プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山口富康

2016-05-08 23:09:56 | 日記
1955年

山口富康(21)=遊撃手、浜松西高ー河合楽器、右投右打、5尺6寸、17貫5百。高校卒後、北海道炭鉱、大生相互を経て河合楽器に移りその間遊撃手として軽快なフィールディングを誇った。岡田源三郎(明大OB)のコーチを受けたこともあり、柔軟な身体は遊撃手としてうってつけ。打力に弱いのが難。
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平田晟

2016-05-08 23:00:41 | 日記
1955年

平田晟(18)=泉陽高、右投右打、五尺七寸、20貫、広島と並んで同じ関西高校球界で鳴らした強打者、昨春の選抜大会では横溝投手(岡山東=現広島)の速球を本塁打して強打が認められ、その強肩とともに馬力のある大型捕手。ガッチリしたタンクを思わせるような選手だがやや足が遅いのが難。数多いプロ球団の勧誘を受け中日が獲得した。
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中沢春雄

2016-05-08 21:39:35 | 日記
1970年

中沢は立大時代から三塁手。本多技研では今季公式戦、四番を打ち打率4割1分をマーク。社会人球界では末永(阪神入団決定=熊谷組)と一、二を争う好内野手。
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中西由行

2016-05-08 18:00:56 | 日記
中西は球にクセがあり、重くて速い左腕投手。粗けずりで素質的には、スケールの大きい投手になるのではないかと思われた。ある程度のコントロールがつけば、一線級投手として活躍できると思われた。右打者のヒザ元をつくスライダー気味の速球と、カーブに威力があった。しかし精神的に集中力がなく大成せずに終わってしまった。性格はチャランポランで遠征のとき、ゲタばきで行ったり、色街から球場通いをしたりで先輩達をア然とさせた。そういう性格だから、いい時と悪い時がはっきりしていた。人を人とも思わぬずぶとさで巨人戦に好投するときがあった。感じからいえば、いまの松本に似たところがある。松本ほどのしぶとさはなかったようだ。
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浮州重紀

2016-05-08 17:52:45 | 日記
タフな男だった浮州は、フリーバッティングで一時間投げても疲れをしらなかった。球が重くて速く打者のイヤがるタイプの投手だった。二十七年の十月五日、対松竹(大洋の前身)戦で初先発、初勝利、初完封(5安打)の初ものずくめで門出を飾った。インコースのシュートもいいし、体力的にも恵まれている。二十八年のシーズンも楽しみにしていた。が、不運にも春の練習中に右足首をねんざし、治っても右足のグリがなくなり球の威力を失った。加えて故障からくる無理な投げ方がたたり右ヒジを痛め投手生命を速く縮めたのは惜しまれる。
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富永格郎

2016-05-08 17:39:44 | 日記
1954年

ハワイ遠征チームの一員として活躍した立命館高校のエース富永格郎投手(18)=京都市中京区西ノ京小堀町2番地=は十二日南海入りが決定し、正式契約は二、三日後に行われることになった。五尺九寸、二十貫五百、右投右打、外角低目をつく速球とカーブ、ナックル、シンカーと多彩な球質をもっている好投手で、南海、東映、大映の各球団から勧誘されていた同選手は一時東映入りが決定したかのごとく東映が入団を一方的に発表。両親ならびに学校当局がつむじをまげ、先輩にあたる中谷投手の勧誘が実を結んだものである。

実父朝太郎氏談 東映のやり方があまりえげつないので白紙にもどしてもらった。子供のプロ入りについては学校当局と野球部監督に一任してあり、どの球団でも本人を育ててくれるチームなら喜んで契約します。幸い南海が引き受けてくれたので話を進めました。
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法元英明

2016-05-08 14:31:14 | 日記
1955年

中日ドラゴンズはこのほど法元英明投手(20)=関大=の正式入団を決定、近日中に契約を行う。同投手は現在関大三年に在学中で家庭の事情により中途退学したもの。すでに中日球場で行われている若手組の練習に参加している。八尾高校時代は早大のエース木村のひかえ投手として右翼手、三番を打ち二十七年の全国大会には堂々決勝戦にコマを進めた経験をもっている。関大に進んでからは投手で活躍し、昨秋あたり一時肩をこわしたため右翼手で打撃を生かしたが、足も速くそのシャープな打撃には非凡なものがある。左投左打、五尺六寸、十七貫で最近のプロ選手としてはあまり大きな方ではないががっちりしており、スリークォーターからの速球が武器。家庭(大阪市東住吉区加美新家町)はセルロイド加工業を営み二人兄弟の長男。

法元投手談 プロ野球の試合はよくみる方でドラゴンズの試合も何回かみています。ドラゴンズのスマートさと明るいチーム・カラーが好きでプロならドラゴンズに入りたいと早くからあこがれていました。練習に入ってからまだ何日も経ちませんが監督さんはじめみないい人たちばかりです。カーブのコントロールがないので早くおぼえたいと思っています。

