プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

宮本和佳

2016-07-18 19:52:40 | 日記
1958年

宮本が先発をいい渡されたのは試合直前。だが「明日、大石さんと秋山さんが出て負けたときこんどはぼくの番だと思った。調子はツメを割っているほか別に悪くなかったが、それよりもなんとか勝たなければと、そればかり考えていた」と覚悟は出来ていたようだ。そのころ巨人ベンチでは藤尾十時らが大洋の先発を占っていた。ほとんどの選手は権藤だといった。ところがその日の前で権藤がフリー・バッティングの投手をはじめた。それをみてみんながいったのは「では幸田だ」そんなわけで宮本は全然話に出なかった。その宮本が巨人の九連勝をはばんだ。帰りのバスの中で宮本の話は途切れがちだった。「カーブがよく割れた。それが大体土井さんのリードのとおりにきまったのがよかったようだ。ただもう土井さんのサインどおりに投げただけだから、それ以上は・・。土井さんはうまい」ヒタイにはあとからあとから汗の玉が出来、それを手でぬぐっては頭をあげる。アゴに数えきれないほどのヒゲがはえていた。「カーブも横からと斜め上からと、ドロップみたいのと、角度の違うのを三つまぜて投げた。自分ではスピードはあるようだと思ったが、いくら速くても高目へ投げるとたたかれる。ことに与那嶺、長嶋さんはうまい」捕手のリードに感心、相手の打者に感心、そのあとではじめてこういった。「自分としてはまあ満足できるピッチングだった昨年七月仙台での対巨人戦に、秋山さんをリリーフし、6イニングをノー・ヒットにおさえたこともあるので、ある程度は自信があった」ヤジることでは大洋ベンチのナンバー・ワン。気も強い。プロ入り二年目。昨年は国鉄に一勝しただけで、これはプロ入り初の完封勝利である。1㍍76、68㌔、二十二歳、長崎工ー長崎大洋クラブ。

谷口コーチの話「打者のタイミングを巧みにはずしていた。カンもよく度胸もいいピッチングだったと思う。それもスピードがあったのでことにうまくいった。調子はとくにいい方ではなかった。しかし巨人は若い投手にひねられることがときどきあるので、もしかすると、とは思っていた」
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岡田光雄

2016-07-18 19:19:30 | 日記
1969年

近鉄のローテーションが新しく書き換えられつつあるといえばいいすぎになるだろうか。今季2勝目。しかも初完封で南海をねじ伏せた岡田の先発グループへの参加だ。五安打散発、それも四本が二死から出たものだから、南海としては攻撃のきっかけさえつかめない状態だった。カーブ、シュートで南海打線をねじ伏せたその中身は、五本の安打を除いては外野にとんだ打球はブレイザーと杉浦の二本だけだ。「ちょっと肩が曇る感じだったから、慎重に投げました。球の切れがよかったですから楽でした。とくによかったのはシュートです」この岡田のいいぶんに対して捕手の児玉はシュートよりカーブの方がよかったといった。球のよさを見る目は二人とも違っても、この二つは南海は泣いた。木塚忠助氏は「カーブは大きく、シュートは落ちる。速球はいいところにくる。これではローテーション入りと見なくてはなるまい」と見る。「非常に名誉なことだと思います。投手ならだれでもそう思うことです。とくに不安感はありません。ただこんご投げるとき、もし悪かったら困りますけど・・・」ローテーション入りについて聞いたこたえがこれだった。特別な目で見たくてもこれだけ投げれば当然じゃないか、そんな感じすらあった。「私はこの試合で5失点を覚悟していました。それはいまの南海を見ればわかります。だから5点以上とるために、ずっと強攻策だったのです。前日の逆転勝ちが尾を引いて、選手は心理的に優位に立っていましたね」試合をふり返って三原監督はこういった。阪急が西鉄に負けてゲーム差は3。しかもこの1勝でたとえつぎのロッテ戦を失っても、近鉄が首位で前半戦を折り返すことが確定した。佐々木の先発に新しく岡田が加わる。三原監督は「なにせ新人ですからな」としかいわなかったが、中原コーチは、もっとはっきりいった。「先発ー完投に入れられる。二度目でそこまでいうのはいいすぎかもしれないが」バッキーはオールスター戦でないと出られるメドがつかない。そのかわり岡田が出てきた。岡田とバッキーのプラス・マイナスはどう出るか。中原コーチは「岡田がこれを埋めて、まだおつりがくるくらいだ」といった。好投はするが先発で勝てない清、最近、調子をくずしている板東。この二人は近鉄の投手回転の歯車だが、岡田が出たことで、この二人が救援専門に回るということも考えられる。そういう意味で投手回転にまた幅が出来たといえる。夏場に向かって明るい材料、すいと阪急を引きはなしたこの差を三原監督はどう見るか。「前半戦阪急に抜かれることはないですね。そうですな。選手たちが心理的に有利ですね」南海・野村の感想・・・。「近鉄は岡田が出たことで投手の回転が非常に楽になった。それは認める。しかし、この岡田だが、決して打てない投手やない。マトをしぼればいい。もっとはっきりいえば、右へ打てばいいのだ。カーブが多いからだ。とすれば、ロッテ、東映には通用するかもしれないが、目のいい打者がそろっている阪急にはどうかな」
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鈴木弘

