プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石田真

2016-05-15 17:42:24 | 日記
1972年

阪急がドラフト会議で第一位に指名した足利工・石田真投手(18)=1㍍81、75㌔、右投右打=の入団が二十五日決まった。丸尾編成部長、矢野スカウトが同日午後七時半、足利市通二丁目の足利館に佐藤野球部長、樋口監督、父親・義二郎さん(47)、母親・ふく子さん(47)、本人を招き三度目の交渉を行った。席上、契約金一千万円、年棒百八十万円(いずれも推定)の規定最高額を提示、入団の了解を得た。正式契約は後日、大阪・北区の球団事務所で行う。ドラフト会議の翌日(二十二日)に足利入りした矢野スカウトは関係者にあいさつをし、さっそく交渉を開始した。石田は在京球団を希望していたため交渉は難航しそうな気配だった。しかし、この日丸尾編成部長が応援にかけつけ三回目の交渉で阪急入りが決定した。父親・義二郎さんら家族と佐藤野球部部長、樋口監督が出席した約三時間の話し合いで阪急は規定額最高の条件を提示。改めて阪急に必要である選手であることを強調、その結果、石田側から「よろしくお願いします」との了解を得た。石田は今夏の甲子園大会に出場、一回戦の名護戦で12三振を奪う好投。二回戦の中京商には負けたが日大桜丘・仲根、秋田市立・船木と並んで高校球界のビッグ・スリーの評価を受けていた。

石田投手 「一位に指名され、しかもパ・リーグの優勝チームだけにやりがいがある」
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小林国男

2016-05-15 16:41:13 | 日記
1972年

ヤクルトは十三日午後、東京・港区東新橋のヤクルト本社で、昨年のドラフト会議で十二位指名、獲得した小林国男投手(22)=1㍍74、72㌔、左投左打、享栄商、西濃運輸=の入団を発表した。同投手は発表に先立ち、契約金七百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)で正式契約。発表には松園オーナーも立ち会った。背番号は未定。同投手は上手投げからの速球投手で、享栄商のエースとしてノーヒット・ノーラン試合を四度達成、四十三年には甲子園にも出場。一回戦で倉敷高に敗れたが、西濃運輸にはいりリリーフ投手として頭角を現してきた。ことしの都市対抗でも準決勝で日本楽器に敗れたが、2勝をあげ、公式戦の成績は10勝4敗。ヤクルトでは昨年のドラフト会議で十二位指名、十数回交渉を重ねてきたが、会社側が手放さず、産業対抗野球が終って、やっと入団にこぎつけた。

小山スカウト部長 「調子にのったらものすごいスピードボールを投げる。カーブの切れもいいし、激しい気性を持っている投手だ。ちょっと時間はかかるが、必ず一軍には出てくるだろう。ことしウチがとれなかったら、ドラフトで二巡目までには指名されているだろう」

小林投手 「去年は会社の都合もあったが、プロ入りする自信がなかった。でもことしの都市対抗でいけるんじゃないかと思い、入団を決めた。ヤクルトは若い人がそろっていて好感が持てるチームです。先輩の金田正一さんのようになりたいと小さいときは思っていましたが、いまは一日も早く一軍にはいれるようがんばります。とにかく自分のピッチングのように、真っ向からプロで勝負してみたい」
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波山次郎

2016-05-15 16:04:37 | 日記
1959年

大洋は十五日午後三時から東京旧丸ビル精養軒でさきに入団が内定していた東北高・波山次郎投手(18)と正式契約した。またこの席上、鎮西高・高城公治(18)布田敏雄(18)の両外野手の入団も発表した。

波山投手の話 「大洋は中学時代から一番好きな球団でプロでやるならどうしても大洋でという気持でした。プロの試合は昨年一度仙台での二軍戦を見ただけですがテレビでは大洋の試合は欠かさず見ています。早くプロの生活になれたみなさんになんとかついていきたいと思っています。ことしいっしょに入った人たちには負けたくありません。国体には出ません」

森球団社長兼監督の話 「波山君のピッチングは甲子園大会のときテレビで見ただけだが、杉町君に投げ勝った実績からいっても優秀な素質をもっていることはたしかだ。他の球団の誘いを断ってウチを選んでくれたことはうれしい。来年のローテーションに入れるかどうかはキャンプの成果をみてからだが、私は彼のファイトに期待している」