野口監督談 まだゆっくり見ないとわからないが人間はしっかりしている。本人は投手をやりたいといっているのでやらす予定だがだめならバッティングを生かしてもよい。ちょっと見たところ実戦向のシャープなバッティングをしている。
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岸勝之

2016-05-08 13:53:47 | 日記
1965年

横浜高岸投手の大洋入りが二十二日決まった。小田原市小八幡346の自宅で入谷スカウトと父勝五郎さんと話し合った結果、決まったもの。正式契約は二十七日。岸は平岡の一年後輩で神奈川県一の好投手といわれていた。

岸投手の話 大洋は大好きだ。平岡さんに負けぬようにがんばりたい。
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星山晋徳

2016-05-08 12:57:22 | 日記
1965年

産経の星山晋徳内野手(27)が十五日、有楽町の球団事務所で引退を表明した。かねてからトレード要員に指名されていた同選手は、この日午後二時すぎから友田社長と話し合った結果、大幅減棒による契約更改を不満とし引退を表明球団は直ちに「任意引退選手」としてこれを了承した。星山選手は中京商高から三十三年阪神へ入団、三十六年中日、三十七年国鉄(産経)に移籍、ことし八年選手。この間526試合に出場して266安打、24ホーマー、109打点通算2割2分1厘。

星山選手の話 いろいろ考えたが、思い切ってプロ野球をやめることにした。これからは名古屋へ商売を始める予定だ。
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薮上敏夫

2016-05-08 11:42:41 | 日記
1970年

和歌山県・向陽高の投手として昨年春の選抜高校野球大会に出場、ことし新日鉄広畑に入社し春の兵庫県大会で最優秀選手に選ばれた。投手成績6勝4敗。背番号36。薮上投手は「高校からすぐ入団するのは精神面で不安だったので一年社会人生活を経験した。島本(箕島高)とは高校時代、三回顔を合わせ2勝1敗で勝ち越している。目標の選手はいないが、できるだけの力を出してやりたい」
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宮本四郎

2016-05-08 08:35:23 | 日記
1974年

大洋からドラフト二位で指名された中京大・宮本四郎投手(22)=三重高出、1㍍78、65㌔、左投げ左打ち=の入団が、十四日内定した。同日午後五時から宮崎スカウト部長(前監督)、湊谷担当スカウトが松阪市中町の和田金で同投手と父親一男氏(61)=公務員=ら家族を交えて四回目の入団交渉を行い、最終的な合意に達して契約書に調印した。契約金約一千三百万円、年棒約二百五十万円(いずれも推定)。大洋では今季ドラフト選手の入団第一号。正式発表は来年一月十日ごろ。
三重高時代、春の選抜で甲子園を踏み、中京大では三年の春季リーグからエースとして、左上手からの落差のあるカーブとナチュラルシュートを武器に力投。公式リーグ通算16勝13敗。防御率1・84の好成績を記録した。湊谷担当スカウトは「宮本君のピッチングには去年の春から目をつけていた。うちは来シーズンの強化ポイントが投手陣、特に左投手が不在に近いので、即戦力としてまとまっている宮本君の獲得はプラスだ。キャンプでみっちり鍛えれば、まだまだ球威が増すプラスアルファも秘めている」と高く評価。大洋首脳陣では藤田ピッチングコーチが、巨人のスカウト時代に瑞穂球場に何度も通って宮本の特徴を知っているだけに好都合だ。「ノンプロからの勧誘もあったが、思い切ってプロで勝負をかけることにしました。おやじたちは初めはプロ入りに反対でしたが、ぼくの意思の強いのを知って許してくれました。キャンプでは、ストレートの切れをよくすることと、もう一種類変化球をマスターしたい」と同投手は意欲的。早く一軍のローテーション入りして、大学の先輩、生田(ヤクルト)高校の同級生、伊藤泰(中日)と対決したいそうだ。
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原精次

2016-05-08 07:26:24 | 日記
1955年

大映入りを伝えられていた日立製作所の原精次投手(二〇、銚子商出身)は十八日午後大映本社を訪れ、松浦代表立会いの上で同球団と正式に契約を結んだ。同選手は右投、オーバーハンドの正統派で快速球は定評があり、ノン・プロ球界屈指の好投手。
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内海武彦

2016-05-08 07:15:27 | 日記
1954年

中日ドラゴンズでは九日内海武彦(21)内野手=倉敷レイヨン西条工場勤務=と正式契約を完了した旨発表した。同選手は五尺九寸七分廿一貫で右投右打の大型打者として定評がある。尾道商出身、廿六年春同志社大学に進学、一年間野球部で遊撃手を勤めたが中退、二十七年五月倉敷レイヨン入りして以来四番打者、三塁手として都市対抗などに出場し、とくにここ一、二年の間は西鉄始め各球団から激しい交渉が続けられていた。同選手の入団はドラゴンズ打撃陣に新威力を加えるものと期待される。

内海選手談 入団の理由はドラゴンズがいいチームで自分が好きだから入団した訳です。とくに打撃に一層精進を積んで行きたい。
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