プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

大津秀美

2016-05-02 21:49:36 | 日記
1966年

西鉄ライオンズは、さきの新人選抜会議で交渉権を得ていた大濠・大津秀美捕手(18)の入団交渉を進め、このほど正式契約した。同選手は身長178㌢、体重73㌔、右投げ右打ちの大型選手。中学時代は投手をつとめ、大濠高でも投手から外野、一塁と転向して、今夏の予選前からマスクをかぶった。春の九州大会では四番、夏の県予選で三番とつねにチームの中心打者として活躍した。これで西鉄の新入団選手は五人となった。
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川村博昭

2016-05-02 21:38:07 | 日記
1974年

太平洋の島原輝夫スカウトは、二十五日午後一時、福岡市東区香椎の九州産業大学を訪ね、同球団がドラフト六位に指名した川村博昭外野手(22)=飯塚商出身、身長170㌢、体重67㌔=の入団交渉のあいさつをした。初交渉の島原スカウトは、まず鶴岡三郎同校理事、藤本輝清野球部監督と会い、川村選手との入団交渉了解をとったあと、体育館別室で待っていた川村選手、父親の昭二さん(47)と会った。「川村君は肩も強く、足も速い。福岡六大学リーグ戦では傑出した選手。秋のリーグ戦では優勝を決めた福工大戦で決勝ホーマーを放つなど将来性は十分だ」と同スカウトはプロで十分やれることを強調。川村も「好きな野球で身を立てたい」とプロ入りの決意をほのめかした。しかし「初交渉で正直なところとまどっている。しばらく息子と話し合ってみたいという父親昭二さんの申し出もあって二十八日に二度目の交渉が待たれることになった。
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中出謙二

2016-05-02 21:04:50 | 日記
1977年

南海がドラフト一位に指名した新日鉄堺の中出謙二捕手(23)=175㌢、72㌔、右投げ、右打ち。和歌山工出=の入団が決まった。十二日午後、大阪府堺市甲斐町の料亭「半七」で中出本人と南海側の柚木、堀井両スカウトが三度目の交渉を行い、契約金三千万円、年棒三百万円(いずれも推定)の条件で合意に達し、仮契約にサインした。ポスト野村の期待をかけて獲得した社会人№1捕手。先日、中南米のニカラグアで開かれた世界アマチュア野球大会でも日本チームの正捕手として活躍した。その強肩は折り紙つきで、ことし新日鉄堺の臨時コーチとして指導にあたっていたクラウン・根本監督が「肩だけならプロでも通用する」と言うほど、南海は野村の後継者として期待、大事に育てる方針。この日、新日鉄堺から南海入りの許可が出て仮調印した中出は「すっきりしました。うれしいです。期待にそむかぬようがんばります」と語っていたが、実家が南海沿線の和歌山で、好きな球団への入団はスムーズに決った。
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平田英之

2016-05-02 20:57:20 | 日記
1976年

平田は制球力に自信を持ち、シュート、スライダーでゆさぶるタイプ。関西六大学では一年生から登板している。キャリアが豊富なだけに絶好のリリーフ役。今季は13勝13敗。防御率1・78。
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村上之宏

2016-05-02 20:37:07 | 日記
1977年

南海は八日午前十一時から大阪・なんばの大阪球場内会議室で、昨年のドラフト4位指名、日通浦和、村上之宏投手(21)=184㌢、75㌔、右投げ右打ち、栃木県・高根沢高卒=の入団発表を行った。南海が一年越しに獲得した村上は、ことし阪神が1位指名した三協精機の伊藤投手と並ぶ逸材といわれる期待のルーキー。入団発表に臨んだ村上は森本代表、広岡監督から「即戦力としての期待は大きい。新人王を取るようがんばってほしい」と励まされ、長身を折り曲げ緊張気味。それでも「早く投げたい。ストレートでどんどん押していきたい」と自信もちらり。「どういうタイプの投手をめざすか」との質問に「昔の堀内さんのような投手になりたい」と昔を強調して笑わせた。高校時代にはノーヒット・ノーラン、10連続奪三振などを記録、社会人になってからも昨年、ことし都市対抗野球大会に出場。また南関東地区大会で優秀選手賞を五回受賞している本格派。入団交渉に当って古谷スカウトは「江川より一年下だが、栃木県では江川か村上かといわれたほど速い球を投げると紹介するほどのほれ込みよう。
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池田弘

2016-05-02 19:43:05 | 日記
1976年

ライオンズ球団が昨年のドラフト6位に指名、ただ一人だけ交渉を控えていた池田弘投手(21)=181㌢、74㌔、右投げ右打ち、宮崎商ー鷲ノ宮製作所ーの入団が決まり、十七日に同球団の毒島スカウト(東京駐在)との間で正式契約を終わった。池田投手は宮崎県日南市の出身。宮崎商からノンプロ鷲ノ宮製作所入りして三年目だが、上手投げの本格派で、カーブが鋭く、ライオンズは将来性を買って昨年六位に指名した。入団が遅れたのは球団が鷲ノ宮製作所側の「一シーズン待ってほしい」という要望を入れたためで、昨年度ドラフト交渉期限ぎりぎりのこの日、すべり込みセーフで契約成立にこぎつけた。
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吉田隆史

2016-05-02 19:30:42 | 日記
1976年

ライオンズに異色の新人が入団した。吉田隆史投手(たかふみ)投手(22)=179㌢、76㌔、右投げ右打ち、興国高ー大阪商大だ。全く無名ながら、速球、シュートの切れ味は抜群。しかも南海のテスト合格をソデにして「ライオンズでのチャンスにかけたい」と自ら飛び込んできた無名の男である。西鉄グランドホテルの入団発表で、新入団選手の最右翼に座った吉田は「僕までこんな席に出してもらえるなんて思っていなかった」と。ほおを真っ赤にして感激していた。それもそのはず、他球団もテスト入団で、ドラフト組とは差別を受けるところだ。が、ライオンズは「スタートは一線だ。もはや一位も二位もない」(中村オーナー)という考え方で、この異色の新人を温かく迎え入れてくれた。「ライオンズは思っていた通りのチームです」と吉田。興国高では一年生で退部したが、大学に入ってから野球熱が再燃、野球部に入り直した。再スタートが遅れたため、大商大ではエースの斎藤投手(大洋ドラフト1位)の陰に隠れ、オープン試合で登板していた程度だが、生まれつきの負けじ魂が昨年からむくむくと頭をもたげていた。昨年十月に南海の新人テストを受けた。合格したが、この時は保留した。「もう一年、学生野球で腕試しをしたかった」からだ。ことしも南海のテストにパス。それでも「オレの力を最大限に生かす方法は、南海入りではないような気がした」のだと言う。そんな時期にライオンズのテストを知り、小遣いをはたいて鹿児島に飛んだ。鴨池球場で、彼の速球、シュートが、ひときわ試験官の三浦コーチの目を引いたのは当然だろう。投手王国南海のテストをパスした実力に加えて、自腹でテストに参加したファイトが相乗効果をもたらしたのだから・・・。「こんな掘り出しものも珍しい。テストで初めてじゃないか」と三浦コーチ。九十数人の受験者の中からタッタ一人だけの入団だった。「どうも私にはね。新人王になった加藤君(現巨人)の再来のような気がしてならないんだよ」と中村オーナーもゾッコンだ。「弱いチームほどチャンスがある」と信じてやってきた吉田ド根性に注目しておこう。
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