波山次郎投手・・・昨年夏の甲子園大会の一回戦では南山高の杉町投手に1-0で投げ勝ち、17三振を奪った。今年の甲子園大会でも健闘してベスト4に勝ち残っている。東北高のエースで四番を打つ文字通りの大黒柱。コントロールのいい鋭いドロップが武器。1㍍73、68㌔、右投右打。
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櫛笥厚正

2016-05-15 14:44:52 | 日記
1960年

中日ドラゴンズは九日正午、市内中区西川端町の同球団事務所で櫛笥厚正(くしげあつまさ)投手(18)=埼玉県川越工三年、左投左打=との正式契約を発表した。中日での本年度正式契約第一号である。同選手は高校一、二年のときは外野、一塁を守り、三年からは投手に転向。今夏の大会予選では埼玉県準決勝で代表となった川越高に2-0で敗れたが、オープン戦では6-1で快勝している。成績は十六勝四敗。カーブなど変化球はまだあまいが、1㍍81の長身からくり出すスピード・ボールには威力があり、一試合平均10三振を奪っている。打撃面でも四番で、本塁打6本を打ち、投打ともチームの中心。1㍍81、75㌔。

櫛笥選手の話 「後楽園でよくプロ野球をみましたが、中日がなんとなく好きで、東映や国鉄などからも話があったが、好きな中日をえらびました。プロではスピード・ボールだけでは通用しません。だから少しも早くウイニング・ショットをおぼえたい。またシュートもぜひマスターしたい」

平岩代表の話 「予選がすんでから話がきまったが、ウチが一番早かったのできてもらうことが出来た。六尺の長身で左、これだけでも魅力だ。今年は学校があるので来年からバリバリやってもらう」
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杉斉英

2016-05-15 13:23:16 | 日記
1965年

中日ドラゴンズは二十八日、名古屋市中区川端町の球団事務所で長崎県五島本島福江中三年生、杉斉英(すぎなりひで)投手(15)の入団を発表した。右投げ右打ち。身長1㍍82、体重78㌔という怪童。しかも昨秋の長崎県下中学校陸上競技会に百㍍12秒0、走り高とび1㍍55で各一位、砲丸投げ11㍍50で三位。三種目の総合優勝をした俊足、柔軟なからだの持ち主。相撲も島内大会で個人優勝している。また野球も島内大会に投手兼一塁手として出場したがチームが一回戦で敗れたためむしろ相撲で名が知られていた。同選手にまず目をつけたのは長崎県五島出身の大関佐田の山をもつ出羽ノ海部屋。この島からはかつて双葉山時代に大関まで進んだ五ツ島(出羽ノ海部屋)もでており同部屋では将来有望力士になれる大物と折り紙をつけて昨秋以来三回にわたって熱心に入門をすすめていた。また高校球界でもこの逸材を見のがすはずがなく、地元の名門海星高はじめPL学園、鎮西高が入学を勧誘するなど、相撲界と野球界が激しい争奪戦を演じていたもの。中日の獲得工作は出足で一歩遅れたが「やるならプロ野球で」という希望をもっていたので、さる二十一日から約一週間にわたる柴田チーフスカウトの積極的なに入団交渉が実ったもの。父四郎太夫氏(54)=元福江市市会議長=の五男で、正式契約は同選手の卒業式(三月十六日)後、来名(十八日ごろ)を持って行われる。中日にはさきに決まった松本忍投手(15)=長崎県諫早北中=と二人の中学生選手が入団したわけだが、松本と同様、野球選手として養成しながら、定時制高校(ともに名古屋市立中央高校入学志望)に通って勉強することになっている。背番は未定。

高打代表の話 ことしすぐにという選手ではないが、みっちりやれば必ず頭角をだしてくるだろう。左の松本、右の杉で長崎出身の両投手が、球界に一波乱おこす時代がくるに違いないと楽しみにしている。

柴田チーフスカウトの話 杉投手のウワサを聞いたとき、中学生としてのからだのおおきさにまさかと思い、どこかに欠点があるのではと疑問も持ったが、実際にみて足といいからだのやわらかさといいこれだけそろった選手はないとびっくりした。十五歳というのに新入団の加藤斌投手(作新学院)と同じほどの上背だし、手のひらも大きい。大物の素質はじゅうぶんにある。
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才所俊郎

