想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

月光の森で

2009-12-01 09:09:20 | Weblog
12月は2日が満月。
写真は11月28日なのでまだ満たないけれど月光は射抜くように森を照らしていて明るかった。
星もよく見えた。光を浴びて樹々がぼーっと浮かんでいるみたいだ。
で、うかうかと表に立ち尽くす。



ダウンジャケットを羽織っていても、カメラを持って外に居続けるとからだの芯まで冷えた。
防寒装備はもっと厳重でないと夜空につきあうのは無理だと思い知った。

1号棟(の台所脇の小部屋)で寝起きしていたころ、シュラフで寝ていた。
寝間着もやや厚着で潜り込む。足下にはアンカも入れていた。
石油ストーブしか暖房がなかったので、消灯すると空気じたいがすぐに冷えこんでしまった。
吐く息が白かった。眠りつくまで寒い。
寒い寒いと言いあったけど嫌だと言うのは聞いた事がなかった。

寒さがあたりまえだったその頃を星空を見て冷えてきたからだがなつかしんだか、思い出された。
今、家のなかへ入れば暖房でぬくぬくとした空気が待っている。
なんにも無いということは、そのなかでやっていくということは、そう不幸なことでもないのだと思う。
わたしの子ども時代は貧乏であったが、それで不幸かといえばそうでもなかった。
子どもながらに時々嘆いた理由は別のところにあって、貧しさや友達と違う家や
持ち物のことではなかった。

吐く息が白くなる部屋で寝起きしていたら、東京から来た人がつきあいきれねえ
なあとか珍しがったり、なかば同情気味の様子も感じる。
新建材でない壁、すべて木で打たれた壁は質素なのでリッチでないなという目を
している。(こういう人は間接話法でしか考えない。迂回して本質からそれると
安心するタチ)
やってるこちらは今そこにあるものでじゅうぶんみたされているのであった。
充実していた。でも、言わない。
仕合わせは説明したり自慢したりすると幸せでなくなるからね、だまって喜んで
いるのである。
実は手が込んでいる工法のことも選ばれた建材であることも、言う必要など
なかった。
カメはいつもさりげないから、我らはそばにいてアホみたいに喜んでいるだけで
あった。
言わなくてもわかる人が集まってきて、冬を越え、夏の日射しの下で遊んだり
働いたりだった。

わたしは貧しかった子ども時代を思い出すたびに、なんと幸せであったかと
父に礼を言いたくなる。
父は引揚者で裸一貫で立ち上げた暮らしだから苦労であったろうが、
子どものわたしは創造的に生きるお手本をナマで見せてもらった。
含蓄ある言葉を毎日聞かせてもらった。
人は精神と言葉で幸せになれる。
このことは、できることならば父へ言いたいと思うばかりである。
森で、月夜に、父へ、声に出して。

コメント
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