1963年
大毎オリオンズは本年度のチーム補強の最終工作として、かねてから外人遊撃手の獲得工作を続けていたが、二十八日、シアトル大学のロン・大森遊撃手(同大四年在学中、右投げ、右打ち、二十歳)を入れるためドジャーズのオマリー会長を通じて交渉する。同選手を大毎に紹介したのは太田会長と親交のある田中元彦日本ナショナル金銭登録機副社長。二月二十五日田中氏のところへ米国の知人から「大森選手が日本のプロ野球でプレーしたいといっているから紹介してくれないか」という手紙が届いたので、同月二十七日夕方永田会長に連絡したことから具体化したものである。永田会長は、二十八日午前京橋の大映本社社長室で大森選手の球歴、記録を調査し①年齢が若く強肩強打の持ち主②万能選手で足も速い、ということを買って交渉することに決定、オマリー会長に「大森選手をロサンゼルスに呼んでどのていど実力があるかテストし報告してくれ」と国際電話をした。同選手は今秋ロサンゼルス・ドジャーズ、ピッツバーグ・パイレーツ、シンシナチ・レッズ三球団から勧誘されたが、プロ野球をやるなら母国の日本でプレーヤーになりたいという強い希望を持っているので、ことわったらしい。大学時代の記録は一年(一九五九年)打率3割7分。二年(六〇年)打率3割9分1厘、盗塁王(六一年)打率2割8分7厘、盗塁王。四年(六二年)米国アマ学生野球協会の規定が登録三年のため休部。
永田会長の話 ロンの記録をしらべたら有望なので、オマリー会長にテストを依頼した。テストの報告がよければすぐ条件など具体的な提示をして獲得折衝を進める。大学時代野球のオフにバスケットボール、アメリカンフットボールなどのプレーヤーとして活躍しているというし、運動神経もよさそうだ。俊足で年が若いというのも気に入った。
大毎オリオンズは本年度のチーム補強の最終工作として、かねてから外人遊撃手の獲得工作を続けていたが、二十八日、シアトル大学のロン・大森遊撃手(同大四年在学中、右投げ、右打ち、二十歳)を入れるためドジャーズのオマリー会長を通じて交渉する。同選手を大毎に紹介したのは太田会長と親交のある田中元彦日本ナショナル金銭登録機副社長。二月二十五日田中氏のところへ米国の知人から「大森選手が日本のプロ野球でプレーしたいといっているから紹介してくれないか」という手紙が届いたので、同月二十七日夕方永田会長に連絡したことから具体化したものである。永田会長は、二十八日午前京橋の大映本社社長室で大森選手の球歴、記録を調査し①年齢が若く強肩強打の持ち主②万能選手で足も速い、ということを買って交渉することに決定、オマリー会長に「大森選手をロサンゼルスに呼んでどのていど実力があるかテストし報告してくれ」と国際電話をした。同選手は今秋ロサンゼルス・ドジャーズ、ピッツバーグ・パイレーツ、シンシナチ・レッズ三球団から勧誘されたが、プロ野球をやるなら母国の日本でプレーヤーになりたいという強い希望を持っているので、ことわったらしい。大学時代の記録は一年(一九五九年)打率3割7分。二年(六〇年)打率3割9分1厘、盗塁王(六一年)打率2割8分7厘、盗塁王。四年(六二年)米国アマ学生野球協会の規定が登録三年のため休部。
永田会長の話 ロンの記録をしらべたら有望なので、オマリー会長にテストを依頼した。テストの報告がよければすぐ条件など具体的な提示をして獲得折衝を進める。大学時代野球のオフにバスケットボール、アメリカンフットボールなどのプレーヤーとして活躍しているというし、運動神経もよさそうだ。俊足で年が若いというのも気に入った。