プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ロナルド大森

2016-05-16 21:56:17 | 日記
1963年

大毎オリオンズは本年度のチーム補強の最終工作として、かねてから外人遊撃手の獲得工作を続けていたが、二十八日、シアトル大学のロン・大森遊撃手(同大四年在学中、右投げ、右打ち、二十歳)を入れるためドジャーズのオマリー会長を通じて交渉する。同選手を大毎に紹介したのは太田会長と親交のある田中元彦日本ナショナル金銭登録機副社長。二月二十五日田中氏のところへ米国の知人から「大森選手が日本のプロ野球でプレーしたいといっているから紹介してくれないか」という手紙が届いたので、同月二十七日夕方永田会長に連絡したことから具体化したものである。永田会長は、二十八日午前京橋の大映本社社長室で大森選手の球歴、記録を調査し①年齢が若く強肩強打の持ち主②万能選手で足も速い、ということを買って交渉することに決定、オマリー会長に「大森選手をロサンゼルスに呼んでどのていど実力があるかテストし報告してくれ」と国際電話をした。同選手は今秋ロサンゼルス・ドジャーズ、ピッツバーグ・パイレーツ、シンシナチ・レッズ三球団から勧誘されたが、プロ野球をやるなら母国の日本でプレーヤーになりたいという強い希望を持っているので、ことわったらしい。大学時代の記録は一年(一九五九年)打率3割7分。二年(六〇年)打率3割9分1厘、盗塁王(六一年)打率2割8分7厘、盗塁王。四年(六二年)米国アマ学生野球協会の規定が登録三年のため休部。

永田会長の話 ロンの記録をしらべたら有望なので、オマリー会長にテストを依頼した。テストの報告がよければすぐ条件など具体的な提示をして獲得折衝を進める。大学時代野球のオフにバスケットボール、アメリカンフットボールなどのプレーヤーとして活躍しているというし、運動神経もよさそうだ。俊足で年が若いというのも気に入った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麻生実男

2016-05-16 21:03:20 | 日記
1959年

昨夏の都市対抗で大して評判にもあがっていなかった岡山(倉敷レイヨン)が、岐阜(川嶋紡績)大阪(日本生命)と連破して準々決勝に進出した。いずれも延長戦で逆転試合のスリルを満喫させてくれた。そのヒーローが麻生である。1㍍68、70㌔という小柄なヒーローだった。対岐阜戦は試合時間四時間五分という新記録、延長16回表に一点をとられた岡山が、その裏麻生の安打でチャンスを作って二点をかえしサヨナラ勝ち。対大阪戦も延長10回という試合で、麻生は六回、左翼中段に逆転2ラン・ホーマー、九回には満塁の走者を一掃する右中間三塁打と岡山の得点5を全部一人でたたき出している。つづく東京戦には5-0で完敗したが、対大阪戦で左腕伊藤のカーブをレフト・スタンドにホームラン、外角球を右中間にもっていったしぶといバッティングは印象に残った。大会後、デトロイトに遠征する全日本軍メンバー(大沢主将ら18名)にただ一人の高校出身選手としてピック・アップされた。麻生は四試合行われた壮行試合にも、二度試合の後半に出場したほどだったが、デトロイトでの活躍は目ざましかった。松本遊撃手(全鐘紡)が大会直前になって足首を捻挫したので麻生が遊撃を守ることになった。打順は九番だった。第一線の対カナダ戦、五回に麻生の中越三塁打で日本は先取点をとった。大会後の表彰式で麻生はチャーリー・ゲーリンジャー・トロフィー(最優秀選手賞)を与えられるとともに、世界オールスターにも日本から鈴木投手=大洋、島津投手=熊谷組、堀本投手=日本通運、種田捕手=全鐘紡、竹之内一塁手=全藤倉らとともに選ばれている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯田敏光・河井進

2016-05-16 20:11:15 | 日記
1972年

大洋は一日、入団テストの合格者を発表した。テストは十一月二十六日、川崎球場で八十五人が参加して行われたが、合格者は二人。近日中に契約をかわす。

【合格者】

飯田敏光投手 二十三歳。1㍍92、92㌔、右投右打、清水中卒、三島電業社勤務。静岡県駿東郡出身。

河井進外野手 二十三歳。1㍍73、74㌔、右投右打。城西大。埼玉県入間郡出身。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする