結論から言いますと、4時間を軽く越えてしまいました。
晴天・温暖・微風の言い訳の聞かない絶好のコンディションの中、10時40分スタート、体調が体調なので、今日の目標はとにかくサブ4、26分半くらいのペースで行くつもりでしたが、同じチームのBETTYさんがいい感じで走っていたので、しばし併走、でもこのままついていくとつぶれそうなので、10km過ぎからは、予定の26分台にペースを落としました。
15km地点で、今年もなぜか大根を持って応援しているライバルのYさんのエールを受けます。
大田原のコースは、同じコースを2周、1周目が終わって、中間点のタイムが1時間50分、いつもよりちょっと遅いくらい、足の調子も悪くないので、3時間50分は確実に切っておきたいよね、なんて思ってました。この時点では。
20~25kmも26分代前半のラップでカバー、ところがこのあたりから足にだんだん疲れがたまってきて、25~30kmのラップは28分台に落ちました。
30km地点で再びライバルのYさんの応援を受けましたが、ラップが落ちてきてたので両手で大きく×印。
でも、この時点では、それほどのダメージはなかったし、あと12km、何とか粘れるのではないか、3時間50分はしんどくなってきたけど、サブ4は間違いないよね、なんて思ってました、この時点では。
32kmくらいでしょうか、左足のふくらはぎに、後ろから金属バットで殴られたような痛みを感じました。
先週の日曜日に痛めたのはひざの裏側辺りでしたが、今度はそのずっと下のほう、足首に近いところ。
このレースの最後の関門が35.4km地点にあります。そこにはバスもいます。
とにかくそこまでたどり着こう。
しばらくゆっくり歩いてみました。
またゆっくり走り始めてみました。うん、何とかいけそうです。
35.4kmの関門は3時間20分、係りの人から「あと5分」の掛け声がかかります。
関門は通過しちゃったわけです。
ここでちょいと悩みました。
世界チャンプのまま事故死をした不世出の天才ボクサー、大場政夫(古っ!)は、「リング上では絶対テンカウントは聞きません。」という名せりふを残しました。
私も、このブログ上で、「二度と収容バスには乗らない」と宣言してしまっています。
残りは6.8km、もう少しです。それに、6分20秒/kmくらいのペースでいけば、まだサブ4の可能性もあります。
「ここで止めたら、きっと後で絶対後悔する!」
結果は、、、6.8kmにほぼ1時間かかりました。
「なぜ、あそこでやめなかったのか。」とすごく後悔しました。
普通、マラソンで、「つぶれて歩いちゃいました。」って、1km走って200m歩くとか、そんな感じじゃないですか。
そんな生易しいものじゃありません。100m走って100m歩く、そんな感じ。
ライバルのYさんに、歩いているところを何度も見つかりました。
が、既にその時は、プライドも気力も向上心も、すべてどこかへいってしまった後だったので、何を言われても頑張ろうという気がまったく起きませんでした。
よれよれの状態でとにかくゴール、一緒に行った大江戸飛脚会のメンバーには、大変お待たせしてしまいました。
これで、今年は、館山若潮マラソンでかろうじてサブ4をしてから、荒川、かすみがうら、そしてこの大田原と3連続4時間越え、俺ってやつは、もう4時間切れないんだろうかって気までしてきました。
というよりも、この3レース、足の不安からレースができていない、そもそもマラソンを走れていないってこと。
練習不足だから足が痛むのか、足の不安で練習不足なのか、鶏が先かみたいになりますが、でも、このままでは2週間後のNAHAも、必ず同じことになります。
さあ、どうしよう。
晴天・温暖・微風の言い訳の聞かない絶好のコンディションの中、10時40分スタート、体調が体調なので、今日の目標はとにかくサブ4、26分半くらいのペースで行くつもりでしたが、同じチームのBETTYさんがいい感じで走っていたので、しばし併走、でもこのままついていくとつぶれそうなので、10km過ぎからは、予定の26分台にペースを落としました。
15km地点で、今年もなぜか大根を持って応援しているライバルのYさんのエールを受けます。
大田原のコースは、同じコースを2周、1周目が終わって、中間点のタイムが1時間50分、いつもよりちょっと遅いくらい、足の調子も悪くないので、3時間50分は確実に切っておきたいよね、なんて思ってました。この時点では。
