プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渋谷通

2016-07-21 22:23:16 | 日記
1969年

一本足打法で王二世といわれている平安・渋谷一塁手=1㍍80、73㌔、左投左打=が将来のことで非常に悩んでいる。もしプロからリストアップされた場合、踏み切るべきか、それとも振切って大学へ進学すべきかという問題なのだ。渋谷が現在下宿しているのは京都市右京区梅津の伊藤末次郎さんの家。この家は中日の江島が平安高時代にやはり下宿し、世話になっていた。ここのむすこさんも三年前に平安の五番打者として甲子園でも活躍。現在、法大野球部の三年生。プロにはいった江島は「大学へいけるなら絶対いくべきだ」というし、逆に大学へ進んだ伊藤からは「力があるならすぐプロへ」と違った意見が出ている。渋谷自身の考えは、伊藤の意見に影響され、即プロ入りという腹を決めていたようだ。しかし予選中に風間部長、そして今春まで監督だった中村氏をたずねて、この考えを伝えたところ、二人とも進学をすすめ、考えがまたぐらついてしまった。二年生から春夏四回連続甲子園出場、今大会でもバッター・ナンバー・ワンという評判をもらっているが、スカウト連中はどう見ているだろうか。巨人の前川スカウト総務は「ほしいことはほしい。しかしいますぐうちにはいっても王がいるので出る幕がない。ドラフト制度の撤廃も動きもあるし、大学を卒業するころになれば好きな球団に入れる可能性もある」とお家の事情もからみ進学賛成派。渋谷の実家は山形県酒田市内で父正吉氏(48)は酒田駅の公安官、母の世智子さんは市内で化粧品店を経営、経済的には苦しくない。現在、弟の守君も同じ伊藤宅に下宿し、平安高一年生で野球部にいる。下宿代は「よく知らないが、一人一万五千円ぐらいではないですか」(平安高・風間部長)というし「こづかいも少なくて一人月一万円は必ず送ってもらっている」(渋谷)といい、経済的には進学出来る家庭のようだ。前川氏のほか「経済的に無理ではなかったら絶対大学へいくべきだ。プロは技術を中心にきたえてゆく。人間形成の面ではなおざりにされがちだ」(巨人・沢田スカウト)「プロですぐバリバリやるには、もっとおじさんみたいにひねてなくてはね。技術的にはまだもの足りないし、動きもモタモタしている」(広島・木庭スカウト)と進学を勧めるのが大半。しかしロッテにはいい指導者が少ない。手首の返しがよくなってバットを思い切って振るようになった。春からこれだけ成長した選手も珍しい。せっかく伸びてきた逸材を大学にやって成長をとめてしまってはなんにもならない」と進学に反対するスカウトもいる。渋谷は昨年超高校級といわれた池田(平安出)をとった法大の浦先輩理事がわざわざ甲子園にきているのを知ってかどうか知らないが「プロならどこの球団でもいい。大学の場合は先輩からいろいろ聞いている法大はいや。早・慶・明・立の東京六大学のどこかに受かればいいのですがね」と複雑な心の内をうちあけていた。
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鈴木弘

2016-07-21 21:15:49 | 日記
1972年

ロッテのジャンボ鈴木一塁手がイースタン・リーグで早くも2ホーマーをマークした。1㍍91、95㌔の巨体で振切られるボールは、ピンポン玉のようにとぶ。「ぼくの魅力は思い切ったスイング」という鈴木は、ファームのホームラン王をねらっている。坪内二軍監督は「まいった」といった表情で財布から四千六百円を出した。シーズン前、二人はこんな約束をかわした。「ジャンボ、ホームランを一本打てば、バット一本プレゼントしてあげる」開幕したばかりの対東映二試合であっという間に鈴木は2ホーマーをたたいてしまった。しかし、財布をあける坪内二軍監督の顔はうれしそうだった。「多少甘かったけれど、カーブを打ったんですからね」もし、ジャンボがふつうの野球センスを持っていれば、同二軍監督はこんな約束をしなかっただろう。直球だけなら一試合に何本でもスタンドにたたき込んでしまう。しかし、カーブにはメクラだった。弱点を知っている投手は、そう簡単に直球を投げてこないとみて、こんな約束をしたのだ。そのどうにもならなかったカーブにやっと手が出るようになった。「とにかく先が楽しみ。育てがいのある選手です」プロの野球生活の中で、ジャンボは成長の第一歩を目の前にみせた。二年前、大東文化大を卒業すると、そのからだに目をつけられてアメリカへ渡った。1Aのディケーター、ルーキー・リーグのグレート・ホースと、とてもプロ野球とは思えないチームを渡り歩き「二割そこそこの打率」しか残せず帰国した。その後、テスト生として拾われ、昨年のドラフト会議で名前があがったのは百六十九人中の百六十九番目。全く問題にされなかった男が、いまイースタンの話題をさらっている。坪内二軍監督は「どうして巨人が指名しなかったのだろう」と首をひねった。「ものになるか、まるでダメか、の両極端の選手だけれど、それだけ可能性を秘めた男を巨人が見のがす手はないと思う」相手ベンチから扇風機とヤジられる三振もする。ニックネーム通りの巨象のような、スローモーな一塁守備もする。だが、バットにボールが当たれば軽く場外へとんでいく。いまどきこんな荒削りな選手も珍しい。首脳陣は「柔軟体操、サーキットでからだを柔らかくしろ」とだけ指示を与えている。万一、育てばもうけものというのがいつわらざる首脳陣の気持ちだ。「ドラフトでぼくの上位にいた連中をゴボウ抜きします。ことしが勝負ですからね。イースタンのホームラン王は絶対とりますよ」こんなハリのある鈴木の声に、坪内二軍監督は思わずニンマリ。うまく育てば1ホーマー二千三百円の投資は安いものだ。
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ティロットソン

