プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

正垣泰祐

2016-05-22 22:28:01 | 日記
1967年

阪急ブレーブスは二十五日午後二時から大阪・梅田の東阪急ビル内球団事務所で、正垣泰祐外野手(22)=日大、身長165㌢、体重68㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。同選手は三十九年九州高校球界の名門熊本工から日大に進学、小柄ながら馬力のあるバッティングと俊足にものをいわせてあばれ回り、昨秋の東都大学リーグでは6ホーマーを記録すると同時に、19四死球(打数41)という新記録をマークして選球眼のよさも合わせて実証した。今シーズンは春肉離れを起こし、秋は死球痛に出くわす不運つづきで、今春樹立した通算13ホーマーの同リーグ新記録は亜大・大橋に破られたが、四十年春から連続四回ベストナインに選ばれており、四年間の通算打率は・294である。外野手の強化を打ち出した阪急は、東京駐在の丸尾スカウトが早くからねらいをつけ、ドラフト会議で四番めに指名して交渉権を獲得した。同選手はノンプロ日本生命への就職が内定していたが、もともとプロ入りを希望していたのでスンナリ阪急入りが決定。

正垣選手の話 今シーズンは春に肉離れ、秋死球を右手首に受けて思うぞんぶん活躍できなかったが、もう、だいじょうぶだ。小さいときからプロでやりたいと思っていた。プロから声がかからないときは日本生命でやるつもりだった。長打力があるとは思わないが、馬力はあると思うので、その馬力で押しまくってガムシャラにやるつもりだ。

西本監督の話 ウチの外野手にはビッコが多い。長池にしてもいろいろ注文があるほどだ。正垣選手のプレーは見てないが、話を聞いたり、記録を見た感じでは、攻守走兼備の外野手で、ボクの願いをかなえてくれる素質の持ち主のようだ。からだが小さい不利を持ちまえの馬力と努力で克服してもらいたい。楽しみな選手だ。
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中川信秀

2016-05-22 21:11:40 | 日記
1973年

太平洋クラブ・ライオンズがドラフト七位に指名、交渉中だった中川信秀内野手(18)=津久見高、1㍍81、79㌔、右投げ、右打ち=の同球団入りが、十一日内定した。同球団はすでに十人の指名中六人を獲得、さらにドラフト作戦の簡潔に全力投球を試み、十日武末スカウトを津久見市へ派遣して中川選手の獲得交渉をした。同選手は、明大進学の意思が固かったが、武末スカウトの熱心な説得で態度を軟化。同スカウトは十一日午後同市中央町の中川選手宅で両親をまじえて大詰めの話し合いを行い入団の了承を得た。中川選手は、昨年夏全国優勝した津久見高の三番打者として活躍、準々決勝への進出権をかけた対苫小牧工戦には、四番吉近との高校生では珍しいアベック・ホーマーでとくに有名だった。大型で足も速く、百㍍を12秒5。高校時代の通算本塁打は十四本、打率は3割8分。

武末スカウトの話 誠意をつくして誘った。小回りもきくし、リキもある、バッティングも力だけでなく、変化球を打ちこなすうまさを持っている。体重が、また増えていた。将来性は抜群だ。
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芝池博明

2016-05-22 20:46:33 | 日記
1973年

太平洋クへのトレードが正式に決った芝池は、九日神戸市垂水区の自宅でもっぱら気持ちの整理につとめていた。プロ入りして四年、住み慣れた近鉄をいざ去るとなると胸の中は複雑だろうが、現在の心境、こんごの心構えなどを聞いてみた。「正直言って寂しい気持ちだが、トレードが決まった以上そうは言っておれん。これからは太平洋クがボクの仕事の場となるんですからねえ」早くも前向きの姿勢であるが、やる気、やりがいなくして出てこないことばだ。「僕みたいなものでも誘ってくれたんですから、その期待にこたえなくてはいけない。だから、このトレードも転機のひとつだと思っているし、与えられたチャンスをできるだけつかみたい。これが期待にこたえることになり、自分のためにもなりますからね。やる気は十分ですよ」-。前日決ったばかりなのに早くもライオンズの一員になり切っている感じ。近鉄と太平洋とでは使われ方も違ってくるはずだが、その心構えも徐々に出来つつある。「こんご近鉄にいてもリリーフばかりでしょうが、太平洋では先発の機会もあるでしょう。これまでは、たまに先発すると力んで失敗したが、これからは先発、救援なんでもできるようなピッチングを心がけたい。とにかくどんどん投げさせてもらうことです」一日でも早く福岡入りを願う芝池。三年前結婚した克子夫人(24)との間には長男の秀三君(三つ)と四か月の長女めぐみちゃんがおり、生活もかかっているが、芝池は最後にこう言った。「勝ち星などどうでもいい。オレの力をもう一度太平洋でためしてみる。近鉄にも恩返しせんといけませんからねえ」-と。その力強い口調。やけに頼もしく聞こえた。
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佐々木茂

