想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

仁は愛のこと、老犬ラブ

2009-12-21 14:48:01 | Weblog
あったら怖いものの一つ、デブ賞(そんなの競ったら早死にしますぜ)。
変換でのざれごとはさておき、ベイビー(といってもアゴが白いね)は玄関で出不精、
思案顔である。犬とてあまりに寒いと考えるらしい。
そこが大人になった、いや歳をとったとわかる所以なのだが笑える。



結局、誘惑に負けて縁側に陣取る。いいメーワクである。入ったり出たりで玄関から外気が
入ってくるからだ。彼に言ってもしかたがないのでしばらくはつきあうことにした。
オヤツのみるくぱん(犬用)を二個召し上がり、思いのほか早く腰をあげる。
やはり冷えがこたえるのか、それからしばらくは出たがらなかった。

以前ここでも書いた『チャーリーとの旅』(ジョン・スタインベック著)に登場する中型プードル犬、
チャーリーもまた老犬だった。当然、旅の相棒としてはやや心配の種を抱えている。
人間も犬も老齢になると排泄機能が衰えるのは同じで、チャーリーもまた思い切りよく小水が出ない。
木陰に用をたしに行ってなかなか帰ってこなかったりする。
スタインベックの愛犬に寄せるやさしさは昨今ちまたに溢れているペット溺愛のそれとは
異なる次元のものである。
犬とかヒトとか関係なく向けられる、差別のない愛情はどこからくるのだろうか。

わたしは何度も書いたと思うが、うちのベイビーに愛を教わった。
もちろん人にも教えてもらったが、一番教わったのが犬である彼からだ。
彼は無垢であるし、すべてにおいて受け身であり愛されなければ生き続けることが難しい。
けれども媚たりしなかったし、むしろ毅然とした雄犬であった。
(ラブラドールは比較的温和な犬種だがそれは調教すればの事で、飼い主との信頼関係が
なければどんな犬とて雄犬は猛々しいし、強い腕力を発揮するものだ。ベイビーは純血の
警察犬の子で父親はまるで熊みたいな黒犬、母は美顔のイエローラブ、どちらも巨体だった)
とにかく元気で体力をもてあましているのである。

そして、そのまま、あるがままを貫いている相手とどうにか通いあいたいとわたしは思った。
その望みはいいかえると仁、おもいやりであるが、おもいやろうなんて思ったわけでない。
彼をさらに理解するきっかけとなったのは、通い合いたいという気持ちであった。
仁と智はともにつれだって現れる。
時に、腹立たしく、時に情けなく、時に疲れ果て、しかし彼と通いあいたい気持ちが
勝っていたので義、わたしは自分の尊大さ(人であるという)を引っ込めざるをえない。
そういうこちらの気持ちの揺らぎや移り変わりをじっとみつめている黒い瞳はいつも
無垢なままで、かけひきなどまったく存在しないのであった。
波打ち、迷っているのは常に人の側である。
人対人ならばもっと葛藤は強くなるか、あるいは結論が早いだろうけれど、犬を相手に
する時は独り相撲なのである。己の弱さや醜さや勝手さが跳ね返ってくるだけだ。
そうしてわたしは1~2歳児のベイビーに、人間でいえば小中学生の小僧に教えられた
のであった。
あの時間があって、いま寒さがこたえたり排泄の苦労をするようになったベイビーを
前よりもっといとおしく思う。
赤ちゃん犬、子犬の映像など見ると人並みに可愛いーとつい言葉に出るが、本音でいえば
ツーカーで気持ちがわかりあえてゴーゴーといびきをたててそばに寝ている老体の今の方が
好きである。

ちなみに今の彼はかけひきをする。わたしに倣ったというか見て学習したというか覚えて
しまったのである。互いにフェイントをかけあって、だまし合いをして遊ぶ日々である。
一度使った手でそうそう騙されたりしなくなって、無い知恵を絞らねばならなくなった。








コメント
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