プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

クラウス

2016-07-06 21:38:14 | 日記
1963年

中日に入団した前フィリーズのビリー・クラウス選手(34)=1㍍75、75㌔、右投左打=は二十日午後三時四十五分羽田空港着のPAA機でジーン夫人と四人の子供をつれて来日した。クラウスは五二年ブレーブスにはいってから五五年レッドソックス、五九年オリオールズなどですごしことし五月二十日にフィリーズを自由契約になった。内野はどこでもこなす万能選手で大リーグの打率は二割五分一厘。同選手は東京・品川の観光ホテルに一泊したのち、二十一日午後五時二十分発の全日空機で名古屋入り、二十二日から中日球場での練習に参加する。背番号36。

クラウス選手「ことしはフィリーズで約十五試合プレーしてきた。日本の野球は知らないが、三割は打ちたい。ニーマンとはボルチモアでいっしょにやったことがある」

高田代表「来日がおくれたのは手続きの手違いからで、六月はじめに契約はもうすませてあった。どこでもやれる。かっこうの控え選手だ」
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真下定夫・岩崎哲郎・瀬野浄

2016-07-06 21:29:00 | 日記
1954年

国鉄スワローズでは六日つぎの三選手の入団を発表した。

投手 真下定夫(20)高崎商、高崎鉄道管理局、五尺五寸五分、十八貫六百、右投右打
捕手 岩崎哲郎(21) 岩手福岡高、盛岡鉄道管理局、五尺八寸八分、十九貫八百、右投左打
三塁手 瀬野浄(20) 呉阿賀高、岡山鉄道管理局、五尺七寸五分、十八貫六百、右投右打。

真下投手は今夏の都市対抗予選で日立製作所を破って高鉄を初代表に導き秋の産業対抗野球大会ではエースとして活躍した。オーバーハンドから投げ下ろす速球とシュート、カーブに威力があり、鉄道球界きっての好投手。
瀬野三塁手は二十六年の選抜高校大会に出場、岡鉄では不動の四番打者で鉄道野球大会の連覇(二十八、九年)の原動力となった。産業対抗の全国鉄には二十七年から三年ぶつけて選抜されている。
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