2016-07-18 17:15:46 | 日記
1969年

米大リーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツが大東文化大(首都リーグ)鈴木弘一塁手(22)=1㍍98、94㌔、左投左打、国士舘高出、経済学部四年=の獲得をねらっている。国際ライオンズ・クラブの総会で来日中の同球団極東担当スカウト原田恒男氏は十日夜、東京・赤坂葵町のホテル・オークラで大東文化大野球部・稲垣人司監督、格地啓方部長代理と会い「鈴木選手にプロ入りの意思があるかどうか」を打診した。稲垣、格地両氏とも「まだ秋のリーグ戦があるし、本人の気持ちを聞いていないので・・・」と即答をさけたが、原田スカウトは「本人さえOKなら、いますぐにでもアメリカへ連れていって2Aに入団させる」と乗り気。十四日に帰国する原田氏は十月上旬また来日するので、それまでに気持ちを決めておいてほしいと要望した。しかし鈴木選手、学校側とも「アメリカ野球界の事情がはっきりしないうえ、言葉のハンデなど不安の要素が多い」と慎重。特に稲垣監督は「からだは外人に負けないが、技術的に不安が多いので、プロとして野球をやるのはムリではないか」とプロ入りには疑問をもっている。すでに社会人野球の静甲いすゞや本田技研から入社をすすめられているが「プロ・レスラーのようなからだで馬力はある。しかし変化球にはめくらだし、打つコースは決まっている。そのうえ足がおそい」(巨人・前川スカウト担当)と日本のプロ球団でマークしているところはほとんどない。同選手は昨年秋、投手から一塁手にコンバートされ、今春のリーグ戦では、はやくもクリーンアップを打ち、二本の本塁打を含む53打数20安打、三割七分七厘で打撃十傑の九位。六月中旬来日したカリフォルニア大と首都選抜軍の親善試合で右中間へ二塁打して「馬力のある選手」(原田氏)とマークされた。

鈴木選手「監督さんが原田スカウトと会ったことは聞いている。しかしぼくはまだ卒業後のことなど考えていない。すべて秋のリーグ戦が終ってからです。大リーグから話があったということはうれしいが、言葉のわからないところにいかなければいけないと思うと不安になってしまう」

原田スカウト「もしウチにきてくれるという気持があるなら秋のリーグ戦が終ってから日本に来て具体的な条件をだそうといってある。鈴木君をみたのは六月の中旬のカリフォルニア大とのオープン戦だけだが馬力、マナーとも立派なのでほれてしまった。いますぐ大リーグで使うのは無理だが、二、三年ファームできたえれば、きっと通用する選手になれるとみている。アメリカでも外人選手はドラフト制度の対象外でいつでもとれる。もし入団してもいいということになれば十一月の教育リーグから参加させたい」
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鵜沢達雄

