雑誌 「いきいき」の清川妙さんの「枕草子」を読んだが、 かつての、 どの枕草子より素敵だった。 気魄のこもった文章、 柔らかな言葉でふくよかに、 かつ鮮やかに広げてみせる。 中宮定子や清少納言がいきいきとして、 身近に感じられる。 清少納言の語りを目のまえで聞くような錯覚で。
これは先生の筆の冴え、 今も育ち盛りの証しである。 やさしい言葉が文章になるといっそう輝きを増している。 いいなあ… また、 元気をいただいた。
教室に、 あたたかい春の日が祝福するように降り注いでいる。 ことしも楽しみになった。
(文藝春秋 2008年 季刊冬号の特集 眠られぬ夜のために 黒羊羹をきったような
セルフケアについて)
-☆-
102歳の義母を見舞うため寄り道をした。
途中、 経路もおなじ寺田さんと肩を並べて歩いた。 息子より若い学友は才色兼備、 いつもまぶしい人である。 そんな寺田さんと 鬱は、 結びつかなかったけれど、 いろんな状況に追い込まれるのが人の一生。 鬱は複雑な社会に生きる私たちに隣り合わせでつきまとう。 人ごととは思えない。
読書によって快復していった寺田さんの、 心の軌跡を追ってみたい。 ほのぼのとした表紙にもひかれて、
「うつの世界にさよならする100冊の本」 を
はじめはエッセイとして読もうと思う。
まぶしかった学友に しばらく寄り添ってみよう。
落ち込みがちなひとにも役立ちそうである。
-☆-
義母は思いのほか元気で身の回りはこなしている。 耳は大分遠くなったが。 「謹賀新年 ○○喜久」 渾身の力をこめた書初めが、 誇らしげにかかっていた。
彼女はまめに手紙を書いた。 それらの良い文章をたいせつに取ってある。
桜の花が咲くころ、103歳になる。