2016-05-22 18:37:44 | 日記
1973年

こちらはバレーボールから野球選手に転向という前代未聞の異色選手。岩手県大船渡高時代、六人制バレーボールで活躍して注目されたが、バレー界には入らず、そのまま市場に就職した。だから高校時代は硬いボールの野球は知らず、ゴムマリの軟式野球だけ。昨年九月ヤクルトのテストに見事パス、大きさ67㌢のバレーボールから23㌢の小さい白球に取り組むわけ。いま連日プロ一年生としてトレーニングに励んでいる。「プロ野球の選手になれるなんて夢にも思わなかったな。その意味でガツガツやるのはいや。のんびり、自分の力をためしてみたい」佐々木君のプロ野球第一印象だ。この点は野球一筋できた選手と全くタイプの違うところだろう。学校卒業後、数社からの入社要請をことわり、威勢のいい魚市場で働いてきた変わり種。酒、タバコはのまず、読書、音楽鑑賞もなし。趣味はパチンコだそうだ。「東京見物がしたくて上京した」といい、持ち前のストレートが三原監督の目にとまった。「人材難の球界に素材を投入したい」(三原監督)と評価している。「バレーボールと野球の共通点はある。胸の張り、手首のスナップ、それと腕の振り。役立たしたい」佐々木君はただいま懸命の修行中。180㌢、72㌔のすらりとしたバレーボールタイプ。果たして球界人になれるかどうか。しっかりと声援してやりたい。
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飯田敏光

2016-05-22 18:17:47 | 日記
1973年

テスト・ジプシーに春がきたー。昨年暮れのテストで大洋に入団した球界一のノッポ投手飯田敏光君(24)は、青田監督から「ひょっとしたら物すごい大物になるかもしれんで」と早くも目をつけられている。とにかく大きい。192㌢、92㌔、足は13文の特大だ。「あいつのそばに行くと、コンプレックスを感じちゃうよ」と先輩たちはしりごみするほど図抜けた大男。しかも、経歴が一風変わっている。飯田君は昨年暮れまで静岡県・三島市の電業社という機械製作所に月給4万円で働いていたサラリーマン。そのかたわら町内野球のエースだったが、もちろんタマは軟式。だが昨年十一月初めの「三島スポーツ祭」では一回戦が失策2個だけのノーヒットノーラン。二回戦が奪三振19個で完封勝ち。長身から投げおろす速球は、町内では相手がなかったらしい。「プロ野球に入ることが夢でした」という飯田は、これまで新聞で知ったテストにはせっせとかけつけた。一昨年は西鉄(現太平洋)と東映(現日拓)。昨年は夏に巨人を受け、やっと四度目で念願を果した。どのチームのテストも一次試験(実技)はパスしたが、小さいころに手術した左足モモの持病のため不採用だった。いまはその痛みもほとんど去り、大洋ではマイペースの練習を続けている。プロレスラーのようなからだだが、手首をきかしたスナップ投球にまっ先に目をつけたのが青田監督。「ウチの投手にはない理想的な投げかただよ。もちろん海のものとも山のものとも断言はできないが、うまく育ったらおもしろい存在になるよ」という。この飯田君、一か月前までサラリーマンだっただけにさすがに自主トレ最初はダウンの連続。足や腰をおさえて「もうダメです」と弱音を吐いてもうた。それが、やっとプロの水になれ出したようだ。大洋自慢のマラソン訓練も初めは最後方をトボトボ泣きそうな顔で走っていたが、二十七日に行われた四回目のマラソンでは「またドン尻?とんでもない。うしろに三人いましたよ。タイムだって五分近く短縮しました」と明るく笑っている。プロレスのジャイアント馬場もかつては巨人のユニホームを着て大投手を目指していた。そのため第二の馬場か?といわれるのが飯田君は一番いやだそうだ。「ボクは野球をやりたいんです。それなのに・・・」異色投手の大成を期待しよう。
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萩原千秋

