1958年
宮本が先発をいい渡されたのは試合直前。だが「明日、大石さんと秋山さんが出て負けたときこんどはぼくの番だと思った。調子はツメを割っているほか別に悪くなかったが、それよりもなんとか勝たなければと、そればかり考えていた」と覚悟は出来ていたようだ。そのころ巨人ベンチでは藤尾十時らが大洋の先発を占っていた。ほとんどの選手は権藤だといった。ところがその日の前で権藤がフリー・バッティングの投手をはじめた。それをみてみんながいったのは「では幸田だ」そんなわけで宮本は全然話に出なかった。その宮本が巨人の九連勝をはばんだ。帰りのバスの中で宮本の話は途切れがちだった。「カーブがよく割れた。それが大体土井さんのリードのとおりにきまったのがよかったようだ。ただもう土井さんのサインどおりに投げただけだから、それ以上は・・。土井さんはうまい」ヒタイにはあとからあとから汗の玉が出来、それを手でぬぐっては頭をあげる。アゴに数えきれないほどのヒゲがはえていた。「カーブも横からと斜め上からと、ドロップみたいのと、角度の違うのを三つまぜて投げた。自分ではスピードはあるようだと思ったが、いくら速くても高目へ投げるとたたかれる。ことに与那嶺、長嶋さんはうまい」捕手のリードに感心、相手の打者に感心、そのあとではじめてこういった。「自分としてはまあ満足できるピッチングだった昨年七月仙台での対巨人戦に、秋山さんをリリーフし、6イニングをノー・ヒットにおさえたこともあるので、ある程度は自信があった」ヤジることでは大洋ベンチのナンバー・ワン。気も強い。プロ入り二年目。昨年は国鉄に一勝しただけで、これはプロ入り初の完封勝利である。1㍍76、68㌔、二十二歳、長崎工ー長崎大洋クラブ。
谷口コーチの話「打者のタイミングを巧みにはずしていた。カンもよく度胸もいいピッチングだったと思う。それもスピードがあったのでことにうまくいった。調子はとくにいい方ではなかった。しかし巨人は若い投手にひねられることがときどきあるので、もしかすると、とは思っていた」
宮本が先発をいい渡されたのは試合直前。だが「明日、大石さんと秋山さんが出て負けたときこんどはぼくの番だと思った。調子はツメを割っているほか別に悪くなかったが、それよりもなんとか勝たなければと、そればかり考えていた」と覚悟は出来ていたようだ。そのころ巨人ベンチでは藤尾十時らが大洋の先発を占っていた。ほとんどの選手は権藤だといった。ところがその日の前で権藤がフリー・バッティングの投手をはじめた。それをみてみんながいったのは「では幸田だ」そんなわけで宮本は全然話に出なかった。その宮本が巨人の九連勝をはばんだ。帰りのバスの中で宮本の話は途切れがちだった。「カーブがよく割れた。それが大体土井さんのリードのとおりにきまったのがよかったようだ。ただもう土井さんのサインどおりに投げただけだから、それ以上は・・。土井さんはうまい」ヒタイにはあとからあとから汗の玉が出来、それを手でぬぐっては頭をあげる。アゴに数えきれないほどのヒゲがはえていた。「カーブも横からと斜め上からと、ドロップみたいのと、角度の違うのを三つまぜて投げた。自分ではスピードはあるようだと思ったが、いくら速くても高目へ投げるとたたかれる。ことに与那嶺、長嶋さんはうまい」捕手のリードに感心、相手の打者に感心、そのあとではじめてこういった。「自分としてはまあ満足できるピッチングだった昨年七月仙台での対巨人戦に、秋山さんをリリーフし、6イニングをノー・ヒットにおさえたこともあるので、ある程度は自信があった」ヤジることでは大洋ベンチのナンバー・ワン。気も強い。プロ入り二年目。昨年は国鉄に一勝しただけで、これはプロ入り初の完封勝利である。1㍍76、68㌔、二十二歳、長崎工ー長崎大洋クラブ。
谷口コーチの話「打者のタイミングを巧みにはずしていた。カンもよく度胸もいいピッチングだったと思う。それもスピードがあったのでことにうまくいった。調子はとくにいい方ではなかった。しかし巨人は若い投手にひねられることがときどきあるので、もしかすると、とは思っていた」