2016-07-18 16:37:09 | 日記
1971年

「からだのやわらかさ、すばらしいバネ、足の速さ、ものおじしない性格。投手としての条件をすべて持っている」稲川コーチは、こういって大洋のルーキー鵜沢達雄投手の素質に目を細める。大洋のファームにはこれといった選手がいないだけに着実に力をつけている鵜沢の成長が目を引く。七月下旬に行われた巨人、ヤクルト帯同の北海道遠征で、はじめて先発に起用されたが、二試合とも四回までに打ちこまれてKOされ、黒星を重ねた。しかし、ヤクルトとのオープン戦(七月二十五日・様似)で完投勝ちし、大器の片りんを見せた。これまでのところ3敗と勝ち星に恵まれないが、北海道遠征でもっとも力を伸ばした選手といえる。千葉県成東高からドラフト四位で入団した右腕の本格派。六月の末からスリークォーターのフォームをオーバーハンドにかえて球速を一段と増した。「速いときには平松と同じぐらいのスピードボールを投げる」(稲川コーチ)「広島の外木場に似たタイプ」(島田コーチ)と各コーチは口をそろえて将来を楽しみにしている。だから、大洋の首脳陣は、あわてず、二、三年先を目標にじっくり育てる方針だ。「勝ち星がないのは、それだけのチャンスを与えていないからだ。目先の勝敗にこだわらずに恵まれた素質を十分に伸ばす方が大切だ。しかし、これからはどしどし先発させて、経験を積ませたい」と山田二軍監督はいう。「もともと大学に行くつもりだったから、あせった気持ちはない。一軍にあがったら二度と二軍落ちしないようにがっちり基礎を作っておきたい」と鵜沢にもあせりはない。早く勝ち星をあげることと、69㌔の体重をもう四、五㌔ふやすことが、当面の目標だ。合宿でも五本の指にはいるほどの大食いだというが、体重は思うようにうえない。「ヤセの大食いというんですかね・・。ピッチングの方はボールが走るようになった。今度は大丈夫」と登板の日を心待ちにしている。首脳陣の期待と思いやりを受けて鵜沢はのびのびと成長している。
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杉山重雄

2016-07-18 16:12:31 | 日記
1971年

めっぽう血の気の多い男がいた。左腕から繰り出す球はびっくりするほど速いが、一発撃たれるとカッと頭に血がのぼり「このヤロー」と正面から向かっていっては、連続パンチを食ってしまう。それが春までの杉山の姿だった。ところが秋になって、あざやかな変身ぶりをみせた。一発打たれても、カッとするどころか、以後かえって冷静になるのだ。この日も三回、投前バント・ヒットを一塁へ大暴投して1点をとられるというポカをやったのに、心配そうにかけ寄るナインを手で制して、顔色も変えない。以後、切れのいいカーブで、結局四安打であっさりかわしてしまった。「考え方を変えたんです」とテレながらタネをあかした。「いままでは、打たれると点をとられちゃいけない。押えなくてはとひとり相撲をとっていたんです。でも秋になって打たれてもいい。全力を出して打たれたのなら、しかたがないと考えるようになったら、いっぺんに気が楽になったんです」精神的におとなになったといいたいのだろうか。もうひとつ欠かせなのがライバル山本(亜大)のこと。「スピードだけなら負けないと思っていたのだけれども、彼は打たれない。ぼくにはないうまさがあったんですね。それで、山本君の間のとり方や配球を研究したんです」という。だから今季亜大戦で二試合連続完封したときは「やっとご恩返しができました」と思ったそうだ。太田監督は「やっとリーダーとしての自覚をもつようになってきた」という。いままで口をすっぱくして「グラウンドでも、私生活でも、エースの自覚を忘れるな」といいつづけてきたのが実った。四年目にようやく真のエースにのし上がった男も、素質だけは早くから認められていた。入学早々、速球に目をつけられ、エース・ナンバーの1を与えられた。しかし四球の連発で「これじゃ、使いものにならん」とあっさりユニホームをぬがされてしまった。そのうえ肩の故障。ふんだりけったりだったが、ランニングだけは朝晩欠かさずつづけた。これがいいクスリになったという。ことしの活躍で「山本、山本」とさわいでいたネット裏のスカウトたちも、いつの間にかドラフト候補一位に杉山の名前をあげるようになっていた。「なんといっても、球の速いのが魅力だ。それに内角のスライダーが決まれば、ちょっと手が出ない。城之内(巨人)の若いときに似ている。山本は即戦力になるが、杉山にはこれからの楽しみがある」と巨人・武宮スカウトは、たいへんなほれ込みようだ。しかし本人は「プロのことは、リーグ戦が終ってから考えます。それになんだかこわくて・・・」と弱気なポーズを示す。が、帰りのバスの中に突然とび込んできたひとりのファンが「よくやったぞ!高校時代からきっと大物になると思ったが、オレの目に狂いはなかった。プロにはいってからもがんばれよ」と大声をかけると「がんばります」とキッパリいい切っていた。1㍍77、70㌔、左投左打。野沢北高出、経済学部四年。
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松村憲章

