プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

水谷寿伸

2016-07-14 22:03:15 | 日記
1965年

グラウンドへくるなり会うごとに「残念だったね」といわれた。オールスター戦の推薦にもれたことだ。「防御率第一位の投手が出られないなんてほんとうに珍しいことだ」とさかんに首をかしげる西沢監督。しかし水谷寿はそんな同情はしてもらいたくないといわんばかりにいってのけた。「ちっとも残念じゃないですよ。オールスター戦の休みのスケジュールはもうちゃんと決めているし、第一いやな飛行機にも乗らなくてすみます。それにオールスター戦に選ばれるのはえらい人たちばかりで、ぼくのような補欠が出るとお客さんには迷惑でしょう」昨年まで六年間下積み生活にもくさらずにたえてきただけに、シンは強く、負けずぎらい。その気持ちをマウンドで十分に発揮した。五月十一日の対大洋戦以来約二か月ぶりの完投勝利。ナインより一日早くこの一戦に備えて名古屋に帰ってきていただけのことはある。「立ちあがりは阪神がねらってきたのでわざと球を散らした。四回、藤井に真ん中まっすぐの球をホームランされたけれども、あれでかえって気持ちが引きしまった」汗をかかないことでは中日投手陣の中で一番といわれる水谷寿もこの日だけは別。ベンチへ帰ってもしばらくは汗がとまらない。「暑い(この日の名古屋地方の最高は32・7度)のにはまいった。それに1点差だから最後まで息が抜けなかった。六回、二死三塁でモリミチ(高木守)がヒット性の当たりをとってくれていなければどうなったわからないな。バックに勝たせてもらったようなものだ」二回に二死三塁から中前タイムリー、四回にも一死一、三塁に三塁右へ打点となるしぶいゴロをはなって3点のうち2点をひとりでたたき出している。ピッチングで目立ったのはクイック・モーションとスリークォーターからのスローカーブを多くまぜていたことだ。「モーションと球筋がすなおなのでスピードが落ちるとどうもいかん。オールスター戦後にどんどん出てもらうためにもいまピッチングを変化させようとくふうしているんです」近藤コーチはまず第一テストに成功したといわんばかりにニヤリと笑った。山内一番の阪神新打線については「はじめてぶつかったが、かえって投げやすいね。山内一番だと吉田と本屋敷がはなれるからね。ぼくは小さくてうるさい二人が一、二番にならんで細工されるのが一番いやなんだよ」といっていた。
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鵜沢達雄

2016-07-14 20:36:33 | 日記
1972年

真っ青な顔をしてベンチに引き揚げ、突じょ鵜沢が手で顔をおおったとき、首脳陣はバクチが最初から勝ち味がなかったことをさとった。鵜沢の鼻血がすべてをあらわしている。リリーフで2勝をあげ、新人王にも名乗りをあげた十九歳の少年。その自信を一気に巨人戦にぶつけた結果が、興奮のあまり十九球のKOだ。王はいう。「シュートとストレートだけで攻めてきた」しかし実際は、十九球全部ストレート。それに肩に力がはいり、自然と落ち、王はそれをシュートと勘違いしたのだ。あの阪神の江夏でさえ、六年前のデビューで首脳陣は細心の注意を払っていた。藤本監督(現評論家)は他チーム相手に先発の経験を積ませ、巨人戦のリリーフで場なれさせ万全の準備をしたうえに巨人戦の初先発にもってきた。確かペナント・レースも中盤の八月だった。初先発でも堅くなる。そのうえ相手が巨人ともなれば、さらにその重圧は加わる。ところが鵜沢は、その二つの負担をいっぺんにかぼそい両肩に背負った。「力がはいって、ねらったところにボールがいかないんです。ボールが指にひっかからない。みんな真ん中へはいってしまうんです」少しでも負担を軽くするように、秋山コーチはこの日球場入りしてすぐ先発を伝えたのだが・・・。「ブルペンでは球が走っていたんですけど・・・。それがマウンドでちっとも出てこないんです」平松、坂井は中二日の休養。投げさせる投手がいなかった苦しい台所も反映していたが、青田ヘッド・コーチは、鵜沢に大洋の優勝のキーをあずけている。「優勝への一つの投資として考えたい。いま日本球界は、速い球を打てない傾向にある。だから、速球投手をつくるため、これからもドンドン使っていく。この負けがシーズンが終わったときに何倍かになってかえってくればいいじゃないか」気になるのは鵜沢のショック度だ。立ち上がれないほどだったら、この日の起用はどこをみても失敗だ。「ショックですか?ないです。自分のピッチングをして打たれたんじゃないですからね。こんどですよ、勝負は」強がりには聞こえなかった。
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伊藤久敏

