想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

カレーライスの原則

2009-12-14 10:29:17 | Weblog
たぬきねこ、腹いっぱいなので寝る。



〈君も猫もぼくもみんな好きだね、カレーライスが~、君はとんとんじゃがいもにんじん切って
涙をうかべてたまねぎを切って、ばかだなばかだな自分の手も切って、ぼくは座ってギターを
弾いているよ、カレーライス。猫はうるさくつきまとって、あたいにも早くくれにゃーにゃーあて、
とってもいい匂いだなあ、ぼくは寝転んでテレビを見てるよ、そしたら誰かがおなかを切っちゃって
痛いだろうね~、fumumumumu、~つづく〉
そう歌ったのは遠藤賢司ですね~、懐かしい歌「カレーライス」(意味深な歌なのよ)


そこでだ、カレーライスのルーと水の比率は決してあなどってはならない。
ここを雑にやると、うすーい、骨のない味になる。
カレーライス大好き日本人ならば、これほどがっくりくることはない。
ご飯粒に辛いコクのあるカレーがからまって舌をしびらせ、胃の腑に落ちていくまでの
快感をどうしてくれようぞ、となってしまう。
ルーが5皿分、そこへ水を規定より0.5カップ(100cc)多く入れたとする。
たった100ccくらい、というのならばカレーライスに失礼である。
100ccも違えば、もうスパイスだけでは補えないのである。
出汁のはいってないみそ汁みたいになる。

かんたんにカレーでもしましょなんて言うのはまちがいである。
細心の注意と丁寧さをもってのぞむべし。
失敗から人は多くを学ぶもの、わたしとて例外ではなく水とルーの厳密なる比率に
ついて注意を払うようになったのにはそれなりの過去があるからだ。
具材を応用することで、様々な味を楽しむことができる。具材から出る水分を考慮に
いれさえすれば、こんなに便利で飽きない料理もないわけだ。愛される理由だろう。
この基本的態度がすべての料理、そして行動に通じることはいうまでもない。

水が多すぎてのっぺりした味になってしまったカレーなど出されると、責任者を出せと
言いたくなる。責任者はたいていうなだれて、とんかつソースなどを差し出して、
「これで勘弁してくだせえ」と言か、あるいは固形コンソメを慌てて砕いたりするかも
しれないが、すでに遅しである。
料理は引き算が出来ない。カレーは特にそうである。
コンビニもスーパーもない山奥で、追加のカレー粉あるいはルーが手元にないときには
「今夜はカレーだ!」とスパイスの匂いに鼻をくんくんして待ちわびる猫その他諸々の
期待が一転怒りへと変わるのを覚悟しなければならない。
だからね、水とルーの比率に注意しなければならんのであるよ。

これはこれでいいんじゃないかなあ、と言ってしまった君、いいわけない証拠にいっぱい
余したでしょ。一度くらい鍋の底をこそいでも食いたいと言われるようなカレーを作ってくれ。
美味しいカレーを知らないなんて、君はふしあわせなんだねえ。
食いもんをあなどるな、と言いたい。
おいしいものをおいしいおいしいといただけることくらい、しあわせなこともないのだから。

というわけで、本日はおなかいっぱいで至福の時のシマコ嬢。

追記/浦沢直樹の「20世紀少年」のkenji、ケンヂのモデルって言ったほうが近頃はわかり
やすいかな遠藤賢司。作中のBob Lennon も遠藤賢司で聴いたほうがさらにいいなあ。
20th century boys って世界中で知られているから、遠藤賢司も有名になったわけで
よかったよかった、カレーライスもいまや世界中の若者に届いたろうし。
みんなでおいしいカレーを食べよう!
世界平和だーーーーってか。









 
コメント (2)
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