作者の心の何分の一しか わからないのかも知れない。
清川 妙 著 「出会いのときめき」(清流出版)のなかの 「いのち光らせて」 を、何度も読んだ。ひがんばなに寄せる思いが、とても心に沁みます。この花をあふれるほど抱え、おみやげにした五歳の息子さん、純粋なきもちに感動し目が覚めました。
三年まえのこと
彼岸花のイメージは悪いもので、火のようだと、幼いころから思っていた。伝説がまじめに残り、赤い花に畏れを感じ、よく見ることも、近づくこともせず過ごしました。それはとても残念なことです。
せめて見れば… 不思議な美しさ、造形の妙、まるで精巧な水引細工のようです。簪にも似たこの花を、じっと見たのはエッセイを読んでから、図鑑やパソコンで写真を見たのです。
blogでは boa!さんの絵を拝見し、白い花 に たこさんの写真で逢いました。
エッセイの、家族それぞれにかよう思いやり、やさしさが胸にみちて、燃える紅にも、すがすがしさを感じました。 こんどこそ実物に会い 「光るいのち」 をそっと愛でてみよう。 そして文章に込められた思いを深くかみしめよう、 そう思った。
こころゆたかにつよく生きる… いつもアクティブな作者は、 ほんとうにすてきだ。
彼岸花は賢い! 調べると
一月、他の植物が枯れている時、葉を繁らせ、冬の陽をひとり占めして、球根に栄養をため込む。 これがひがんばなの戦略…
四・五月、他の植物が芽吹くころ、ひがんばなの葉は枯れ、九月上旬ころに、葉がないのに茎だけ伸ばして花を付ける、九月下旬ころ花が終わるとようやく葉が顔を出す。どんどん伸びた葉は大きくなり、晩秋から冬にかけて、ひとり元気、 敵はいないぞ。 その成長も花も、なんと個性的!!。
薬効も多く、球根の毒を抜いて食料にし、飢饉を救ったとも伝えられているのです。私だけが知らなかった多くのことを知りました。
花に罪など無かったのです。 びっくりしました。
曼珠沙華、 華という字の原型になっていることもわかり、なるほどそう見える。細い蕊がはなやかに舞い、 華の字、 そのものに思えます。
本を読まなければ、生涯ひがんばなを良く知り、愛でることなく、つまらなく過ぎたことでしょう。 いま、彼岸花をみるたびに、 このエッセイと、 花のつよさを思いだすのです。 今年は、花の時期が遅れているようです。
つきぬけて天井の紺曼珠沙華 誓子 やはり、この句がいちばんすき
万葉集にはただ一首 いちし(壱師)は 彼岸花
道の辺(ヘ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は 巻11・2480
別所には かな女の句碑があります
曼珠沙華あつまり丘をうかせけり