | 日記
1977年

野崎(千葉商)。晴れてプロ入りー。ヤクルトは十九日、ドラフト指名外の野崎進投手(18)の入団を発表した。同投手は、今夏の千葉大会で見事、千葉商を九年ぶり七度目の甲子園へ出場させる立役者として大活躍。甲子園では1回戦で惜しくも敗れたものの、178㌢、85㌔から投げおろす速球、カーブにはかなりの威力があり将来が楽しみな選手といわれた。甲子園大会終了後、千葉日報社記者にも出来ればプロでやりたいーともらしていたことなどから、さる十一日、野崎を一年から育てていた鈴木監督のもとに、ヤクルト側から話があり、話し合いはスムーズに進み、この日、約六百万円(推定)で入団が正式に決った。

千葉商・鈴木監督の話 野崎の技術などはまだまだだが、野崎が好きだし体力もあるので後輩のためにも一生懸命やって早く第一線に出場出来るようになってもらいたい。

父親・弘さん(45)の話=うちの商売である肉屋のあとを継がせようと思っていたが、本人がどうしてもやりたいというので仕方がない。あきらめました。プロに入った以上はがんばってもらいたい。
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藤木孝二

2016-05-10 20:05:34 | 日記
1959年

阪急ブレーブスは宿願の優勝をめざして連日意欲的なキャンプ(第一陣は高知)を行っているが、ベテラン、新鋭選手にまじって三池高から新しく入団した藤木孝二選手(18)も、西宮球場ではつらつとした動きを見せている。藤木選手は高額の契約金をもらって入ったわけではない。昨秋行われた新人テストを受け、二百人の応募者の中からたった一人合格したという勝利者である。それだけにプロ入門の感激もひとしお深いものがあるわけだ。このほどその藤木選手から本社へ「ブレーブスに入って」と題してつぎのような喜びの手記を寄せてきた。希望にはずむ胸を押えながらキャンプ参加のため上阪したのは一月三十日であったが、翌三十一日には待ちに待った阪急のユニホームをもらった。私は急いで西宮球場近くにある合宿に駆け込んで自分の部屋にカギをかけ、こっそりユニホームを着てみた。胸に阪急ブレーブスと大きく書いてある。三度ほどぬいだり着たりした。上着はいいがズボンのほうが少し大きい。特別に寸法をはかったわけでないからこれは仕方がない。こんなことはどうでもいい。それよりもこのユニホームを早く身につけて練習し、そして一日も早く一軍選手として活躍したい。その晩は夢にまでみた。明けて一日はキャンプ・インだ。午前十時に阪急池田駅に集合して多田神社に参拝したが、おみきを口にした瞬間ようしやってやる。人に負けないぞと言う気持がこみあげてきた。それから西宮球場に引き返して練習に移ったわけだが、ロッカーでユニホームに着替えるときの私は、人がなにを言おうと、どうしようとなにもわからなかった。ただユニホームを早く着ることに夢中だった。ロッカーの前に大きな鏡がある。小走りにその前に立ってみた。三池高校時代の私とガラリと感じがちがう。まだ夢の中に立っているような心持だった。思えば甲子園だけを夢みた私がいまりっぱなプロのユニホームを着ている。自分はもうプロ一年生だ。もう勝負が始まっているのだと自分に言い聞かせたものだ。さあトレーニングは始まった。くる日もくる日もランニング、体操だ。短時間に合理的に行われる。さすがはプロだ。しかし私は少しも苦しくない。四日から軽いバッティングも始めた。一人十本ずつぐらいしか打てないので物足りない感じもするが、調子はすこぶるいいような気がする。十二日の夜、海路高知のキャンプに向かうが、母校のため、また郷土のためがんばってみせる。

藤木選手の横顔

家は熊本県の玉名市だが、野球のために福岡県の名門三池高に進学したという根っからの野球好き。小学校の四年生ごろから柔道の道場に通っただけに、からだつきはどうみても柔道タイプ、肩幅がすごく広くて、上下に伸び悩んだという感じ。しかし身長1㍍72、体重73・5で、本屋敷らと比べると問題にならない。三池高では一年生からレギュラーになって卒業するまで不動の四番打者、守備は一、二年が三塁手で三年生になってから外野に転向した。ヒノキ舞台に出るチャンスがなかったためあまり中央には知られなかったが中距離打者でとくに右翼打ちにすぐれており、高校時代は通算4割8分をマークしている。地元の西鉄からも声がかかったそうだが、藤本監督と阪急のチーム・カラーにひかれて阪急を希望、昨秋西宮での新人テストに、八幡製鉄加藤監督から阪急戸倉コーチにあてた推薦状をもって飛び込み、ベース一周14秒7という俊足を披露したほか、あらゆる種目にも抜群の力量を示して阪急首脳陣の目にとまり、ただ一人の合格者となった。
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