プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

川口孝秀

2016-05-03 23:01:06 | 日記
1968年

投手陣の強化を打ち出している中日ドラゴンズは二日、PL学園・川口孝秀投手(18)=182㌢、70㌔、右投げ右打ち=を獲得した。韓国籍の同投手は、ドラフトの対象とはならず、中日のほか広島が入団交渉を重ねていたが、川口投手自身の希望である「巨人を倒し、優勝のできるチーム」ということと、高木時コーチが実際に投球を受け、長谷川コーチもアドバイスしながら、練習を見るなど、中日側の誠意が実って内諾を得たもの。正式入団発表は、五日午後三時、名古屋市中区の球団事務所で行われる。川口投手は長身を生かしたオーバースローの本格派。PL学園では、副主将をつとめたが、韓国人ということもあって、公式戦には一度も登板していない。だが、武器の速球は重く、広島・木庭スカウトが「すばらしい素質だ。フォームが大きく無理がない。松原君(鳥取西、巨人入り)以上の大物」とほれ込んだほど。同投手は、予選にも投げていないため、一度は野球を断念したようだが、中日からの勧誘があったとき「うれしくて二、三日ねむれませんでした」と大喜びだったという。中日には土屋球団総務が、一日午後一時から、大阪市北区の新阪急ホテルに、父親秀治さん(43)と母親一美さん(40)それに川口投手を招き、本多代理監督も同席して交渉に当った。このとき、川口投手が「江夏(阪神)さんのような速球を押す投手になりたい。それに巨人に勝って優勝できる中日は魅力があります」ともらしていた。さらに、さる二十七日、阪神戦のため来阪していた長谷川、高木時コーチが、布施市内のグラウンドで川口投手の練習に加わり、高木時コーチに約百球のピッチングを受けている。長谷川コーチも細かくアドバイスするなど、すでに退部届けをすませている同投手への勧誘は異例だったが、こんな中日側の誠意が少年野球の監督もやったことがあるという野球好きの父親秀治さんを動かしたようだ。「プロはきびしいところと聞いています。でも十分やれる自信はあります。力いっぱいやって自分の限界をためしてみたい」川口投手は目を輝かせながら抱負を話していた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋幸広

2016-05-03 22:40:30 | 日記
1971年

近鉄の高橋は昨年の夏の高校選手権で岐阜短大付がベスト4へ進んだときの五番打者。投手には巨人にはいった湯口がいた。同涼の湯口が広島の佐伯、南海の島本と並び高校三羽ガラスとさわがれるたびに高橋は「なにくそ」と思う。だが五月に貧血症にかかり練習も満足に出来ず、夏の終わりに実家へ。シーズン後は「自由契約」のレッテルがはられた。「からだも直しもう一度プロ野球に挑戦したい」と高橋はいうが・・・。この二人を含めわずか一年で球界から姿を消した若手が七人いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤本和宏

2016-05-03 22:21:30 | 日記
1966年

西鉄ライオンズは、二十八日午後、同球団事務所で、ノンプロ八幡製鉄光の藤本和宏投手(19)の入団を正式に発表した。同投手は山口・聖光高からことし八幡製鉄光に入社。一躍同チームのエースとなった。左腕から速球を武器とする本格派で、調子のいいときは低めのタマがよくノビる。東映、南海、近鉄、大洋からマークされていたが、西鉄は福岡でコーチ陣がテストしたうえ、獲得した。まだ荒けずりだが、好素質の持ち主で、国広球団社長も覆面投手として期待している。身長175㌢、体重72㌔、左投げ左打ち、背番号79。

藤本投手の話 西鉄のことは、同じ山口県から池永さんが入るまで、そうくわしく知らなかった。プロ入りについては、周囲の反対もあった。しかしぼく自身野球をやるからにはどうしてもプロでやりたかったので、思いきって飛び込んだ。まず下半身を鍛え、早くプロで通用する投手になりたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする