プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

竹田和史

2016-07-05 21:05:19 | 日記
1971年

中日は四日午後三時、市内新栄町の球団事務所で育英高・竹田和史(まさぶみ)投手(18)=1㍍79、72㌔、左投左打=の入団を発表した。竹田はドラフト会議で第六位に指名された選手で、大島(中津工)三好(南宇和)についで三人目の正式入団である。契約金は四百万円、年棒九十万円(いずれも推定)。背番号は未定。発表には東方代表、母親・喜美子さん(52)育英高・山田野球部監督が立ち会った。竹田は育英高で近鉄・鈴木の四年後輩にあたる。左投左打の本格派速球投手というところまで同じである。スピードには定評があり、山田監督は「球の速さだけなら当時の鈴木に負けない」とみている。中日も竹田のスピード、それに左腕であることにほれ込み、リストアップしていた。性格はおとなしいが、負けん気が強い。ことしの全国高校野球夏の大会兵庫県予選の長田高戦で11連続三振を奪い、兵庫県下の新記録を樹立している。バッティングもよく、ことし四試合連続ホーマーしている。

竹田投手「ただ一生懸命がんばるだけです。プロ野球についてはまだなにも知りません」

育英高・山田監督「スピードは超一級品なのでコントロールさえつけばおもしろい。カーブの切れ味はあまい。からだは下半身がまだできあがっていない。11連続三振をとったときのことをいま思うと惜しい気がする。もっと投げさせていれば記録はさらにのびていたろう。試合が一方的になってしまったので五回でマウンドをおろしてしまった」
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石川陽造

2016-07-05 20:18:48 | 日記
1962年

「ことしはプロ入り一年目。なんでも思いきってやったのがよかった」と石川はいう。春のキャンプ(伊東)では張本、毒島らの主力打者に投げてフリー・バッティングの投手さえ思うようにつとまらなかったという石川が、ぐんぐん芽を出したのも思い切りのよさがあったからだそうだ。「ファームでもはじめのころは腕がちちこまったり、コントロールが荒れたりでさんざん。それが度胸をきめて強引に投げ出したら調子が出はじめちゃって・・・。あとはもう夢中でガムシャラに投げてました。桜井さん、高木さん(いずれもコーチ)らになにもいわれなかったのが不思議なくらい。調子にのって主審にかみついたことまであるけど、いまになるとずいぶんわがまましちゃったような気がするな」プロ入りしてからまた一段と肉がついたという石川が、からだに似合わぬ弱気なことをいう。しかし今季イースタン・リーグで残した成績(8勝4敗、自責点1・74)はりっぱなもの。シーズン末のイースタン・リーグ幹事会では文句なく最優秀投手に選ばれた。「あのときはもらったトロフィーがりっぱなんでびっくりするだけだったが、いまになって本当に、俺が選ばれたという実感がわいてきました。ことし一生懸命やったことが認められたわけなんですからね」こんどは努力したといった。だが少しもいやみがない。ファームの選手だけを相手なら十分といえる落ちる球を持ちながらも、スピードとコントロールをつけることに専念した実績があるからだ。しかし石川はめんどうくさいことが大きらい。学生時代にはこんなエピソードもある。試験中にめんどうくさいといって勉強せず、当日になってカンニングをすすめる友人にもめんどうくさいといって白紙の答案を出したというのだ。こんな調子だから、プロにはいってからもあまり研究というものをやったことがないらしい。「打者の研究などやったことがないですね。それにイースタン・リーグの場合は、捕手もみな若い選手ですから、たいていの場合、自信をもって「エイッ」とばかり投げ込んじゃうんです。これであんがいうまくいっちゃってたもんですから・・・」ヘラヘラと笑ってみせたが、なかなかの強心臓。同じくことし立大を中退して東映入りした二塁手青野と「いい勝負」とこれは若手選手の間でも評判。しかしその青野とは高松商時代からのよきライバル(青野は西条高)だ。「やはり青野のことは気になります。とても仲はいいんですが、それだけに負けたくはありませんからね。そのためにも来シーズンからはもっと一生懸命研究します。相手チームの打者についてはもちろん、自分のピッチングについても。これほんとうですよ」最後に念を押したからウソではないらしい。そして「一軍ではやく1勝をあげることに専念する」と腕をさする。この正月に久しぶりに実家(愛媛県伊予三島市)にも帰って気分転換をはかるという。
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