プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

上林成行

2014-11-29 21:19:39 | 日記
1967年

上林を見て来たスカウトは口をそろえて「投手として完ぺきに近いフォームで投げている」という。巨人・武宮コーチは「とにかく欠点の少ない選手だ」長身から上背をムダなく利用して投げる速球はスカウトの目を見はらせている。ことしの夏の甲子園予選では強敵中京と当り3-1で敗れたが、そのピッチング内容は高く評価された。愛知には、豊橋東の工藤という早くからプロに目をつけられていた投手がいるが、「工藤を見に行く」といって他球団スカウトをけん制、豊橋とは目と鼻の先、豊川にある国府・上林投手を見るため、各球団スカウトがはち合わせになったというエピソードがある。産経・小山スカウトは「全国に有望な投手は多いが、素質という点では抜群だという。父親を早くなくしたが、母親・登美子さんは人を使って農業を守り、自らは豊橋市内に勤務している。登美子さんは「就職も進学も本人の好きなようにしてあげたい」と、ひとり息子、上林の意思にまかせている。国府といえば卓球が強く、野球選手でいい選手が出るのはめずらしい。地元の人たちは「プロでやらせてみては」という声が多い。しかし、上林は「野球は決してやめれないと思う。しかし、上林家という問題もあり、どうしても大学だけは出たい」と立大進学を望んでいる。1㍍78、72㌔、右投げ、右打ち。
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村田清美

2014-11-29 21:02:19 | 日記
1966年

西鉄は二十二日、球団事務所で、小野田工・村田清美投手(18)の入団を発表した。同投手はさきの新人募集テストでパスしたただひとりの選手。スピードと馬力が全コーチの目にとまり、入団となった。身長172㌢、体重70㌔、右投げ右打ち。背番号83。高千帆中学二年生から投手となり、小野田工では二年の夏(四十年)リリーフ投手として甲子園にも出場している。
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辻原幸雄

2014-11-29 01:08:54 | 日記
1967年

午後三時から福岡・天神二丁目の球団事務所で辻原幸雄投手(18)=178㌢、71㌔、右投げ右打ち、鹿児島・川内高=の入団を発表した。同投手は今夏の鹿児島地区予選で、優勝決定戦まで進出、9イニングを投げて無安打4本に押える好投をみせたもののバックスの不振で2-1で敗れ、甲子園出場のチャンスを逸したが、同投手の速球、カーブの威力は各スカウトの注目を集めていた。なお、同高校からプロ入りは辻原投手が初めて。
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竹村一義

2014-11-29 00:34:11 | 日記
1967年

大洋が交渉権を獲得した安芸高の竹村一義投手(17)=高知県安芸郡安田町=は同球団と契約、入団が決定した。これは十六日明からにされたもので平山総務部長、本人、家族立会いのうえ十六日、契約書に調印した。
竹村は選択会議で指名された選手の第一号で身長179㌢、体重72㌔、右投げ右打ちの本格派投手。高校三年間を通じての防御率は1・5。打者としても定評があり、通算打率4割をマークしている。

竹村選手の話 家の者は大学進学を望んでいたが、どうせやるなら一日も早くプロでやってみたかった。巨人の金田さんのような投手になりたい。学校のつごうもあるので月末ごろ上京する予定だ。
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金子準一

2014-11-29 00:24:00 | 日記
1965年

西鉄はこのほど今治南高の金子準一投手(18)=1㍍71、65㌔、左投げ左打ち=の入団を発表した。同投手は昨春の選抜大会に出場し、一回戦の対大谷高戦で敗れたが、被安打9、奪三振8、四球7の記録を残している。ことしの新人選択会議では近鉄が交渉権を得ていたが棄権した。
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植村秀明

