プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

国岡恵治

2016-07-25 23:30:32 | 日記
1969年

甲子園に一度もでてきていないためネーム・バリューはないが西の太田とスカウトに人気のあるのが国岡=1㍍83、73㌔だ。超大型なのに動きは機敏だし、希少価値のある左投手。バッティングもいいときては、とびつきたくなる。二年生のときからみているという広島・木下スカウトは「ヒノキ舞台を踏んでいないマイナスはあるが、とにかくスケールの大きい選手だ。フォームに野性味があるし、悪いクセがない。かならずどこかが一位に指名するでしょう」とへんな自信を持っている。三年生四百人中で知能指数は一位。学業成績もクラスでいつも五番以内、野球部員としては抜群の頭脳の持ち主だ。そのため一宮監督をはじめ学校関係者は大学進学をすすめたが父親義隆氏(48)=農業=は「経済的に無理だ。入学金や月謝を免除してもらっても、こづかいを仕送りしなければならないから・・」と、話のあった関大、近大、同大、法大を断っている。「プロ入りして家計を助けたい」というのが本人の希望。現在、阪神、東映をのぞいた十球団が一宮監督のところへ打診しにきている。中でも熱心なのは巨人と南海。同監督の話では巨人は伊スカウトが四回、内堀スカウトが二回。南海は内海スカウトがオープン戦にまでついて歩き、ことしにはいってから十回以上も足を運んだそうだ。だからといって、それにほだされたわけでなく「力を買ってくれる球団ならどこでもいい」と国岡はいう。プロから指名されなかった場合も考え、ノンプロの日本生命に入社を内定させているが、これはあくまでもすべり止めだ。この国岡のほかに四国には徳島商・松村、丸亀商・井原、八幡浜・藤沢と話題の投手が三人いる。松村は、二、三年生の春(選抜大会)連続で甲子園に出場。「堀内二世」とさわがれだしたのは耳新しい。しかし、今夏の選手権には腰痛と左足首の骨髄炎などでとうとう甲子園に姿をみせず忘れられかけた存在。しかし九月には故障もなおり、再びスカウト間で脚光をあびている。徳島商の森野球部長のところには、徳島からバスで一時間もかかる松村宅(徳島県阿南市加茂町)の地理を教えてほしいというスカウトからの電話が再三はいり、巨人の伊藤、産経・宇高両スカウトとは会って話もした。本人、父親守氏(47)はいずれも大学進学一本やりで「慶大を受験する」と同じ徳島商から慶大にいった西鉄・広野の父親から学校の内容を取材したとか。はじめは立大か明大を受けるといっていたが、どちらの大学のセレクションにも参加せず、近日中に森部長が上京して両大学に断るとともに慶大側に受験したいむね伝えることになっている。松村は国岡に負けずおとらず、徳島商入学のときは五百人中の二番で合格、今夏の予選が終ってからは市内の学習じゅくにかよって英語の特訓中で、学年で二十番前後とかなりの実力をつけている。森部長も「大学進学がかたい。いくらプロから指名されても試験にさえ合格すればまずいくことはないだろう」と見ている。ことしの選抜大会で剛球投手として注目された井原は、今夏の立大の練習に同僚の西川遊撃手と参加し、同大受験を伝えられている。しかし十月上旬、井原の調査をして丸亀から帰ってきた立大OBの産経・小山スカウトは「家庭(父親富士男氏、四国中央病院職員)の状況からいって進学は無理」と立大側に伝えている事実がある。だが、好永部長、竹内監督、本人とも「立大か慶大のどちらかに受験する。新学説がくずれたなどという話はデマです」と二十三日、立大側に受験する気持ちはかわっていないむねの電話を入れている。プロ側は「リストにははいっているが、将来性に欠ける」(広島・木下スカウト)という意見が圧倒的で、積極的に動いているところはない。むしろノンプロの誘いが活発で、富士鉄広畑、日本生命が丸亀通いをつづけている。無名だが、意外に人気のあるのが藤沢。八幡浜の監督を実弟がしていた関係で、六月に自ら乗りだしてきた阪神・藤本技術顧問を先頭に南海、中日、産経、ロッテ、巨人が名のりでた。1㍍73、65㌔とからだは小さいがスピード、球の切れは高校生ばなれしている。高原監督の話では「からだが小さいから、ノンプロでもう少し体力をつけてからプロ入りした方が・・・」と藤沢の父親がなくなるまで勧めていた日鉱佐賀関入社を決めてしまった。
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伊藤久敏