2016-05-22 16:07:51 | 日記
1960年

東映フライヤーズは三十日午後三時半、東京都京橋の球団事務所で東都大学リーグの強打者駒沢大の萩原千秋外野手(21)の入団を正式発表した。同選手は山梨県日川高から駒沢大に進む今季は主将。三十四、五年の春にベスト・ナインに選出された。今秋のリーグ戦では打率三割二分で第八位。ホームランは通算4本(今季3本)身長1㍍78、体重76㌔、右投げ、右打ち。

萩原選手の話 駒大の合宿と東映駒沢グラウンドは百㍍と離れていないくらい。チームのことにくわしいし、いちばん親しみをもっているのが東映を選んだ理由です。張本さんを目標に自分の全力を振りしぼってがんばる。

石黒代表の話 萩原君のプレーは場所が近くなので見る機会が多かった。マジメなファイターだ。ロング・ヒッターとしての萩原君の活躍を大いに期待している。
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後藤清

2016-05-22 12:53:26 | 日記
1967年

深見スカウトは十八日ノンプロ電電東海の後藤清投手(20)=180㌢、60㌔、右投げ、右打ち=と初の入団交渉を行った。名古屋市の電電東海をたずねて、伊藤野球部長、大橋同副部長にあいさつしたあと、午後一時から約三時間、市内のレストラン東新に岡部監督と後藤投手を招いて懇談した。野球部長、監督以下電電東海側は快く同投手のプロ入りを了承、本人も即答を避けたとはいえ、西鉄入りをほのめかした。同投手は多治見工出身、父親をなくし土岐市下名の実家では母親かすみさん(50)が陶器商を営んでいる。一人むすこだが、郷里を離れて九州へ行ってもいいそうだ。180㌢という長身の割りに、幅がなく、ヒョロヒョロとした投手だが、速球のほかシュート、スライダー、フォークボールを巧みに使いこなし、先の伊勢神宮奉納ノンプロ大会では最優秀投手に選ばれている。二十五、六日ごろ同スカウトが名古屋へ出向いて返事を聞くことになっているが、入団はほぼ確実と思われる。
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貞山健源

2016-05-22 12:03:43 | 日記
1972年

太平洋クラブ・ライオンズは三十日、ドラフト八位に指名の貞山健源投手(18)=176㌢、77㌔、右投げ右打ち、別府鶴見ヶ丘高=の入団を発表した。背番号は57。貞山投手は三年に進級した昨年四月、外野手から投手に転向。およそ二十試合に投げて、被安打1本から3本に押えている本格派。夏の甲子園大会大分県予選では対中津南戦で完封勝利をおさめ、惜敗した対大分商戦でも被安打3、奪三振11と好投している。投手としての経験不足からセ・パ両リーグを通じてあいさつに訪れた球団は太平洋、南海、巨人の3球団だけだったが、担当した城島スカウトは「将来が楽しみ」と大きな期待を寄せている。また、同校の山本監督は「先天的にコントロールがいい。低いボールがホップするし、欠点は経験が浅いだけ」と実力を分析。貞山は「投げろと言われれば何球でも投げるのが僕の長所。ヤクルトに入った水江(津久見高)が騒がれているが、球の速さでもひけをとらない」と、負けん気の強さを早くも発揮していた。
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山本兵吾

2016-05-22 10:57:14 | 日記
1960年

セ・リーグ広島カープ入りが内定していた専修大のエース山本兵吾投手(22)は三十日午後四時半、広島市民球場内の広島球団事務局で正式に契約した。山本投手は右投げ右打ち、1㍍72、64㌔、三十年広島県福山誠之館高を卒業後備後通運に入社、三十二年専修大にはいった。今秋の東都大学リーグではエースとして活躍、専大優勝の立て役者となり、最高殊勲選手に選ばれた。小柄だがオーバーハンドからの鋭いシュートは定評がある。

山本投手の話 広島は故郷に近く森永、興津さんら先輩も多いので広島を選んだ。体力的に不安はあるが、そこは頭脳的なピッチングで補いたい。巨人の藤田さんのピッチングを見習い、力いっぱいやるつもりだ。
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吉山智久

2016-05-22 10:33:39 | 日記
1962年

中日は二十二日、吉山智久投手(20)=享栄商出身、右投げ右打ち、1㍍81、75㌔=の入団を発表した。背番号は「67」、同投手は三十五年、享栄商の主戦投手として夏の甲子園大会に出場、三十六年からノンプロの日鉄二瀬で投手をやっていた。球団で慎重にテストした結果、サイド・スローとしての存在を買われて合格したもの。高校では岩瀬投手の一年先輩にあたる。愛知県碧海郡高浜町の出身。

