プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

富田清吾

2016-07-12 22:39:57 | 日記
1969年

イースタン・リーグ

軟式出身の巨人・富田が、完封勝利。「カーブとシュートがよく切れたおかげです。押えられたことより、先発完投できたことの方がずっとうれしい。まだストレートがそんなに速くない。いまはどんどん投げさせてもらうチャンスをつくるのが先決です」と富田は初勝利にもひかえめ。都城キャンプでは「球は速いし投げるバランスが実にいい」(中尾二軍監督)と、期待されていた。だが激しい練習にからだがついていけず、左ヒザ痛、右スネの骨膜炎と故障つづき。体力がつくとともに少しずつ力を出しはじめ、三日の対大洋戦(福島)ではリリーフで四回三分の一を投げ、5三振を奪った。「シュートがよく切れることでは一軍投手も顔負けだ。スピードがもう一つものたりないが、これも下半身さえしっかりしてくれば自然についてくる。これからはとにかくどんどん走り込むことだが、この分なら意外に早く夏ごろには一軍へ送り込めるかもしれない」と木戸コーチはみていた。
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野崎恒男

2016-07-12 21:58:19 | 日記
1971年

南海がドラフト会議で第一位に指名した富士重工・野崎恒男投手(24)=1㍍76、75㌔、右投右打、立正大出=の南海入りが二十二日決まった。同日午後五時半から和歌山県和歌山市和歌ノ浦のホテル万波で近藤常務、堀井スカウトと実兄・吉三氏(33)が話し合い、契約金一千万円、年棒百八十万円の規定最高の条件でまとまった。契約、入団発表は年内に行われる。本人不在の交渉だったが延々四時間もかかり、やっと了解を得るまでにこぎつけた。担当した堀井スカウトは「肩の荷がおりました」とホッとした表情だった。ドラフト会議で第一位に指名された野崎は早くから「プロで自分をためしてみたい」と南海入りを表明、交渉はスムーズに運ぶものと思われていた。ところが富士重工側が昨年東映に皆川を指名されたいきさつから感情的になっており、また「戦力的に手放せない」と強く反対、交渉は難航した。そのため野崎獲得はまず富士重工側との交渉が優先され、堀井スカウトは群馬県太田市の富士重工に再三足を運び、十四日の四度目の交渉でやっと会社の承諾を得た。野崎は二十日に富士重工を円満退社している。野崎家との交渉に移った南海は十七日に実兄・吉三氏らと話し合い最高条件を提示、基本的には了解点に達していた。この日は税金面の説明など細部的な話合いに終始したが、野崎側はすべてこの面で納得した。入団発表は、上京中の野崎が二十四日ごろ和歌山市福町の実家に帰るのでそのあとになる。野崎はシュート、カーブを武器にする技巧派投手で、安定したピッチングが高く評価されている。「昨年東映に入団した皆川より力がある」(堀井スカウト)そうで、投手力の弱い南海では即戦力として大いに期待している。

近藤常務「野崎君との話し合いは会社の関係などから約一か月もかかったが、きょう内諾を得ました。本人が二十四日ごろに帰るので、年内に入団発表したい。一位の選手が決まりホッとしました」
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二宮忠士

2016-07-12 21:25:11 | 日記
1971年

健康上の理由で退団を申し出ていた東映・二宮忠士内野手(26)は十五日、田沢代表と電話で話し合い、十八日に医師の正式な健康診断書を球団に提出、再度話し合うことになった。同選手は内臓疾患で尿からたんぱくが出てプレーに自信がもてないと、十四日退団の希望を同代表に伝えていた。
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尾崎亀重

2016-07-12 21:20:25 | 日記
1973年

今年のジュニア・オールスターで殊勲選手になったヤクルト・尾崎亀重内野手(25)が三十日、任意引退した。十五日に父親・佐一郎さん(51)が死亡、長崎県五島の実家に帰り、家業(漁業網元)を継ぐことになったため。同選手は一昨年、ドラフト八位で捕手として入団、シュアなバッティングは評判だった。二年目の今年はジュニア・オールスター(大阪)に選ばれ、阪神・五月女投手から左翼中段に決勝ホーマーを打った。

ヤクルト・三原監督「肩に弱点があり捕手として大成は望めなかったが、まじめな性格で、打撃にいい素質を持っていた。家業を継ぐということで辞めたが、期待していただけに残念だ」
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菱川章

2016-07-12 21:14:04 | 日記
1973年

日拓は二十二日、菱川章外野手(26)を任意引退選手にすると発表した。同選手はこの日、球団に一身上の都合で退団したい旨を伝えた。菱川は三十九年大物選手として騒がれて中日に入団したが、十分な働きをあげられず、昨年末自由契約になり、日拓へ再入団した。今後は故郷の岡山で義兄が経営する塗装店に勤める。
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