2016-07-25 21:52:39 | 日記
1971年

伊藤久ははっきりおぼえていた。そして誇らしげにいった。「たしかあれは阪神の優勝の望みを断つ完封だったですね」巨人と息づまるようなデッドヒートを演じていた阪神が、とどめを刺された昨年十月二十一日の対中日最終戦。そしてことしは、やっとの思いでこぎつけた勝率五割を「さあ、これから確保」という矢先に、また妨害役どちらも伊藤久がその年初めての完封勝ちだけに、阪神にとってはこれほどにっくき男はない。勝率を待望の五割に乗せた前日とは打って変わり、ニガい顔の村山監督とは対照的に、阪神キラーからは笑いが絶えなかった。「このところ3連敗と足踏みをつづけていたし、念願の10勝へ到達する意味でも、この1勝は大きい」横一線だった水谷寿、渋谷を一歩リードする9勝目は「百点満点」と自分で採点したほどの、ことし最高のピッチング。チーム内では指折りの好青年で「欲がないのが欠点」(江崎スコアラー)だが、宿舎(芦屋・竹園旅館)を出発する前から「きょうは完封できそうな気がする」という予告を実現させるしぶとさも持っている。もっとも、この日の好投は、水原監督からの「正面からぶつかれ」のアドバイスを守ったのがよかったらしい。「いつものように変化球でくると思っていたんでしょうよ」という伊藤久の言葉を裏付けるように阪神・梅本スコアラーは「いつもと違ってストレートが多かった。それも内角低めに実にいいコントロールで投げていた。あれではちょっと打てない」といっている。それでも伊藤久は自分だけの手がらにはしなかった。この日、久しぶりにコンビを組んだ駒大の一年先輩の新宅のリードをちゃんとたたえた。「一度も首を振らなかったくらいですからね。ぼくの持ち味をうまく引き出してくれました。全く大船に乗ったような気持ちだった」阪神にはことし六試合投げて1勝2敗だったが、二十九イニングで6失点。「六回のピンチで藤田平を迎えたときも打たれるような気がしなかった」これでプロ入り四完封のうち三つまで阪神からマークしているが阪神観についてはおもしろいことをいった。「打撃の方はなんとか押えられるが、投手がいいからあまり好きな相手ではないんですよ」ことしは念願のオールスターにも出場し、つぎの目標は10勝。「10勝目へ二十五日からの巨人戦でやりたいですね」ネット裏でメモをとる巨人・小松スコアラーは、マウンドの伊藤久をくいいるようにみていた。
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竹内広明

2016-07-25 19:48:15 | 日記
1971年

大洋が選択会議で第一位に指名した深谷商・竹内広明投手(18)=1㍍75、77㌔、右投右打=の入団が二十一日決まった。同日午後三時、平山スカウト部長、湊谷スカウトは群馬県群馬県多野郡新町の実家に同投手をたずね、父親・忠さん(42)母親和子さん(42)深谷商・赤坂監督らと話し合った結果、快諾を得た。同投手は日本石油に就職が内定しているが、同社の了解をとりしだい大洋と契約する。契約金は規定額の最高一千万円、年棒百八十万円とみられる。

