Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

キャンプ旅行 メルズーガ(Merzouga)

2012-01-12 11:05:32 | モロッコキャンピング 2012年


 

 

サイトのすぐ近くにお城のようなカスバーがあった。近くへ拠ってみるとプール付きのホテルだとわかった。プールがあるほど水が豊富なのだ。

 

 

 

   

キャンプサイトからメルズーカの村は2kmほど、11時過ぎ散歩に行った。
町や村の入り口には必ず門があり、この村も例外でない。観光バスがここまでやってくるらしく、お土産店が数軒と砂漠冒険のトラベルエージェントが数軒あるばかりで、全く面白くない村だ。村までの砂丘近くにはホテルやキャンプサイトが並んでいるが、私たちの居るサイトが大砂丘に一番近いため今日もキャンパーが6台停車している。

 

 



こんな砂漠の乾燥地帯にまだ水の残っている沼地がありつがいの珍しいガチョウがすんでいる。又頭とお尻が白いこの黒鳥は砂漠地帯ではどこでも見られるが、ヨーロッパでは見られない。

 

 

 

 

太陽は焼けるほど熱いが、風が冷たい。お昼過ぎから急に風が強くなり、砂丘に行けないと心配したが4時近く収まってきたため、大砂丘を中腹まで登ることにした。大砂丘の向こう側がどうなっているかが知りたかったが砂丘の連なりが見えただけだった。この地域はアルジェリアの国境に近くモロッコからエジプトまでサハラ砂漠が広がっている。

 

 


私たちの反対側の砂丘の急斜面を登る一団が居て、望遠で見るとアラブ人の一団らしい。相当へたばって途中で寝転んでいる人や、両手両足で上っている人も居て、思わず笑ってしまった。

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キャンプ旅行 大砂丘の夕日

2012-01-11 10:48:00 | モロッコキャンピング 2012年

 

 

今日のキャンプサイトのある村はメルズーガで、サイトの一部はそのまま砂丘になっている。ラクダが行列を組んで観光客を乗せて砂漠観光に出発していった。ラクダに乗ったのは2001年チュニジアへ行ったときに、やはりサハラ砂漠の一部を歩きラクダに揺られたっけ。でもあの時ちょうど9月11日のニューヨーク・ツイン・タワーの崩壊でチュニジア内の観光がかすんでしまった。
キャンプサイトでランドローバによるツアーを薦められたが一人1000DH(75ポンド)だというので断った。



午後4時過ぎ思い立って砂丘へ上り夕日を写そう。キャンパーからすぐだからコートを着て長靴を履きカメラを持っただけ。朝はうす曇だったけど、夕方にはよく晴れた。砂丘を登ってゆくと、今日一日お客を乗せて活躍していたラクダが,2-3頭づつ帰ってきた。

 

 

2頭が砂丘の上に立ち止まったかと思うと、まるで ”あそこの岡までかけっこしよう。
誰が一番早いかしら。ソレッ !!”と駆け下り、又ゆっくり降りていった。ラクダが走ったのははじめて見た。何と人間ぽいラクダだったか。





5時半周りの砂丘をピンク色に染めて夕日が遠くの山並みへ下りていった。砂を踏む私たちの足音以外には静寂のただよう平和な夕暮れだった。



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キャンプ旅行 ミデルト(Midelt)へ

2012-01-10 11:26:53 | モロッコキャンピング 2012年




昨日は私たちも入れて4台の英国キャンパーが停まっていた。まだ30代のカップルは昨日このサイトを去り、今朝8時過ぎには2台のキャンパーも行ってしまった。
私たちが出発したのは9時過ぎで、今日は北に向かいミデルト(Midelt)をめざす。



今朝も砂漠は晴天で遠くにはうす雲が見える。50km先のリッサニ(Rissani)の町は、露天市が立つのか、あちこちのわき道から地元民を満載にした馬やロバの引く荷車が町の中心めがけてやってくる。黒のベールをかむった女性たちはカメラを向けるとあわててベールをすっぽりかぶってしまう。彼女たちは自分の周囲のこと意外は何も知らずに年老いていくのだろう。黒装束で身を隠してしか外出できぬように洗脳してしまった宗教とは何と恐ろしいものだろう。




エルフード周辺のメインロードには巨大な城砦と見間違うようなホテルがいたるところにあり今もなお工事進行中のもある。世界中からの団体旅行客は観光バスでこのようなホテルに宿泊し、オプションとしてラクダツアーや、4輪駆動の1日ツアーを取りノーマッド(砂漠の遊牧民)のテントでミンツティーを飲まされ、お土産店によって行くのが通常。

皆大砂丘を見たくて来るのだろうが、この辺りから大砂丘までは70kmも離れている。旅行会社もこのようなホテルと契約しているから砂丘から遠く離れていても、観光客には砂丘の隣で一泊するなどの選択はないだろう。土産屋だって行きたくなくても連れて行かれるのが常である。





村や町が高い壁で囲まれたものはクサルと呼ばれ、このエルフードからエル・ラシディア一帯の広大なオアシス地帯に散在している。特に国道脇には新築のクサルが見かけられる。