2016-05-15 12:41:38 | 日記
1972年

太平洋クラブの才所俊郎内野手(30)は十三日、市内中央区天神の球団事務所で坂井代表から二軍マネジャー転向の要請を受けた。才所は現役を続ける意思はなく、二、三日中に承認の返事をする。小室光男二軍マネジャーと現役を退いた古屋哲美内野手(25)は球団の営業部員になる。
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中村正義

2016-05-15 12:11:13 | 日記
1972年

太平洋クラブは八日、東京・港区赤坂の中村事務所でドラフト外で獲得したノンプロ東芝・中村正義捕手(26)=1㍍75、70㌔、右投右打、早鞆高出=の入団を発表した。中村は四球団から入団の意向を打診されていながら、ドラフト会議では指名されなかったため、太平洋へ「使ってほしい」と売り込み、同球団が獲得に踏み切ったもの。プロにはいるきっかけは「パ・リーグのある球団の不誠実さだ」という。ドラフト会議前、中村はそのスカウトに会った。プロ入りする意思があるかどうかを聞かれた。中村は、すかさず「ある」と答えた。そのスカウトは「ドラフト会議でウチが指名するから、その時は入団して欲しい」という。中村にしてみれば堅い約束をしたつもりだった。だから、上位ではないにしても下位にはリストアップしてくれると信じていた。ところが、十一月二十一日の会議では、ついに中村の名前はでなかった。約束を破られたと思うとカッときた。「あのスカウトのいるチームを見返してやろう」とだけ思いつづけた。「バカにするな」とくやしくてならない。知り合いの人に事情を話した。「お前がそれほど思いつめているなら」と太平洋クラブに連絡をとってくれ、城島、浦田スカウトが中村を訪ねてきた。前年は加藤初をドラフト外で獲得、新人王に育てた実績のある太平洋クだ。おん念に燃える中村が、あるいは第二の加藤初に育つかもしれない・・・という期待も加わっていただろう。早鞆高では大洋・古田、亀井(用具係)と同期で夏の甲子園大会に出場している。東芝では正捕手として活躍、ことしの通算打率は三割二分でクリーンアップ・トリオの一角を担っていた。捕手には珍しく足が速くベース一周14秒9で走り、肩には自信を持っているという。そのうえ、太平洋をきらうルーキーが多い中にあって、中村ははっきり「好きな球団だ」という。「もう二十六歳で若くはない。野球をやめたら実家(下関市)に帰ろうと思っているから、地理的に近い太平洋クラブは、むしろボクの一番望んでいた球団なんです」一人のスカウトの不誠実が太平洋に掘り出し物を拾わせることになるかもしれない。
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村上宏通

2016-05-15 11:31:59 | 日記
1962年

阪急では東北高・村上宏通投手(18)=1㍍90、76㌔、右投右打=の入団を決め来週はじめ契約する。同選手は夏の地方予選ではバッティングを買われ、一塁手として活躍していたが、東北地方でも指折りの本格派速球投手として知られ、大毎、近鉄、大洋、西鉄からもさそわれていた。

岡野代表 「まだ正式契約はすませていないが、多分ウチにくることはまちがいないだろう。丸尾スカウトの話によると上手からの本格派投手で先が楽しめる選手らしい。からだも大きいし、打力も相当なものと聞いている」
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伊藤則男

2016-05-15 11:22:54 | 日記
1962年

南海では二十八日ノンプロ京都市役所の伊藤則男投手(21)=立命大中退、1㍍78、80㌔、右投右打=の入団を発表した。背番号48。同投手は三十四年立命高から立命大に入学したが、一年で中退、京都市役所にはいった。本格派投手で、昨年秋から同チームのエースになり、今夏の都市対抗京都予選では準々決勝で積水化学に敗れた。なお同日、大阪球場で行われたウエスタン・リーグ対西鉄戦でふたりの打者に投げたが、ストレートの2四球。当分二軍で調整する。

伊藤投手 「十八日に契約した夏の都市対抗予選では決勝リーグまでいき、プロでやれる自信がつきました。きょうウエスタン・リーグで投げてみろといわれて少し投げたが、はじめてなのでちょっと堅くなってしまった。やはりプロの空気に早くなれることですね」
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松岡清治