吉山投手の話 中日にはよく知っている選手もいるので力強い。入団後は研修制度(50試合)にかかるが、大いに努力して、がんばりたい。
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二宮忠士

2016-05-22 09:55:36 | 日記
1967年

東映は十九日午後二時から東京・有楽町の東映本社で二宮忠士内野手(東芝・二十二歳)の入団を発表した。ことし東映がドラフト会議で交渉権をとった十一人のうち、最初の入団である。身長174㌢、体重76㌔で右投げ右打ち。三十七年の高校二年の夏、愛媛県予選で7打数連続安打を記録、現阪神谷本プレーイング・コーチの持つ6打数連続安打の愛媛県高校記録を破った。三十九年春、八幡浜高校卒業と同時に東芝に入社、今シーズンは約五十試合に五番打者として出場し、3割3分の好打率と10本のホームランをとばした。東芝時代のポジションは遊撃が大部分だったが、二塁や三塁もこなせる。百㍍の走力は11秒9で、中距離打者、東映では手薄な二塁にまわされるものとみられる。フライヤーズ応援歌のメロディーが流れる本社八階会議室に太田オーナー代理、田沢代表、大下監督らに連れられて姿をみせた二宮は「自分の希望する東映に指名されてプロ入りを決意した。現在の心境は自信と不安がいりみだれているが、打つほうは自信がある。じっくりと練習して早く第一線で活躍したい」とはりきっていた。
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坂本勝雄

2016-05-22 09:08:50 | 日記
1960年

阪急入りが内定していた日大一高の坂本勝雄外野手(17)は十六日大阪梅田の阪急本社で正式に調印した。同選手は身長1㍍79、体重75㌔、右投げ左打ち。高校時代通算3割5分台の高打率をマーク、本塁打も5、6本記録している。

坂本選手の話 阪急は好きなチームだった。はじめは進学するつもりだったが、親と相談した結果プロでやってみる決心をした。

岡野代表の話 打撃陣の強化をねらっていたわけだが、坂本君の右投げ左打ちということろに魅力があった、気力その他あらゆる点で一流の高校選手だとみている。
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山田忠男

2016-05-22 08:55:21 | 日記
1960年

大洋ホエールズは近く宮崎県日南高の山田忠男(18)=右投げ右打ち=と契約することになった。同選手は中央では無名だったが、1㍍73、67・5㌔の大型捕手で、地元では攻守にまとまりのある好選手として注目されていた。大洋では十月九日から二十七日までテストした結果、採用することに決めたもの。
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村上義則

2016-05-22 08:46:10 | 日記
1970年

今季ドラフト四位で中日入りしたノンプロ大倉工業出身の左腕・村上義則投手(20)=1㍍78、76㌔、右打ち、小豆島高出=は八日午後、キャンプインにそなえて早くも名古屋入りした。この日は中日球場の初見学、中区栄の球団事務所へあいさつなどをしたが、九日からは瑞穂プールで行われる自主トレーニング・飯田教室に参加。プロ生活の第一歩へ踏み出す。壺井栄の小説、二十四の瞳の舞台、オリーブの産地でもある小豆島で産まれ、育ったというだけあって、色こそ浅黒いが、健康そのもの。きりっとした好青年の村上。父親荒太郎さん(52)=千葉県市原市。佐伯建設工業勤務=同伴の村上は「名古屋は初めて、球場はすばらしいグラウンドですね」とほおを紅潮させる。自宅が、千葉県にあることから契約は東京事務所で行ったので名古屋は生まれて初めてというわけだ。父親の荒太郎さんも「私は支店が名古屋にあってくる機会があるので、これからは名古屋出張が楽しみですよ」とニッコリ。村上はノンプロ時代同じ高松の四国電力にいた渋谷と投げ合い、勝ったことがあるという。決めダマはカーブだが、シュートも投げる。オーバーハンドのきれいなフォームだ。「三振を思い切りとりたいですね」というのが抱負だから球威に自信があるのだろう。「渋谷さんのような活躍が出来るかどうかわかりませんが、がんばりたい」貴重な左の即戦力として村上にかけられた期待は大きい。なお、村上の背番号は「34」に決まっている。
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