「あしたのジョー」の丹下拳闘クラブは、泪橋の橋の下にあったわけですが、、、
実際の泪橋は、明治通りと日光街道のかなりでかい交差点で、丹下拳闘クラブの面影は全くありません。
ジムがあったのではと思われる場所は、桃太郎急便さんのビルになっていました。
かつてこの場所には、石神井川から北区王子で分岐した音無川から、台東区三ノ輪でさらに分岐した思川が流れていました。実際に泪橋はあったわけです。でも、かなり早い時点(多分戦前)に暗渠化されており、少なくともあしたのジョーの連載時(1968年12月~)にはもうなかった。
原作者の高森和夫(梶原一騎)さんは、1936年の台東区浅草の生まれだとか。丹下拳闘クラブのロケーションは、原作者の子供の頃の原風景なのかもしれません。
あしたのジョーといえば山谷のドヤ街なのですが、そういう雰囲気の場所ももう見当たらない。
一泊2000円くらいの簡易宿泊施設が、一時は外国人のバックパッカーに人気だったみたいですが、今やコロナで閑古鳥。
一時はあしたのジョーの故郷ということをアピールしていた商店街も、シャッター街と化していました。
商店街の日本堤通側の出口に、ぽつねんとジョーの像が。
あしたのジョーも今や昔、なのかな。
実際の泪橋は、明治通りと日光街道のかなりでかい交差点で、丹下拳闘クラブの面影は全くありません。
ジムがあったのではと思われる場所は、桃太郎急便さんのビルになっていました。
かつてこの場所には、石神井川から北区王子で分岐した音無川から、台東区三ノ輪でさらに分岐した思川が流れていました。実際に泪橋はあったわけです。でも、かなり早い時点(多分戦前)に暗渠化されており、少なくともあしたのジョーの連載時(1968年12月~)にはもうなかった。
原作者の高森和夫(梶原一騎)さんは、1936年の台東区浅草の生まれだとか。丹下拳闘クラブのロケーションは、原作者の子供の頃の原風景なのかもしれません。
あしたのジョーといえば山谷のドヤ街なのですが、そういう雰囲気の場所ももう見当たらない。
一泊2000円くらいの簡易宿泊施設が、一時は外国人のバックパッカーに人気だったみたいですが、今やコロナで閑古鳥。
一時はあしたのジョーの故郷ということをアピールしていた商店街も、シャッター街と化していました。
商店街の日本堤通側の出口に、ぽつねんとジョーの像が。
あしたのジョーも今や昔、なのかな。
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