子供の頃、よく遊んだ礫川公園、地下鉄後楽園の隣にあります。
地下鉄の駅や、遊園地、球場はすっかり変わってしまったけど、この公園はほとんど昔のまま。
地元の名刹、伝通院。徳川家の菩提寺です。
生まれ育った地元のレース。
コースは実家の前を通ります。
親父は大会の役員の一人です。
大田原とNAHA、フルの谷間にハーフ、かなりハードなローテーションですが、親に走っている姿を見せられるのも今のうちかもしれませんしね。
(自分が、ではなく、見る親の方が、です。)
第34回、なんですって。
そんなにやってたんだ。
そういえば、独身のとき、家の前をなんか走ってんなーなんて思ってました。
実家でまったり着替えて、スタート15分前に家を出てスタート地点へ。
これが地元レースのいいところ。
着替え中に、母親が、「ジャガー横田のだんなさんは7歳も年下なんだって。」とか、「○○ちゃん(私のいとこです)の上の娘さんが今度就職なんだけど、あんたの会社、コネで何とかならない?」(注:全くなんともなりません。)とか、レース前の緊迫感をぶち壊すような話をするので、やや疲れましたが。
昨年からRCチップが導入されて、今年は一丁前にゴールゲートまで出来てました。
参加人数は過去最高で1000人近くだったみたい。
でも、大半は小中学生の3km、6kmレースで、一般ハーフの部は140人くらい。
コースは、1周3kmのコースを7周回、500mくらいの上りと下りがあります。
皇居の桜田門からの下の平坦なところ1.5kmと代官町からの上の平らなところ0.5kmを切って繋いだようなコースです。
目標は100分切り。
思えば05年11月の上尾ハーフの96分台以来、3年8レース(うち2回は千葉マリンの「雪で中止」と「コース誘導ミス」)、100分切りから遠ざかっています。
で、結論から言うと、切れませんでした。_| ̄|○
1時間40分35秒、途中までは切れそうな展開もあったのですが、最後の肝心なところで微失速しました。
3km毎のラップです。
13:47、4:21、14:13、14:28、14:28、14:29、14:49=1:40:35。
暑からず寒からず、微風の絶好のコンディション、少人数レースゆえスタートロスも数秒程度、スタート後の渋滞もなし。
母親や、地元の商店街の人の応援を受けながら走ります。
HNではない、本名で応援されるのも、なかなか新鮮。
2周目からペースは安定、とりあえず余裕あり。
ところがこのコース、後半1.8km地点あたりから500mくらい、ちょうど皇居を逆回りしたときのような上りがあるのですが、周回を重ねる毎にこの上りがつらくなってきます。
それでも4,5,6周と計ったようなイーブンペース、このまま最終周も粘って、坂を上りきったラスト700mをスパートして、ぎりぎり100分に滑り込む、そんな計算をしていました。
ところがスパートする前に微妙に失速、スパートも時すでに遅し、不発。
はー、もう一生切れないんじゃないかと思えてきました。
レース後は、会場の隅に放置しておいたベンチウォーマーだけ羽織って徒歩で帰宅、母親の作った炊き込みご飯で昼食。
地下鉄の駅や、遊園地、球場はすっかり変わってしまったけど、この公園はほとんど昔のまま。
地元の名刹、伝通院。徳川家の菩提寺です。
生まれ育った地元のレース。
コースは実家の前を通ります。
親父は大会の役員の一人です。
大田原とNAHA、フルの谷間にハーフ、かなりハードなローテーションですが、親に走っている姿を見せられるのも今のうちかもしれませんしね。
(自分が、ではなく、見る親の方が、です。)
第34回、なんですって。
そんなにやってたんだ。
そういえば、独身のとき、家の前をなんか走ってんなーなんて思ってました。
実家でまったり着替えて、スタート15分前に家を出てスタート地点へ。
これが地元レースのいいところ。
着替え中に、母親が、「ジャガー横田のだんなさんは7歳も年下なんだって。」とか、「○○ちゃん(私のいとこです)の上の娘さんが今度就職なんだけど、あんたの会社、コネで何とかならない?」(注:全くなんともなりません。)とか、レース前の緊迫感をぶち壊すような話をするので、やや疲れましたが。
昨年からRCチップが導入されて、今年は一丁前にゴールゲートまで出来てました。
参加人数は過去最高で1000人近くだったみたい。
でも、大半は小中学生の3km、6kmレースで、一般ハーフの部は140人くらい。
コースは、1周3kmのコースを7周回、500mくらいの上りと下りがあります。
皇居の桜田門からの下の平坦なところ1.5kmと代官町からの上の平らなところ0.5kmを切って繋いだようなコースです。
目標は100分切り。
思えば05年11月の上尾ハーフの96分台以来、3年8レース(うち2回は千葉マリンの「雪で中止」と「コース誘導ミス」)、100分切りから遠ざかっています。
で、結論から言うと、切れませんでした。_| ̄|○
1時間40分35秒、途中までは切れそうな展開もあったのですが、最後の肝心なところで微失速しました。
3km毎のラップです。
13:47、4:21、14:13、14:28、14:28、14:29、14:49=1:40:35。
暑からず寒からず、微風の絶好のコンディション、少人数レースゆえスタートロスも数秒程度、スタート後の渋滞もなし。
母親や、地元の商店街の人の応援を受けながら走ります。
HNではない、本名で応援されるのも、なかなか新鮮。
2周目からペースは安定、とりあえず余裕あり。
ところがこのコース、後半1.8km地点あたりから500mくらい、ちょうど皇居を逆回りしたときのような上りがあるのですが、周回を重ねる毎にこの上りがつらくなってきます。
それでも4,5,6周と計ったようなイーブンペース、このまま最終周も粘って、坂を上りきったラスト700mをスパートして、ぎりぎり100分に滑り込む、そんな計算をしていました。
ところがスパートする前に微妙に失速、スパートも時すでに遅し、不発。
はー、もう一生切れないんじゃないかと思えてきました。
レース後は、会場の隅に放置しておいたベンチウォーマーだけ羽織って徒歩で帰宅、母親の作った炊き込みご飯で昼食。
コースにもなっているうちの実家の前の通りは、千川通りと言って、江戸時代は、千川上水を水戸様の江戸屋敷(現在の東京ドーム辺り)へ流す川だったそうで。
小石川とか礫川とかは、その名残の地名。
川が流れていたんだから当然低くて、その周囲は全部坂、なんですよね。
地下鉄丸の内線は、昭和30年ごろ?の古い地下鉄。
全線地下を走る地下鉄の計画は、当時の進駐軍の許可が下りなかったため、丸の内線は、後楽園や御茶ノ水や四谷で地上に出ているのだ、と聞きました。
地下鉄が上を走っているのが新鮮でした。