2016-07-14 19:35:15 | 日記
1971年

この日は家から球場までどのような道順でやってきたのかまるで覚えていないという。タクシーの中でこの夜のピッチングの台本をあれこれ描いていた。開幕以来、ひさびさにめぐってきた先発を初白星に結びつける努力をしていたわけだ。その台本は、一発長打のある藤田平とカークランドの二人は徹底的にマークし、なんとか3点以内に押える。藤田平とは多分四度対戦するだろう。全部押えるのはむずかしそうだが、三度は勝てそう。藤田平さえ押えられれば勝てるーというものだった。試合前のミーティングで、その台本の整理をした。山中スコアラーのメモから得た若い桑野と西村には要注意。当っているという項目を加え、マウンドに立った。「開幕戦で当ったときとくらべ、この夜の阪神打線はやや勢いがなくなっている」とすぐに直感し「現在自分の調子はいい。しばらく試合に出ていないのは調子が悪いからではない。3点以内に押えられそうだ」と思っていたそうだ。しばらく投げているうちに相手のペースを冷静に読みとった。「阪神打線は打ち気にはやっている。それなら・・・」と、新宅捕手と相談し、自分の持ってる球種(ストレート、カーブ、シュート、シンカー、フォーク)をフルに使って打ち気をそらす戦術に出た。それがうまくいった。「向こうさんはさぞ的がしぼりにくかったでしょう。一、二回には横からのゆさぶりも入れました」試合後、してやったりといった表情で話す。八回の2失点がバックのエラーによるものであるのを承知のうえで「辻さんに打たれた自分がいけなかったんです。ぼくの悪いくせで球威もないのにど真ん中へ投げてストライクをとりにいきました」と自分を責める余裕。インタビューの最中、笑顔がのぞいたのは話題が藤田平に移ったときだ。「試合前の計算どおりでした。四回対戦し、三度勝って一つ負け(四球)。しかしあの四球は二死無走者だったので、一発を警戒してまともな勝負をさけたんです」藤田平、カークランドを最重点とし、若手の桑野、西村をピタリと押え、失点2の完投勝ち。ストーリーどおりのピッチングが出来てさぞ気分がよかったに違いない。
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皆川康夫

2016-07-14 19:09:35 | 日記
1971年

もはや東映のエースである。八回、大橋のエラーで満塁とされ、マウンドはおりたが、少しもガックリしたところはない。ベンチ裏のイスに腰をおろすと「あのゴロで、チョイチョイと併殺になれば終わりだったんですよね」大きな目玉をギョロリとさせ、いたずらっぽく笑った。チーム6勝のうち、4勝の荒かせぎ。金田がいまひとつピリッとせず、高橋直、高橋善も期待どおりではない。火の車の投手陣だから、ちょっといいと、すぐにお声がかかるのもしようがない。チーム全試合の半分を越える13試合目の登板。この一週間になんと四試合もマウンドをふんでいる。「からだがなんとなくだるい。シャンとしないんですね」先発とリリーフの両刀使い。「前夜も一回投げているでしょう。これまでこんなに投げたことはなかったし、少し疲れが出てきているんですよ」大学(中大)時代は一日に何百球と投げてもビクともしなかったそうだが、さすがにこのところの登板は、タフな皆川にもこたえているようだ。土橋コーチもこのところは承知している。「ちゃんと休みをやろうと思っているんだが・・・。投手陣がなんとかそろうまで、皆川には気の毒だが、がんばってもらいたい」という。「きょうは三回もてばいいんじゃないですか」といっていたのは試合前。だが投げ進むごとに、少しずつ欲も出てきた。「あそこまでいけば完投したかったですよ。ひょっとしたら、一回のエラーがなければ完封できたかもしれないですよ」こわいもの知らずというか、新人らしくはっきりしているというのか、強気な言葉がポンポンとび出す。ドラフト五位で富士重工から入団。キャンプでは一位指名の、大学の後輩にあたる杉田がチヤホヤされるのを横目に「そりゃ面白くないですよ。でも・・・」と忠実にランニングやシャドー・ピッチングをやり、ひそかにチャンスのくるのをねらっていた。「新人王?まだまだそんなこと」両手でさえぎるようにしてベンチを出た。
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