2016-07-18 15:05:01 | 日記
1973年

ヤクルト・松村憲章投手(22)=1㍍79、74㌔=が防御率第一位(1・23)と、安定したピッチングをつづけ話題になっている。プロ入り三年間、ストレート一本で通してきたが、今年はカーブをマスター、エースにのしあがった。「去年から、ベンチでも合宿でも、ボールを離さなかった。一人でカーブのひねり方を練習していたんです。指先を離れる感触がわかってくると、ボールの縫い目に指がかかりキュッと音がするようになった」という努力家だ。「松村を一軍で使ってみたい」十日、川崎球場で田口二軍監督と会った三原監督も、真っ先にこの松村の名前を口にした。十三日の大洋戦(大洋多摩川)では、立ち上がり併殺くずれで一点を失ったが、以後はピシャリと抑えて完投勝ち。4勝目をあげ、イースタンの防御率トップにおどり出た。「一、二軍の往復でなかなか登板する機会がなかった。それを考えに入れても、今日は70点しかやれない!」という田口二軍監督。だが、胸の中では「いつでも一軍OK」のサインが出たようだ。松村の特徴は筋肉の軟らかいことだ。田中トレーナーは「ヤクルト№1のすばらしい筋肉だ。いくら投げても疲労の残らないいわゆる使いベリのしない質だ」という。小川コーチは「大小三種類のカーブがある。ファームの打者では打てないだろう。課題はスピードだが、あの肩の強さなら期待できる」とあと一息と採点している。二十八日からは、三週間の北海道、東北遠征が始まる。だが、ヤクルト首脳陣は松村を遠征に参加させず、一軍要員として待機させる方針を固めた。
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佐々木勝利・多田勉

2016-07-18 08:57:08 | 日記
1969年

広島はかねて退団を申し出ていた佐々木勝利投手(28)=宮古高出、プロ入り十年目=と多田勉内野手(25)=明大出、二年目=について、十八日の首脳会議で受け入れることにした。両選手は任意引退選手となる。
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阪口忠昭

2016-07-18 08:36:31 | 日記
1972年

「せめて阪口が三回もってくれたらな」ベンチの炭火にからだを丸くしてしゃがみ込んでしまった稲尾監督。「一人三イニングが責任回数。これなら無失点でいけるんじゃなかろうか」投手担当の河村コーチがあみ出した新案も、阪口が四球で自滅、望月が乱打され、せっかくの計画も第一日からつまずいた。河村コーチは「テレくさいなあ」と報道陣に取り囲まれ首をすくめたあと真顔になって「今後も続けていく」といい放った。「いつまでも同じ名前の投手ばかりでは質も量も出来ない。特に若手にチャンスを与え経験を積まさなければ伸びる芽も伸びない」阪口の先発は十九日の対ロッテ二回戦の予定だった。それが雨で流れたにもかかわらずこの日そのまま先発に使ったのもその一つのあらわれ。また、少々強引とも思える引き延ばしについて、稲尾監督が代わって説明した。「おそらく阪急さんは高橋明を予想していたのではないか。だが山田を相手にするとウチの打線では点が取れないので、高橋明ではもったいないと思って阪口でさぐりを入れるつもりだった」期待された阪口がつぶれてはなにもかも最初からくずれてくる。かつては黄金時代を築いた稲尾ー河村が二人三脚で投手陣をつくっているが、その苦労はなみ大抵ではないようだ。こんどは河村コーチが登板予定の順番の説明を引きついだ。「阪口は一回1/3で5四球。これでは監督も代えざる得ないだろう。そのあとの二番手が問題だった。このところいやらしい球を投げる豊田がよくなってきたので、望月のあとをつないで締めくくりに高橋明の予定だった」最初に3点をもらいながら、四球連発で筋書きをめちゃくちゃにした阪口はなにを聞かれても無言。望月は「本塁打はシュート。真ん中低めにはいったのだが・・・」とくちびるをかみ、下を向く。豊田は「これからです」とケロリ。田中は「自分のピッチングが出来るようになった。これからチャンスはいっぱい出来る」とニヤッと笑った。喜びと、泣き出しそうな顔が入りまじる投手陣。稲尾監督は「私の作戦のミスもあった。一つは種茂に2ランされたあとすぐ望月を引っ込めるべきだった。もう一つは攻撃面で、一回一死一、三塁のときに片岡にスクイズをさせるべきだった」と作戦のミスを自分からあげた。野球は投手が七割を占めるという持論の首脳陣。勝つ野球が出来るまでは「つくる」ことが優先される。そのためにはかなりの犠牲をはらう決意はかわらないようだ。
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