20~25kmも26分代前半のラップでカバー、ところがこのあたりから足にだんだん疲れがたまってきて、25~30kmのラップは28分台に落ちました。
30km地点で再びライバルのYさんの応援を受けましたが、ラップが落ちてきてたので両手で大きく×印。
でも、この時点では、それほどのダメージはなかったし、あと12km、何とか粘れるのではないか、3時間50分はしんどくなってきたけど、サブ4は間違いないよね、なんて思ってました、この時点では。
32kmくらいでしょうか、左足のふくらはぎに、後ろから金属バットで殴られたような痛みを感じました。
先週の日曜日に痛めたのはひざの裏側辺りでしたが、今度はそのずっと下のほう、足首に近いところ。
このレースの最後の関門が35.4km地点にあります。そこにはバスもいます。
とにかくそこまでたどり着こう。
しばらくゆっくり歩いてみました。
またゆっくり走り始めてみました。うん、何とかいけそうです。
35.4kmの関門は3時間20分、係りの人から「あと5分」の掛け声がかかります。
関門は通過しちゃったわけです。
ここでちょいと悩みました。
世界チャンプのまま事故死をした不世出の天才ボクサー、大場政夫(古っ!)は、「リング上では絶対テンカウントは聞きません。」という名せりふを残しました。
私も、このブログ上で、「二度と収容バスには乗らない」と宣言してしまっています。
残りは6.8km、もう少しです。それに、6分20秒/kmくらいのペースでいけば、まだサブ4の可能性もあります。
「ここで止めたら、きっと後で絶対後悔する!」
結果は、、、6.8kmにほぼ1時間かかりました。
「なぜ、あそこでやめなかったのか。」とすごく後悔しました。
普通、マラソンで、「つぶれて歩いちゃいました。」って、1km走って200m歩くとか、そんな感じじゃないですか。
そんな生易しいものじゃありません。100m走って100m歩く、そんな感じ。
ライバルのYさんに、歩いているところを何度も見つかりました。
が、既にその時は、プライドも気力も向上心も、すべてどこかへいってしまった後だったので、何を言われても頑張ろうという気がまったく起きませんでした。
よれよれの状態でとにかくゴール、一緒に行った大江戸飛脚会のメンバーには、大変お待たせしてしまいました。
これで、今年は、館山若潮マラソンでかろうじてサブ4をしてから、荒川、かすみがうら、そしてこの大田原と3連続4時間越え、俺ってやつは、もう4時間切れないんだろうかって気までしてきました。
というよりも、この3レース、足の不安からレースができていない、そもそもマラソンを走れていないってこと。
練習不足だから足が痛むのか、足の不安で練習不足なのか、鶏が先かみたいになりますが、でも、このままでは2週間後のNAHAも、必ず同じことになります。
さあ、どうしよう。
次の那覇は気候も良いし、きっと良いレースになりますよ♪
那覇が終わったら、ぜひ忘年会しましょうね (・ω・)/
けっこうきつい関門を突破されて、そこから歩きが入ろうが、完走されたのだからリッパですよー。
私は関門500m手前で力つきました、次回頑張りましょう。
つくばのPB、おめでとうございます。
私は、またちゃんとマラソンが走れるように練習します。
ところで、昨日あくびさんに会いましたが、デフォメンバーで新年会はどうかという話になりました。
詳細はジョグノートで。
トボサカさん
トボサカさんも、つくばでのPBおめでとうございます。
私もちゃんと出直しますので、NAHAは無理でも、来年の青梅、荒川は、ちゃんと走れるようにします。
shimoさん
5km地点くらいおで、shimoさんが「関門で待ってるよ」と言いながら抜いていきましたよね。
そのとおりの結果になっちゃいましたね。
お互い「寄る年波」なのでしょうか。
足が痛いときに整形外科へ行っても、レントゲンを撮って、骨には異常ありませんって言われて、湿布をもらってそれでおしまい。
韋駄天は、医者の代りくらいのつもりで行っています。
「ひどいですねー」って、笑われるときがあります…
城さん
城さんは私を買いかぶっている、過大評価している。
こんなのしょっちゅうですよ。