2016-07-21 20:35:41 | 日記
1971年

南海の新山代表は二十日、大阪・浪速区蔵前町の大阪球場内会議室で、T・ティロット投手(30)を退団させると発表した。この日午前中、球団は任意引退選手としてパ・リーグの連盟事務所へ届け出た。同投手は発表には立ち会わなかった。帰国は来週初めの予定。ティロットは「15勝」の期待をかけられて、3Aシラキュースから補強されたが、十八試合(四十四回三分の一)で、3勝4敗1S、防御率6・55という助っととしてはお粗末な成績だった。そのうえ、六月十五日の対ロッテ八回戦(東京)ではカバーリングを怠り、注意したブレイザー・コーチと観衆の前で口論するマナーの悪さもあって球団から戒告処分を受けている。八月十日からの東京遠征にもカゼとゲリで参加せず、大阪で調整していたが、十四日に神戸市の自宅でコップで右ヒジを切り、大阪・南区の灰田病院で八針ほどぬうケガ。傷は骨にまで達しており、全治三週間と診断された。このため回復しても今季の戦力にならないことから、シーズンを待たずに退団発表となった。球団側では、十八日午前中に野村監督と新山代表が相談、午後にはオーナーの了解をとり、ティロットには藤江渉外課長が十九日に伝えた。ティロットはアイリーン夫人の健康状態がよくないこともあって了承した。南海は、昨年のK・ワシントンにつづき二年連続、外人が戦力にならなかった。

新山代表「きょう(二十日)ティロットを任意引退にし、連盟へ書類も提出した。本人も、右ヒジを八針ほどぬうケガをしており、今シーズンは戦力として間に合わないだろうというし、球団も見切りをつけた。それと、奥さんの健康がすぐれないことも退団の原因になったようだ。いろいろの外人候補の中から選んだ最後の切り札がこういう形でやめていくのは非常に残念だ。来年、もし外人をとることに決まれば、アメリカのスカウトにまかせず藤江、市原(球団職員)を現地へやろうと考えている」

ティロット投手「せっかく日本にきながら立派な成績があげられなかったのが残念だ。来春の月曜日か火曜日に帰国することになるだろう。もうこれで野球をすることはないと思う。アメリカでは、なにか商売でもやりたい。南海はいいチームだったし、友だちも出来た。ただ、申しわけない気持ちだ」
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小林浩二

2016-07-21 19:50:05 | 日記
1971年

大洋がドラフト三位で指名した九州産交・小林浩二外野手(20)=1㍍78、73㌔、右投右打=の入団が一日、決まった。同日午前十時、引地スカウトは熊本市内の九州産交をたずね、岡陽一社長、本人をまじえて話し合った結果、契約金五百万円、年棒百四十万円(いずれも推定)でまとまったもの。同選手は、九州球界の指折りのスラッガーといわれ、特に左投手に強い打力を大洋は買ったもの。近日中に東京・千代田区丸の内の球団事務所で正式契約を行う。
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皆川康夫

2016-07-21 19:28:20 | 日記
1973年

右肩の故障で約一年間も戦列を離れていた日拓・皆川康夫投手(25)=1㍍74、73㌔、右投右打=にやっと明るい表情が戻ってきた。「そろそろ登板のチャンスを与えてみよう」と首脳陣がいいはじめたためで、二十日多摩川のグラウンドで行われた練習でも体ごとノックにぶつかっていき、元気なところをみせていた。皆川がはじめて肩の異常に気がついたのは一昨年の終盤だった。この年、みごとに新人王のタイトルを取ったが、知らぬうちに疲労が右肩をむしばんでいたのだ。痛む肩を押えながら投げた昨年は1勝3敗。今年はマウンドさえ一度も踏めないまま、ここまできてしまった。「ヤケになって、何をやっても面白くなかった」という。だが、かつて東急(現日拓)の名遊撃手として活躍した父親定之さん(54)は、そんな弱気を許さなかった。「もう一度、がんばるんだ!」その声に励まされて、こわごわキャッチボールをはじめたのが六月。首脳陣もナインも、かつての新人王のカムバックには、みんな温かい手を差しのべてくれた。「八月になってやっとまた、自信のようなものがよみがえってきたんです。なんとかやれるメドもつきました。本当に長い自分との闘いでした」と皆川はうれしそうだ。「一時は、もうくさってしまってダメかと思いました。でも、よく立ち直ってくれました・・・」と大喜びの父親定之さん。首脳陣は、こんな皆川にはやkれば今月中にも、ファームのマウンドへ立たせることを約束している。「がんばります。きっといいピッチングをして見せます」テスト登板に合格すれば、もちろん一軍入りだ。「皆川、がんばれ」の声援を背に、かつての新人王はいまかいまかと出番を待っている。
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浜浦徹

