天守閣への階段はかなり急斜面ですが当時のままです
冠木橋だけが陸に通じていた
諏訪湖の御神渡り・諏訪大社と並んで諏訪の浮き城をご紹介しないのは片手落ちですよネ
諏訪市には豊臣秀吉の武将日野根織部正高吉によって設計された高島城があります
1592年に着工され7年の歳月をかけて慶長3年(1598年)に完成しました
高島城は諏訪湖と数条の河川が周囲を廻り堀の役目を果たして
諏訪湖の波が城の石垣にせまって難攻不落の水城で別名「諏訪の浮き城」と呼ばれました
地盤が軟弱なため沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣を積んで
構築した史実が残されているそうです
初代藩主諏訪頼水から10代藩主に至る270年の長きにわたり
諏訪氏の居城として威容を誇ってまいりました
明治の廃藩置県で天守閣は撤去され高島城址は高島公園として
一般公開され現在に至っています
現在の高島城は昭和45年文部省文化財専門委員 大岡実博士の設計で
破却当時の姿を忠実に再現したものです
諏訪頼重は武田信玄に滅ばされ自害し、姫は信玄の側室になり
悲遇の短い生涯を終えますが井上靖の著書「風林火山」の由布姫
新田次郎の著書「武田信玄」の湖衣姫でのちに大河ドラマに登場しました
当時女性ははっきりした名で呼ばれておらず作者が命名した名ですが
いづれも諏訪御料人として後世に伝えられています
由布姫の住居となっていた場所がひっそりと今も諏訪市の対岸に残されており
小高いその場所に立つと高島城が手に取るように望むことが出来ます
由布姫は朝な夕な湖に浮かんだ自分の生まれ育った城を
眺めて暮らしていたであろう事が容易に想像できます
税金が間口でかけられましたから、間口が狭く奥行きが長い土地の区分けがそのまま残っています 私の家も間口が狭く裏どうりまでうなぎの寝床のような敷地です
湖衣姫のこと 一番記憶に残っています。
早く「武田信玄」のビデオを見なければ とせかされます。
諏訪を知るためには 信玄を良く知る必要がありますね。
今朝 NHKの「新日曜美術館」で 須田刻太郎の晩年の絵のモデルとなった 山梨県の「窪八幡神社<国重文>」を放送していましたが この神社にも 信玄は戦勝祈願に行っていますね。
ここにも 是非行って 白・赤・黒三つの色の響きあいを見てみたいものです。
「武田信玄」の放送では
「湖衣姫と運命の出会い」は1月31日 「晴信と湖衣姫との祝言」2月28日放送」 「さらば湖衣姫・・・晴信が諏訪に駆けつけるが、時遅く、病の床にいた湖衣姫はこの世を去っていた」というのは5月8日でした。<ネット調べ>
窪八幡神社にお出かけの時は是非武田信玄の菩提寺恵林寺にもいらしてみてください
山門に「心頭滅却すれば火も自ら涼し」が掲げられていますし 又宝物館には信玄ゆかりの品が数多く展示されていますヨ
信玄の遺骨の一部は遺言により武田菱紋をかたどった石棺に納めて由布姫の住居した場所近く、湖の一番深い場所に沈められた伝説があります
どの位前でしたかプロジェクトチームが編成され湖底を探索しましたが見つからないままです 来年大河ドラマは武田信玄だそうですネ 又石棺の発掘調査に火がつくかもしれませんネ
武田信玄の戦に使った棒道やお茶清水・傷を癒した温泉等が山間に多く残されています
如何に合法的であったかの地の時代の参考になっています
「城は人なり 人は城なり」の名句はいつの時代でも人間社会の根本に置くべき事だと感心するばかりです
武将としても大将としても逸材であったから今日まで語り継がれているのでしょうネ