2016-05-15 10:57:39 | 日記
1972年

早くも来季の新人王を目ざしスタートを切っている男がいる。三原監督が「必ず新人王をとらせたい」といって英才教育をしているヤクルト・松岡清投手(18)だ。ことしファームで最多勝、ベスト・ナインなど四つのタイトルを獲得、秋季キャンプでさらにみがきをかけている。「もちろん、首脳陣の期待にこたえたい」と本人も意欲十分だ。「練習が楽しくてたまらない」という。連日、五時間にわたるハード・トレーニング。フラフラになる選手が多い中で、松岡清はすまし顔だ。それもびっしり組まれたスケジュールで、ランニングなどは他の選手の倍くらい平気でこなしている。「ファームではなんとか通じたけど、やっぱり一軍では細かいコントロールが必要でしょう。そのためにも下半身を鍛えなくちゃ」という松岡清の頭の中には、一軍で投げることしかない。ランニングをしながら、一軍、一軍と叫んでいるそうだ。ことし、イースタン・リーグで12勝(6敗)して最多勝を獲得、ベスト・ナイン、最優秀投手、殊勲選手賞と四つのタイトルを手にした。「もう同期の竹内(大洋)保坂(東映)らはライバル視していません。自分は自分、ライバルは、いつ出来るかわからないけど20勝という数字ですよ」この日、約百球のピッチング練習をしたが、中西ヘッド・コーチは「あのボールは打てないぞ」と速球にうなり「どんなピッチングをみせるか、オープン戦が楽しみですよ」と三原監督ら一軍首脳陣の期待は大きくふくれあがってくる。しかし、まだまだ荒けずりなところも目立つ。「大きく育てよう」という三原監督の指令で、今シーズンは直球とカーブしか投げなかったが、なにせコントロールが決まらない。「インコースをねらったのに、外角にいって三振をとったりする。まあ、大変なんですよ」と自分でいうのだから、その荒れっぷりは相当なものだ。シュート、スライダー、フォークボールなど練習では投げているが、来季も首脳陣は直球とカーブだけを投げさせる方針だ。だから、いっそうキメの細かいコントロールが要求されてくる。「まだ下半身が安定していないんです。でもプロ入りして3㌔ふえ、体重が76㌔になり、太モモも3㌢ほど大きくなった。やっとからだがプロ向きにできつつあるんです。下半身をもっと鍛え、投げ込めばなんとかコントロールも出てくるでしょう」と本人はいたって楽観的だ。もともと陽気な性格でおっちょこちょい。薬屋に「ソバをください」といって店員をびっくりさせたり、エース松岡弘のユニホームを間違えて着て、松岡弘にみつけられると「エースにあやかりたかったもんですから」とペコリと頭をさげ、相手を笑わせる機転もきく。そうかと思うとナインのスパイクをみがいてやったり、合宿でもこまめに動く。「こんどの阪神戦(オープン戦)で田淵さん、藤田平さんたちに真ん中に直球を投げ、どのくらい打たれるか、打たれたらまた同じところに投げてみますよ」と負けん気も人一倍ある。その男が「来年はなんとしてでも新人王をとって両親(憲久さん、はるみさん)に喜んでもらいたい。とくにおふくろには苦労ばっかりかけた。いままで一回も反抗したことはないけど、まだまだ世の中で一番こわい人なんです。そのおふくろに、どうだと胸を張ってみたい。そのためにもこのキャンプは、自分の将来をかけるつもりです」まだまだ若さをまき散らしながら、みんなに愛されて、松岡清は意欲満々のスタートを切っている。
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金子哲夫

2016-05-15 10:18:36 | 日記
1959年

今夏の高校野球選手権大会の優勝投手、西条高・金子哲夫投手(18)はこのほど予定されていた立大進学を断念、五日夜、下宿先の西条市三本松町島村のぶ子さん宅で、同投手は「阪神入り」することを明らかにした。金子は甲子園大会当時、阪急、広島、近鉄、南海、西鉄からねらわれていたが、各球団とも金子が進学を希望していることと、体力がないことから手を引いたスキに阪神が交渉したので簡単に阪神入りとなったもの。