2016-07-21 19:06:40 | 日記
1971年

「あいつがいてくれたらもっと勝ってた。3勝ほど損したよ」ロッテの大沢二軍監督がぼやいた。イースタン・リーグで昨年の優勝チームが六日現在、四位。不振の原因は投手不足で、監督に「あいつが・・・」といわせた男は浜浦徹投手だ。ことし大分・津久見高からドラフト二位で入団。アメリカ・キャンプで注目された。大リーガー相手に、スピードボールをビュンビュン投げる姿に一躍首脳陣は大喜び。「シーズンはじめはファームでじっくり育てて、投手がばててくる夏場には一軍に上げよう」2連パを目ざす濃人構想にも浜浦の名はしっかりときざみこまれたほどだ。しかし浜浦の一軍登板はいま、微妙な段階にたっている。五月下旬、練習中に右ヒジを痛めた。「はやく認めてもらいたいと思って、つい夢中で投げすぎたんだろう」と大沢監督はいうが、当時、浜浦はキャンプの構想より早いピッチで一軍再登板を目前にしていた。イースタンで2勝。勢いにのって四月の東映戦で一軍へデビュー、打ち込まれた。「キャッチャーがずいぶん遠くみえたんです。コントロールに自信がなくてウデがちぢんで、さんざんでした」高校時代の甲子園でもアメリカでもあがったこともなかった男が顔色なしだ。ファームで再調整。コントロールと変化球のレパートリーをふやす特訓を受けた。「もう大丈夫です。カーブだってストライクをとれる。スライダーもシュートもほうれます」という浜浦に中西コーチも「ナイターなら一軍でも速球とカーブで五回ぐらいならもつだろう」とみていた矢先のヒジ痛だ。三週間休んでハリとマッサージを受けた。なおったと思った一日のヤクルト戦でまたピリッと縮んだ。「こんどは一週間も休めばいい。スピードも五、六分程度だが、少し投げ込んだらもどる。七月一杯にはトップ・コンディションにもっていきたい」と浜浦は懸命だ。大沢監督、中西コーチは「いい素質をもっているんだから、じっくり様子をみて・・」とたづなをひきしめている。ヒジ痛には鬼門といわれるツユも明けた。浜浦のヒジがどこまで回復するか。
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今西和男

2016-07-21 17:26:40 | 日記
1971年

俗に「あねさん女房は金のわらじをはいてでもさがせ」といわれる。今西(旧姓石井)も一つ年上の陽子夫人とめぐりあっていなければ、とっくに野球から足を洗っていたかもしれない。四十年、日本熱学に入社して以来、五年間下積み生活を送った。何度もやめようと思ったが、そのたびに野球好きのガールフレンドだった陽子さんにはげまされて決心がにぶった。四十四年五月に二人は結婚。神戸で喫茶店を経営している今西家の養子となった。その年の都市対抗野球三回戦、対鐘紡化学で代打逆転打を放ったのをきっかけに、球運が開けてきた。「あねさん女房が福の神になったんですね」という質問に「いや違いますねん。名前が変わったんがよかった。ツキが回ってきよったんです」とちょっぴりムキになった。結婚のせいばかりではなく、もともと実力があったといいたいのだろう。まだ童顔のなごりが残っている二十四歳で、すでに一児のパパ。それどころか、九月には二人目が生まれる予定だ。史上三人目の連続本塁打男になれたのは、しあわせな家庭生活というバックアップがあったからに違いない。「バットを短く持ってミートを心がけているのに、二本もはいるなんて自分でもびっくりです。一本目はシュートのかけそこない。二本目はカーブのすっぽ抜け。やはりツイているんですね」と改姓のラッキーを強調した。二年連続電電近畿への補強でのびのびプレーしているのもみのがせない。これで十四打数八安打、7打点の荒かせぎで有力な首位打者候補にのしあがった。これまでさっぱり縁のなかった優秀選手への初当選も九分どおり堅い。1㍍78、76㌔、左投左打。兵庫県育英高出、二十四歳。日本熱学経理課勤務。
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