2014-11-29 00:09:23 | 日記
1967年

午後一時三十分から球団事務所で、植村秀明投手(18)=郡山高、188㌢、85㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。同投手は高校球界では河原(大分商ー西鉄)村田(福山電波ー東京)らと並ぶ剛速球投手として知られているが、四十一年夏甲子園大会に出場、長身から投げおろす重い速球とシュートでプロ野球関係者の注目を浴びたのがきっかけ。今年は25試合に登板、23勝2敗、防御率1・00、奪三振1試合平均12個の成績を残している。また打っても四番をつとめ・330の高打率をマークしている。植村は父親正治さん(51)母親秀子さん(50)に伴われ発表の席についたが、登島球団重役、根本コーチらはたのもしそうに見守っていた。
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飯田敏光

2014-11-28 23:11:15 | 日記
1973年

紅白戦形式のシートバッティングで、ジャンボ飯田が初めてマウンドに上がり、長崎に右中間ホームランを打たれたが、まずまずのピッチングを披露した。なにしろこの男はチーム一の変わりダネ。清水中を卒業して東京電気に入社したが、45年に退社してプロレス入り、日本プロレスで二年間マットに上がっていた。結局は故障つづきで引退、再びサラリーマンに戻ったもののスポーツの世界が忘れられず、今度はプロ野球にあこがれて東映(現日本ハム)、巨人、太平洋のテストを受けて回ったが、すべてはねられた。昨春拾い上げられ、今シーズン選手として初めて契約したばかり。「去年はテスト生で一度も打者を相手にさせてもらえなかった。きょう初めてマウンドに上がりました。やっぱり上がりましたね」といいながらも永年の夢が実現してさすがにうれしそう。稲川コーチは「まだ素人に毛の生えた程度。でも楽しみなピッチャーですよ。あれだけの球が投げられるんだからー」といっている。
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鵜飼克雄

2014-11-28 21:25:01 | 日記
1973年

1位指名した鵜飼は無名に近い選手だが「縦の大きなカーブとコントロールが武器。スピードも十分だ」控えめな瓜生編成部長の10勝は確実と踏んだ貴重な戦力だ。それだけに七回におよんだ交渉が並たいていでなかったことを物語っている。「入団を決めたのは正月明け。迷いながらこばんでいたのでは後悔や未練が残る。これではいけない」ドラフト直前に生まれたばかりの長男康之ちゃん以外、鵜飼の周囲は反対したという。それだけに決めたあとは「反対を振り切っての入団だ。余計力いっぱいやらなければ」と言い切る。
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小鷹卓也

2014-11-28 21:18:49 | 日記
1973年

ロッテは、ドラフト2位指名の埼玉・飯能高・小鷹卓也投手(18)=181㌢、76㌔、左投げ左打ち=の入団発表を十七日午後二時、東京・西大久保の球団事務所で石原代表、金田監督が立ち会って行った。契約金700万円、年棒は150万円(いずれも推定)で、背番号はすでに大洋へ復帰の決まっている鬼頭の21を引き継ぐ。

同投手は甲子園大会にこそ出場していないが、昨年夏の県予選の対萩高戦、今春関東大会県予選で計二回ノーヒット・ノーラン試合を記録。今夏の甲子園では県予選準決勝で川越工高に敗れている。左の本格派で落差の大きいカーブを主武器に1試合20三振を取ったこともあり、在京球団各スカウトに早くから目をつけられていた。発表の席でも「先輩の松原さん(大洋)に次いで飯能からはプロ入り二人目です。指名されたらすぐプロでやりたいと考えていました」とがっしりした体ではきはきと答えていた。また金田監督は握手を交わしながら「いまが花、これから地獄の苦しみを味わうんやで」と変な激励をしていた。
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佐々木剛

2014-11-28 20:38:19 | 日記
1967年

産経は十六日、新人テストで合格した佐々木剛投手(18)=175㌢、70㌔、右投げ右打ち、釜石北高=と東京有楽町の産経球団事務所で正式に契約した。同選手は同夜東京九時半発の特急はやぶさで西下、十八日の練習からキャンプに参加する。

