プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

アスプロモンテ

2016-07-04 19:35:39 | 日記
1964年

中日は二十三日午後四時、東京・内幸町の球団事務所で元シカゴ・カブスのケン・J・アスプロモンテ内野手(31)=1㍍83、79㌔、右投右打=の入団を発表した。同選手は五七年レッドソックス入りしてから昨年まで、七年間大リーグ生活を送り、この間の平均打率は二割五分一厘、十九ホーマーをマークしている。最高打率は六二年ブレーブスで記録した二割九分一厘。三塁と二塁が本職だが、外野もこなす。中日ははじめ外人をとらない方針だったが、前田、河野を手ばなしたため、内野陣が弱くなり、開幕以来不振をつづけているのでこの補強となった。アスプロモんては三十七年、高田前代表時代に一度交渉したことがあるが、このときはブレーブスからカブスへトレードされた直後で、まとまらなかった。ことしの三月、スプリング・キャンプが終ったあと、自由契約選手になったので、再び交渉したもの。五月初めに来日、中旬からベンチ入りする予定。ローレン夫人と二人暮らしで子供はない。背番号4。

吉江代表「ニーマンのような強い打力は持っていない。どちらかといえば守備の選手だが、二塁、三塁、遊撃どこでもこなせるので、内野が弱いウチには大きな戦力になるだろう。それにアスプロモンテの来日はマーシャルにとってもいい刺激になると思う。私の調べた範囲では態度もなかなか紳士的で、グラウンド・マナーもとてもいいということだった。契約のとき常識はずれの条件を要求しなかったことをみると、さっぱりした性格のようだ。最近きた手紙ではすぐ戦力になるように練習は欠かさずやっており、日本の変化球投手の対策も研究しているということだった」
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迫田七郎

2016-07-04 18:52:44 | 日記
1965年

ベンチの片すみでテレくさそうにうつむいてしゃべった。「風が強かったから醍醐さんのいうとおりに投げただけですよ。落ちる球がよかったですね」まだ鹿児島なまりが残っている。昨年一月、神奈川大を中退してプロに飛込んだ。テスト生だったので契約金もゼロに近かった。昨年のイースタン・リーグでは12勝をあげて最優秀投手。七人兄姉の末っ子だがシンは強い。「どうせ先発するのなら完投しなくちゃおもしろくないですよ」といい「いまの東映は当っていないからどうってことない。でも簡単に四球を出す悪いクセがまだ直りません。だけどきょうはスピードがのっていた。だから最後までもったんでしょう。ラーカー?やっぱり高めに強いのでこわいですよ」とつけ加えた。この日で五試合目の登板だったが先発は初めて。三回、篠原のエラーで一点をとられて三月十日の中日戦からつづけていた無失点記録は十三イニングでストップしてしまったが、五回までノーヒットの好投だった。佐々木信也氏は「両サイドをゆさぶるシュートとスライダーの切れがよかった。カーブも悪くないし、このピッチングならいまの巨人打線でもヒット四、五本に押え込めるんじゃないか」と見ている。張本を連続三振にとった二回のカーブといい、四回の落ちるシュートといい、逃げないで勝負した。ファームから目をかけている植村コーチは「10勝は堅い」とタイコ判を押しているが、真田コーチは「一度ぐらい好投したからってわからない。まだこれからですよ」とニヤニヤしながらクギをさした。1㍍75、70㌔、右投右打、二十歳。
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