プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

吉良修一

2016-05-26 22:18:47 | 日記
1967年

阪神タイガースは十八日午後一時から大阪市梅田の阪神本社六階会議室で、春の選抜高校野球の優勝投手、津久見高校吉良修一投手(18)=右投げ、右打ち、180㌢、75㌔=の入団を発表した。吉良投手は、選抜高校野球大会に初出場した津久見高のエースとして、優勝戦までの4試合を一人で投げ抜き、武器であるドロップを駆使してみごと全国優勝を成し遂げたもので、西鉄入りした河原(大分商)とともに右の本格派投手として高校球界の双へきといわれた。阪神ではさきの新人選択会議で第二位にランクして交渉権を獲得したが、甲子園球場を本拠地とする阪神に、甲子園大会の優勝投手が入団するのは、三十五年の金子(西条高)いらい七年ぶりである。

吉良投手は母親房子さん(44)に付き添われ、戸沢代表の立ち会いで入団発表の席に姿を見せた。青春のシンボルが顔いっぱいに吹き出し、メガネの奥の目が絶えず笑っていた。報道陣の質問にもハキハキ答えるあたり、いかにも名門校出身らしい折り目正しさ、報道陣との応対は、すでに選抜大会で優勝したときに経験ずみとはいえ、高校生ばなれした落ち着きようだった。吉良投手自身は、日本石油への就職が内定していたが、「家庭の事情とプロでやってみたいという気持からプロ入りに踏み切りました」ちお説明。小学校二年のとき父親重義さんをなくし、母親の手一つで育てられたが「意志の強い子です」(母親房子さんの話)というとおり、シンの強さをのぞかせていた。吉良投手の名を全国に高めた選抜大会では、4試合で奪った三振は51、対高知との優勝では延長十二回を投げて三振16個を奪っている。その試合で、一死三塁に走者を置いたピンチで、打者がスクイズすることがわかっていながら真っ向から勝負して投げ勝ち、試合後「ボクのドロップはスクイズできないと自信を持っていた」と自信満々で語ったことは有名。投手になったのは中学三年のときからだが、中学二年の新人戦には、盲腸を手術してから十五日めに遊撃手として試合に出場したというエピソードもある。野球の強い学校ということで、高校は一人で下宿して校区外の津久見高に進学。二年生の秋の九州大会大分県予選では、臼杵商を相手にノーヒットノーラン試合を演じた。
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佐野卓郎

2016-05-26 20:26:42 | 日記
1963年

ノンプロ日鉱日立の主力打者佐野卓郎遊撃手(21)=享栄商出身、右投げ右打ち、身長174㌢、体重70㌔=は、プロ野球の各球団から入団を誘われていたが、このほど中日ドラゴンズ入りが決定的になった。同選手は近日中に会社へ退社願いを出すことになっている。なおノンプロ選手がプロにはいった場合の研修期間は開幕の日から五十試合である。同選手は三十五年享栄商を卒業と同時に日鉱日立に入社。高校時代から攻、守、走と三拍子そろった好内野手と定評があったが、とくに打撃力がすぐれ、本塁打も数本放っている。ノンプロに進んでからは、三十五年は春、三十六、七年は夏の都市対抗大会に出場、つねにチームの中心打者として活躍してきた。プロ野球からは、高校のとき南海から誘われ、その後国鉄、大毎、阪神なども入団を交渉していた。なかでも国鉄がいちばん熱心だったが、昨年末になって中日が強力に入団交渉に乗り出し、同選手も少年時代から地元ドラゴンズと話が進んだ。名古屋市中区正木町の家庭には両親が段ボール業を営んでおり、三人兄弟。

佐野選手の話 高校のとき南海から話がありましたが、当時はプロでやれる自信がなかったので、ノンプロを選びました。ノンプロで三年間プレーして、自分でもやれる自信がついたから、熱心に誘っていただいたドラゴンズにはいる決心をしたわけです。