シートバッティング三日目。80打数24安打、やや当たりを取り戻してきた。醍醐、山本を相手に、徳武が1本塁打を含む3安打を放って好調。「いま彼が一番振れている。この調子を続けてもらいたいもんだが・・」と岡本コーチ。このほか丸山、倉島がそれぞれ本塁打を含む2安打して好調。テスト合格の新人佐々木投手が前夜宿舎入りしてこの日初練習、ブルペンで約100球、早くもスピードのある球を投げ込んだ。テストの日から注目していた中原コーチは「コントロールはいいし、球は速い。これは大物になるぞ」と目を細めていた。なお十九日午前十時半から新人テストを行う。
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鳥谷元

2014-11-27 23:14:03 | 日記
1965年

中日ドラゴンズは十三日午後二時から、名古屋市中区南外堀町の球団事務所で、福岡県立築上中部高校の鳥谷元投手(18)=1㍍78、75㌔、右投げ右打ち=の入団を正式に発表した。背番号は未定。同投手は、甲子園出場の経験はないが、本格派投手でコントロールがよく、スピードは抜群。早くから注目されていた。打っても四番で、本塁打3本を記録している。百㍍を12秒で走り、脚力もある。

鳥谷投手の話 中日は郷土の先輩が多いので心強い。とくに柿本さんはうちの家の近くだったので、小さいときからファンだった。阪急にトレードが決まったそうですが、柿本さんを目標にがんばりたい。高校のときはストレート一本だったが、これからは多くの変化球をおぼえたい。

柴田スカウトの話 大きな大会には出なかったが、将来性のあるいい素質を持っている。オーバースローで、どちらかといえば村山のような力投型だ。外角低めに決まる速球に伸びがあり、実にいいものを持っている。
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田上一秀

2014-11-27 22:29:13 | 日記
1965年

田上一秀投手(18)…都城農、1㍍85、75㌔、左投げ左打ち、背番号48。

高校時代は投手よりも打力を生かすために一塁で四番を打っていた。通算打率は三割五分。しかし、南海では投手をやっていきたい。目標は巨人の金田さんのような投手になることだが、一生懸命に力を発揮したい。
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栗崎日出男

2014-11-27 22:24:57 | 日記
1965年

栗崎日出男外野手(18)…柳川商、1㍍78、78㌔、右投げ右打ち、背番号43。

栗崎外野手の話 高校時代の通算打率は三割六分台でホームランは9本打っている。足には自信があるだけに一日も早く南海のムードに慣れ、広瀬さんのような俊足、強打の選手になりたい。
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下村栄二

2014-11-27 22:17:58 | 日記
1965年

平山コーチ、小坂、佐々木有ら八人が退団したが、さらに坪井猛投手、横田斉夫内野手が球団事務所に呼び出され、自由契約選手にするむねを申し渡された。また鈴木宇成外野手も進退について話し合ったが、先日テストをうけていた下村栄二投手(名商大中退)の合否の結果がはっきりするまで待機することになった。

すでに名古屋で契約を終えている下村はテスト生で、十七日東京で開かれた臨時選択会議の結果、無競争で広島入りが決まっていた。左でカーブがよい。
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田中辰次

2014-11-27 22:13:02 | 日記
1965年

午前十一時三十分、東京・丸ノ内の西鉄東京事務所で、宇高スカウトが立ち会い、東京・鷲宮製作所の田中辰次遊撃手(21)=1㍍73、75㌔、右投げ右打ち、興国商出=の入団を発表した。西鉄では、小室遊撃手(松江商)の入団も内定しているが、正式契約は田中が第1号。田中はノンプロ鷲宮製作所の一、二番打者として好打好守を誇り、ことしの都市対抗野球では、立正佼成会に補強され、優秀選手に選ばれている。遊撃手の補強に力を入れていた西鉄は、宇高スカウトが田中の根性のあるところを買い、選抜会議でも西鉄だけがリストに載せていた。鷲宮製作所が同選手のプロ転出をしぶり、交渉が難航していたが、本人のプロ入りの意思も強く、同製作所もついに同意した。二十二日、大阪・堺市の田中の実家で契約をすませた。

田中選手の話 中学、高校時代東映の尾崎らと試合したこともある。野球をする以上、いつかは僕もプロでやりたいと思っていた。
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