プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

泉沢彰

2016-07-19 20:35:18 | 日記
1969年

外角へホップする速球で、松下電器を二安打完封。前の試合で、同じ東北代表のライバル山田(富士鉄釜石)がノックアウトされただけに、泉沢の快投がきわだって思えた。「調子はよくなかったんです。ボールを振ってくれたので助かった」メガネの奥の柔和な目。東北人らしいぼくとつな人柄。だが自分の投球についての自信はなかなかのものだった。「昨年の一回戦も完封しているので(電電九州に内野安打一本)一度はやらないと・・・」ピンチは五、七回の二度だった。五回は失策と2四球で二死満塁にされたが下位打線で助かり、七回無死内田の左中間二塁打(初安打)を浴びたときは、一死三塁から高のいい当たりがセンター正面にとび、佐藤隆からの好バックホームで命拾いした。「3点リードがあったので楽だったが、補強の佐藤忠さんがよくリードしてくれたし、バックもよく守ってくれました」とチーム・メートに花をもたせた。昨年二回戦で富士鉄広畑に5-0で負けたのは、ゲリでコンディションが悪かったからだ。「ことしはまだまだやります」と強気。ネット裏の中日・塚越スカウトは「松下の荒いバッティングにも助けられたが、安定している。問題はスタミナと左打者対策。勝ち進んだとき打力のあるチームを押えられるかどうか」という。昨年も山田とならんで下手投げの好投手と評判になったが、ややひよわな点を敬遠されプロの指名はなかった。盛岡鉄道局客貨車区勤務で、毎日汗まみれになって稼働率の整備にとりくんでいる。「プロのことは真剣に考えたことはないが、年齢からいってもことしチャンスをつかまなければおしまいでしょうね」と自分の置かれている立場をひとごとのように話した。1㍍73、63㌔、右投右打、花巻商出、二十三歳。
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