新井享栄商監督の話 三年前南海から話があったときに本人から相談を受けたが、あのときはノンプロで二、三年腕を磨いてからの方がいいのではないかと答えておいた。二年生から遊撃をやらせたが、フット・ワークはいいし、リストも強い。性格は負けずぎらいだが、ふだんはおとなしい。勉強次第ではプロでも相当活躍できるのではないか。

高田代表の話 河野君とよく似たタイプの好選手ときいている。研修期間はあるが戦力のプラスになることはまちがいないだろう。
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山崎武昭・井上健仁・岩切正男・阿佐美勝義・舟渡光政

2016-05-26 19:48:29 | 日記
1963年

東映は十五日午後二時十分から東京・銀座西の本社八階特別会議室で法大・山崎武昭投手(22)=1㍍77、74㌔、左投げ左打ち、横浜高・井上健仁投手(18)=1㍍74、73㌔、右投げ右打ち、岩切正男投手(19)=1㍍84、80㌔、右投げ右打ち、足利工・阿佐美勝義(18)=1㍍76、70㌔、左投げ左打ち、鳴尾高・舟渡光政(18)=1㍍79、79㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。山崎は二年からマウンドにあがり法大三回の優勝に貢献。今秋のリーグ戦では10試合に登板して5勝2敗。前半は不調だったが、後半は見事立ち直り、対立大戦でみせた胸のすく快投は法大の優勝を呼び寄せた第一の立て役者だ。左腕からくり出す速球、シュートは右の石岡(明大)と並んで本格派投手として定評があった。山崎投手は「プロの世界は全然わからないが、じっくり研究したい」と顔を紅潮させていた。また甲子園のヒーロー井上投手も国体に出場、準決勝で下関商に敗れはしたが、ハワイ選抜チームにも選ばれている。四番を打っただけあって本人も「投げるよりも打つ方が好きです」と素直にこたえて水原監督、石原代表を苦笑させた。岩切は中野の実践商から駒大を中退。立正佼成会にはいりエースとして活躍、産別大会にも出場している。阿佐美は足利工で長距離打者として鳴らした。通算打率は・360。本人も「このうちホームランは10本くらい打ちました」と自身満々だった。舟渡は鳴尾高校の四番打者、俊足とリストのきいたバッターで通算打率・425と高打率をマークしている。

山崎投手の話 東映を選んだ理由は、東映が一番熱心に私を誘ってくれたからです。プロの選手になった以上は人一倍のピッチングを研究して一日も早く第一線で働きたいと思っております。いままでは直球には自信がありましたが、これからは変化球ももっと研究したいと思います。僕は投げれば投げるほど調子が出る型だから期待を裏切らないようがんばります。
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森川卓郎、関根勇、山田治之、雑賀幸男

2016-05-26 19:14:20 | 日記
1963年

広島カープでは九日午後二時半から広島市民球場内事務所で山本代表、白石監督、西野スカウト立ち会いのもとにつぎの入団選手の発表を行った。

投手 森川卓郎(22)広島商ー神奈川大、1㍍73、67㌔、左投げ左打ち
捕手 関根勇(19)大阪高ーPL、1㍍74、73㌔、右投げ右打ち
山田治之(17)名古屋電気工、1㍍73、73㌔、右投げ右打ち
内野手 雑賀幸男(19)興国商ー関大中退、1㍍77、73㌔、右投げ右打ち

森川は横浜五大学秋季リーグ戦で5勝1敗、防御率1・20台をマーク、左からのストレートに自信を持っている。関根はノンプロPL教団で五番を打ち、3割台の打率を残した中距離打者、強肩、俊足でもある。山田はこれまで3割5分の打率をマークしている好打者。捕手と外野手をかねていただけあって足も速い。雑賀は高校時代打率・380、10ホーマーを記録、関大にはいっても代打、一塁手として登場している。

白石監督の話 四人とも新しい戦力として期待している。とくに森川はウチに必要な左投手だけにうまく育てたい。
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