想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

森にてつぶやく

2009-12-03 11:04:01 | 
大地も海も、世界は広いようで狭い、ようで広いんである。
ほんとうは広い。とても広くて、つまりアリンコがこの森を歩き回るのと
同じくらい人にとっては広いはず、ほんとのところ。ザッザッと音をたて枯葉の
じゅうたんを歩きながら、そう思う。
人口が増えても、散らばればじゅうぶんまだ広い、ジャングルや砂漠には
住めないじゃないかって? そうでもないよ、ちょっと前まで住んでたし、今も
住んでるのに開発といって追い出して破壊しているなあ、お金持ちになった中国人。
どうして白人が失敗した事を後追いするんだろうか、黄色い人々はもっと賢くないのか。

争わなくてもいいくらい広い、ジェット機で短時間に行けても本当は広い地上。
だからじゅうぶんに分け合って暮らせるはず、他の生き物同様に。それぞれの居場所で。
独り占めにするなど考えない人だけならば、住めるのである。

隣の芝生はよく見える性分の人が昔も今もいるんだなあ。
船に乗って海を渡り、陸地を探検し、土地を荒らして持ち帰る。
そんなことを繰り返してきて、21世紀になってもまだやってる人々がいる。
そして無理矢理どうしてもって、争いが始まると世界は急に狭くなる。
なんでいまさらアフガン増兵するか、チェンジじゃなかったのか、黒い人よ。
賢く大らかに生きていたご先祖様を思う意地はないのかい?

ここはじーちゃんのまたじーちゃんの、そのまたじーちゃんもばーちゃんも生まれた土地。
大事だからね、来てもいいけど、大事にしてね、という話が通じない人がやってくると
急に狭くなる。キャタピラで地面を踏みしだき轟音を立てて、地響きとともに押し寄せ
ぶっ壊して、ミンシュシュギヲアタエルって上から目線なんだなあ。
そんなこと頼んでないといってもアタエルと言って轟音とともに押し寄せる。
押し掛けた事も押し寄せられた事もある日本にいるからよくわかる、愚。

ちょっと前に「幸せの1ページ」という映画を観たのさ。
名女優ジュディ・フォスターが引きこもりの冒険小説家役を演じてた。
妄想相手に身振り手振りする本気度! それがおもしろすぎて大ウケであった。
簡単なストーリーなのだけれど、登場人物がみな感情豊かなので物語の単純さなど
少しも気にならなかった。こういうのってたまにはいい、頭がほぐれて。

物語は、ある日ひとり留守を守る女の子のいる小島へ見知らぬ船がやってくる。
海賊船? 望遠鏡片手に木の上から偵察していた女の子は上陸してきた奴らを見て憤る。
なんてこと!パパとわたしの島に勝手に入ってきて、と。
やがて大挙押し寄せてきた人々を相手に、ひとり奮闘し見事撃退する。
その姿はいじらしくも、たくましい。そしてユーモラスで賢い。
色々あってのオチは内緒だけど、わたしは大いに共感し我がことのようにのめりこんだ
のであった。応援しながらガハハと笑いながら、カリントウを袋の半分くらいは食べ、
気づいてもガハハの余韻で気が大きくなっているので、ま、反省はしない。
(映画鑑賞の友はポテチではなくカリント派である)メタボ問題はこの際考えない。

ここで問題?の「土地を守る」というのは排他的というのとは違うのである。
ドカドカと泥足でけちらしながら踏み込んでくるのはお断り、愛してないなら来ないで
ということ。それ、わかるわかる、すごくわかる。
奪うために他人の土地へおしかける。政治だなんだと難しいことを並べ立てても戦争って
つまりそういう、経済、ゼニカネの問題。それを隠して無理やり正義をふりかざす。
正義なら、まず先に武器を捨てよ、だ。
神は正義に味方するんじゃないの? え、神様ほんとは信じてないんじゃないの?
欲しいものを奪うための謀略と殺戮に神を持ち出してもカミはヒトの争いに干渉しないのに。

用事があるなら正門から仁義切ってくれってもんで、それなしで正義とくるから、盗人と紙一重、
嘘つきと泥棒はやっぱり古今東西、何色だって人間みな同じ。
(ゴネルのも広義の嘘に入る。だからごね得は得じゃなくて恥ね)
あー、普天間、東京武蔵村山、戦争は続いているなあ。
コメント (2)
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