まるで友人の家をたずねるような気軽さがスカウトにあった。大洋に指名されたとたんバンザイし胴上げまでされて、素直に喜びをあらわすルーキー。「お待ちしておりました」と両親が居間に招き入れた。一昨年が一位の荒川、昨年が二位の佐藤(現早大)と二年つづけてソデにされた大洋が、やっとめぐり合った和気あいあいの話し合い。「ぼくの気持ちはすぐにでもはいりたい」と竹内は早くも意思表示。父親の忠さんも「大洋に指名されて、みんなで喜んでいます」と、もう契約を終わったような喜びだった。一応、竹内の就職が内定していた日石にスジを通すということで入団発表は持ち越されたが、もう竹内は大洋ナインの一員としての抱負が口を出る。「体力だけはつけようと、毎日走っているんです」学校から帰ると、すぐ近くの鳥川ぞいに5㌔のマラソンと柔軟体操、ダッシュと、プロ選手としての第一歩をもうしるしている。北関東出身の本格派、その投げおろすスピードは堀内二世といわれているが、竹内は一日も早く平松二世になりたいと目を輝かせている。「ピッチングはもちろん、あの性格が大好きなんです。日石の人に聞いても、だれに聞いても、悪口をいう人はいません。ぼくも、だれからも好かれる大投手になりたいんです」夏の甲子園大会で顔をしかめ歯を食いしばって投げた。あの悲壮感はもうない。深谷商・赤坂監督の「第一位に指名されたのだから、恥しくない成績を残してほしい。なによりもコントロールを身につけるんだ」という激励に、大きく力強くうなずいた。お父さんは第一回国体陸上の群馬県代表選手、お兄さんは日大野球部の三年生、弟は来年、深谷商の野球部にはいる。スポーツ店を経営するスポーツ一家の代表選手。うわ背を心配した平山スカウト部長が、手をみせてもらい。話を聞くうちにだんだん笑顔が多くなった。「百㍍や野球のスパイクで12秒8で走る。バネがあるんだな。手の大きさも平松そっくりだ。ムードもあるし、楽しみな選手ですよ」女学生からのファンレターは、赤坂監督のもとでストップしているが、その数は数えきれないほどあるそうだ。「竹内にはスターのムードがある」とスカウト連中でささやかれたことしの選択会議。竹内の夢は大きい。「平松さんが入団した年に巨人に完封勝ちした。ぼくもああなりたい。一日も早く一軍のマウンドを踏んで、王さんや長島さんと勝負してみたいですね」居間の壁に誠と書かれた川上監督直筆の色紙があった。高校野球で大阪にいったとき、宿舎竹屋のご主人からもらったそうだが、その誠の色紙の前で竹内の打倒巨人の夢がひろがっていく。

平山スカウト部長「きょうはあいさつと大洋というチームの紹介に終わった。条件面は中部オーナーと相談して次回の交渉のとき提示します。竹内君は大洋に指名され大変喜んでいた。だから入団の堅い話というより、もう大洋の一員としての打ちとけた話し合いだった」

竹内投手「自分の気持ちはすぐにでもはいりたい。だれにも負けないようからだを鍛えて、一日も早く尊敬する平松さんに近づきたい。毎日5㌔ほどのランニングをして体力づくりに励んでいます。大洋の練習がきついといわれているので、なんとか追いつくためにも、これからもずっとランニングだけはつづけていきたい」

父親・忠さん「前から監督さんとこどもにプロ球団はまかせてあった。一番好きなところへはいれたので、みんなで喜んでいる。なんとか一日も早く一軍で投げられる投手になってほしい」
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松田光保

2016-07-25 19:02:00 | 日記
1971年

ロッテは九日午後二時から東京・新宿区大久保の球団事務所で、ドラフト六位指名の藤沢商・松田光保投手(18)=1㍍82、77㌔、右投右打=の入団を発表した。発表に先立ち、契約金四百万円、年棒百万円(いずれも推定)で契約書にサインした。同投手は、ことしのオープン戦で、春の甲子園大会で優勝した日大三高に完封勝ちしたことから、関東球界で注目を浴びた本格派。からだつきは「木樽そっくり」(田丸スカウト)というように、大柄で将来性を買ってロッテは一、二年間ファームで育てる方針。