金子投手の話 「大学にいくことは家庭に負担をかけるので最初から気が進まなかった。それに野球をつづけるには進学して寄り道せず、一気にプロで自分の力をためしてみたかった。アメリカ遠征から帰ってきたとき、進学の気持ちはほとんどなくなっていた。プロ入りを決意したのは国体のときで、帰郷のさい、立大側に進学しないことを伝え、了解を求めた。十一月一日に阪神・佐川スカウトと会い、プロ入りをきめた。阪神を選んだのは高校で優勝した思い出の甲子園でまた投げられるからです」

父親・保夫さんの話 「哲夫は大学にいくつもりだったが、アメリカから帰ってから急にプロにいくといい出した。子供が五人あり、家庭的に十分なことがしてやれないので、私もプロにいってくれることには反対できなかった。体が恵まれていないのでその点が心配だ」

西条高・久葉野球部長の話 「金子君のプロ入りについてはまだなにも聞いていない。大学にいくことになっているが、ノンプロにもいきたいようなことをいったりして態度をハッキリさせないので、こんご気持が変わることも考えられるのではないか」

金子哲夫・・今治市立日吉中出身中学三年生のとき投手に転向、愛媛県中学大会に優勝。今夏の北四国大会では昨年代表の高松商を2安打、7三振に完封して優勝。甲子園では5試合(法政二高、松商学園、平安高、八尾高、宇都宮工)を一人で連投、中でも宇都宮工との決勝戦は延長十五回を投げ切り西条高初優勝のヒーローとなった。(52イニング30安打、25三振、7四球、7失点、6自責点、防御率1・3)大会後の米国遠征軍にピックアップされた。外角低目のストレート、カーブのコントロールが素晴らしく、シュートで打たせるピッチングもうまい。1㍍66、62㌔、右投右打。
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横山昌弘

2016-05-15 08:43:43 | 日記
1958年

先に中日ドラゴンズ入りが内定していた大昭和製紙の横山昌弘外野手(24)は、十五日父親米作氏(65)実兄要一氏(36)とともに、名古屋市中区西川端町のドラゴンズ事務所を訪れ、午後一時半から平岩代表立ち会いで正式に入団契約をした。同選手は静岡商ー明大を経て大昭和の主軸打者となり、昨年デトロイト市で開かれたノンプロ世界選手権大会にも選ばれて出場、四番打者として活躍した。1㍍74、67㌔、右投右打。なお中日ドラゴンズは横山選手を最後として、新入団十選手の契約を全部終了した。

横山選手の話 最初プロ入りは全然考えていなかったが、明大の先輩の宮坂さん(中日マネージャー)からプロ野球というものをくわしく聞いてプロでもやれそうな自信がわいた。大昭和とも円満に話がついたので、先輩や明大時代同級の川崎君のいる中日を選んだ。やってみなければわからないが、うまくコンディションをととのえれば練習次第で十分やっていけると思う。ホームラン・バッターになるのはムリと自覚しているので、確実性のある中距離だとしてやっていきたい」

平岩代表の話 「産業対抗大会に五割を打った有力打者を迎えたので、ウチで不足している打力を補ってくれると大いに期待している。横山君は静岡商時代からウチがマークしていた選手だ」
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橋詰文男

2016-05-15 08:23:57 | 日記
1959年

関西六大学リーグ、同志社大のエース、橋詰文男投手はこのほど東映入りを決意し、三日その意思を明らかにした。同選手はいったんは日本生命に就職をきめていたが、その後東映、阪神、阪急、大毎、南海、近鉄の六球団から熱心に勧誘され、ついにプロ入りを決意。条件その他を検討した結果、東映入りに踏み切ったものである。同選手の家族から本人の就職をいっさいまかされている岡口(おかぐち)同大野球部監督は「本人の意思を尊重する」といっているので東映入団は決定的とみられる。

橋詰選手の話 「監督さんから各チームの条件は全部ききました。東映を選んだのはごたごたもなく働きやすいチームだと思ったからです」

三十一年大阪淀川工から同大に進学。本格派投手として活躍。打っても四、五番を打ちシャープなバッティングをみせ、関西六大学きってのスラッガー。プロから目をつけられたのはこのバッティングだともいわれている。主将で文字通り投打の中心。秋のリーグ戦にはその活躍でAクラスに食いこむことができた。工学部4年。二十一歳。左投左打、1㍍76、72㌔。
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