プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

岡田光雄

2016-07-27 20:38:49 | 日記
1969年

三原監督が終了と同時にベンチからとび出していって岡田と握手したすばやさは、すばしっこさでは相当自信を持っているカメラマンたちがあきれるほどだた。「シュートがよかったんです。投げた球はストレートが半分で、残り半分をちょうど二分の一くらいずつシュートとカーブを投げました。コントロールがよくなったのが以前と違うところでしょうね」それほど興奮したようすもなくいう岡田。「ひとことではとてもいえません」といったのは初勝利の感想を聞かれたときだ。「根性はたいしたものです。実力もさることながらびくびくしないあの度胸ですよ」とニコニコ顔で三原監督がほめた。度胸を買った結果がこの日の先発決定になったようだ。それも自信を持って送り出したのは前夜、試合終了後「あすのウチの先発ピッチャーを当ててみてください。みなさんの推理を楽しみにしています」岡田先発をにおわすような発言をしていることを裏付けている。それにこたえて岡田も試合前にこういった。「みなさん、きょうは先発ですよ。よろしくね」と堂々と先発を試合前一時間ほど前に発表していた。前夜いわれたのだそうだ。もっとも試合後は「あれは破れかぶれでいったのですよ。自信なんてそんなもの・・・」とはいったが、確かに並みの新人ではない。新人王候補などと騒がれたわりにスタートが遅れた。これまで四試合で2敗。欠陥は制球のなさにあったわけで、中原コーチに投げ終わったあとのフォームがそのたびに違うことを指摘されてから球道が定まったという。五月初めからファームに落とされて徹底的にしぼられた。昼間はウエスタン・リーグに出て、ナイターはネット裏から見てレポート作成といった試練の時期がつづいた。ウエスタンでは5勝無敗の成績を残して一軍ベンチへ。その間、力をためたあとの先発決定となったものだ。入団のとき「右の鈴木さんになりたい」といい、運動具店に「鈴木さんと同じ型のグローブをつくってください」と特別注文もした。「五回まではなんとかいこう」という気持でスタートし、八回の無死三塁では「2点リードがあるので、1点はやってもいい」と考えて、完投をねらった。近鉄にとって待ちに待った第五の投手。これまでに残した34の白星は鈴木(14)佐々木(9)清(6)板東(5)の四投手でまかなってきた。しかしオールスター前後からは連戦につづく連戦が予想される。バッキーが坐骨神経痛でしばらくは登板出来そうにないので、岡田の初勝利は大きな意味を持つ。「リリーフにはこと欠かなかったけど、これで先発投手もよくなりますね」と三原監督。東映の張本は「シュートが実にいい。だからカーブまで生きていた。堂々と攻めてくる」とほめ、四打数無安打の大杉は「三振のときのシュートがとくに印象に残った。ボールも速いね」といった。右中間三塁打した大下が「高めにこない。高めにきたのは三塁打した一球だけだった」と感心していたのが、立ち直った岡田をはっきりいい当てているようだ。
コメント
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