松田投手「小細工しないで大きく伸びたい。木樽さんのような投手になるのが目標です」
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鵜沢達雄

2016-07-25 18:34:12 | 日記
1972年

大洋は十五日、鵜沢達雄投手の背番号を59からエース・ナンバーの18に変更することをきめた。大洋投手陣の救世主といわれ、十三日の対広島戦でプロ入りをあげた鵜沢は昨年は公式戦登板ゼロのプロ入り二年目、一躍新人王のダークホースに浮かびあがってきた注目の新鋭。「ストレートの速さなら日本一だろう」と首脳陣は大変な力の入れようだ。

なにも考えなくてもいい。捕手の伊藤は鵜沢がマウンドに立つとだまって手を振ればいい。ジャンケンのグー。ストレートのサインはグーで押し通せばいい。ストレートだとわかっていても、広島打線は打てなかった。「久しぶりに小気味のいい投手が出てきたな」と根本監督までがいう。広島の一、三回戦を通じて六イニング。奪三振は9だ。ストレートは一本もヒットを打たれていない。「堀内(巨人)よりも速い」と広島打線。堀内の高めのつり球を運んできたこの打線が、鵜沢の球にはついつい手が出る。それだけ速いということだろう。この快速球投手の出番で広島首脳陣の中でひともんちゃく起きたという。「廿九歳の少年があれだけ速い球を投げる。一年目は名前も聞かなかった投手が、なぜあれだけ成長するのか。われわれの指導方法も考え直さなければいかんかもしれん」鳴りもの入りで入団した佐伯は二軍戦でも打たれている。同じ十九歳だというのに・・。鵜沢は首脳陣の英才教育でここまできた。モヤシみたいなからだつきに特別食がつくられ、鉄アレイを持たされて馬力をつくってきた。「いいか、おまえの勝負は二年目だ。新人王をとってくれ」という願いが二軍の島田、稲川両ピッチング・コーチにこめられていた。月給は八万円だ。税金をとられると六万円ちょっと。球団支給の特別食がなかったら、とっくにネをあげていたところだ。合宿費と服装代をとられて、残るわずかの金で昨年、ステレオを買った。二十四万円もするため、もちろん月賦。遊びにいく金はない。クリフ・リチャードやダニエル・ピダルの歌を聞きながら、鵜沢はいつも思ったという。「来年になったらバリバリ投げて貯金通帳をつくるんだ」チャンスは意外に早くやってきた。広島第一戦が負けゲームで敗戦処理のデビュー。ツキまくったのは第三戦だ。5対5になったとき、最初の予想は佐藤元だった。ところがブルペンで九十球も投げている。平松は第二戦の予定外のリリーフで、この日は休養。山下は第一戦にKOされて気がめいっている。「エイッ、それなら鵜沢だ」と起用したところが、初勝利。もし、投手陣が足並みそろっていたら、鵜沢のデビューはもっともっとおそかったろう。バクチは大当たり。秋山コーチは「これから先発でどしどし使っていく」とほれ込んで、エース・ナンバーの18番を急きょ鵜沢に譲ることが決まった。「あいつのストレートにはかなわねえ」と平松がいう。「キャンプよりオープン戦、オープン戦より公式戦と、なんだか球がまた速くなってきたみたいです」と鵜沢が答える。「いまの江夏よりは速いだろう」というのが秋山コーチの結論だ。不安なコントロール、甘い変化球と課題はまだまだたくさん残っている。しかし、18番を手にしたことで、ひとつの望みはかなえられた。四畳半の部屋にどんと置かれたステレオも、いまは少し色あせてみえる。サイドボードの上にちょこんと乗っている一勝記念のウイニング・ボールがいまの宝物だ。「この記念のボールを二段いっぱいに並べたいですね。それなら新人王も間違いないでしょう」一段に八つはいる。すると16勝。球も速いが、いい心臓もしている。
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