エル・ラシデイアを過ぎると右手に大きな湖が広がり、こんな砂漠にと驚いたが、オアシスの地下水はこの湖から流れているに違いない。この湖から渓谷を北に上って行くところはズィズ渓谷と呼ばれズィズ河に細い流れが見える。



私たちのオアシスのイメージは砂漠の中に小さな湧き水と数本の椰子の木なのだが、ここのオアシスの広大さは想像を絶する。リッサニからエルラシディアにいたる100km近い道路わきには椰子林が生い茂っている。



ズィズ渓谷のあちこちに岩山の一部のような同色の村が散在する。そして渓谷の川の両側にも椰子林がびっしりと生い茂っている。ナツメヤシの実(デイツ)が主食で有ればこれらの木は植林されたものに他ならない。



リッチ(Rich)を過ぎた頃から、道路の近くまでうっすらと雪が積もって、とっても寒い。砂漠の朝と違って雲が低く空を覆って雨が降りそうだ。
ミデルトへ行く前の山越えで、つづら折りの道端にコカコーラのビンを3本ずつ立てて売っている人たちが居た。皆寒そうで,一体あんなところでどうしてコカコーラを売っているのか判らない。もしかして内容はオリーブオイルか何か別物かも知れない。






ミデルトのキャンプサイトで落ち着いてすぐ、砂漠で一緒だった3台の英国車が集まってきた。何と申し合わせたようではないかとみんなで笑いあった。。
町をすこし散歩してみたがにぎやかな割には見ものは無く、久しぶりの雨が降って来たので急いでキャンパーに戻った。雨が降ったら日干し煉瓦の村の家はどうなるのだろう。

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キャンプ旅行 カスケイド(滝)へ

2012-01-09 11:35:08 | モロッコキャンピング 2012年



今日の何と変化にとんだ一日だったことだろう。
朝9時ミデルト(Midelt)のキャンプサイトを出発して、30Kmほど北のゼイダ(Zeida)の村で朝食用のオレンジ4個を買った。4個で23DH(1ポンド70ペンス)これじゃロンドンよりも高い。この地方はまだ砂漠の気候でオレンジはトラックで運んでくるに違いない。




このゼイダの町から近道80Km西へ向かった。すると途中からみぞれ、そして本格的な雪になり、道にこそ積もらないが辺りはまったく冬景色に変わった。亭主はこの雪に閉じ込められなければいいがと心配したそうだが、私のほうは写真を撮るのに夢中。




途中相当大きな2村を通ったが、はじめの村は雪で埋もれていて、次の村では除雪車が待機していた。この踏切が降りたらここは通行止めになるとのこと。幸い無事に通り過ぎ、その村からは徐々に下り坂になって雪はあっという間に見えなくなってしまった。



マラケッシュへ行く国道に着き今までの雪道が嘘みたい。辺りは盆地内の広大な平野で、湖あり、オレンジやオリーヴ畑あり、麦の新芽があざやかで平和そのもの。時々太陽が雲の間から顔を出すが、にわか雨がしょっちゅう降って気温は4度。



市場へ行く馬車に満席の女性たちも黒ずくめは見当たらない。大きな村の市場はぬかるみになって、久しぶりの雨でも市場は活気を呈していた。道端にこんなに多くのオレンジを売ってるならゼイダで買うのじゃなかったとがっかり。



この地方で一番大きな町ベニ・メラルのバイパスでアトラス以南では無かったマージェンヌの巨大なスーパーを見つけた。亭主の求めていたブラウン・ブレッドや数種の肉類、それに大きなオレンジ10個も買い込んだ。オレンジ10個が4kgで10DH(75ペンス)こりゃやっぱりゼイダではぼられたんだ。





ベニ・メラルから20kmほどでわき道のR304をアトラス山脈内のアジラル(Ajilal)に向けて走る。平野の行き止まりから道路は急な曲がりくねった坂道になり、一気に1km近くも登ってしまった。山頂から見た平野はここがモロッコであるとは信じられないくらい整然として、町並みも素晴らしい。







山脈をいくつか越えたところは緑色の谷川とその上流にダムがあり、水力発電所があった。
ダムの辺りから雲が低くなりあたりは暗く雨が降ったり止んだり、山全体を素晴らしく彩るアーモンドの花が雨にかすんでいる。



アジラルはメインの国道から86Kmも山奥へはいってこんな田舎に大きなモダンな町があると驚いた。キャンプサイトはそこからまだ40kmも坂道を上下し山を廻り、一時は霧か雨雲の中へ入り込み前方5メータくらいしか見えなかったりした。



後キャンプサイトに6-7Kmで急に明るくなって雨雲が切れ、山全体を彩るアーモンドの花の素晴らしさ。今日のハイライトだった。



今夜はオランダ人カップルが経営するきれいなキャンプサイトで、夕食はモロッコの有名なタジン料理をサイトのレストランで食べた。ヤギの肉と野菜をタジンの器に入れて数時間直火で焼いたもの。肉は柔らかく美味しいが小さな骨が多い。

二日前に日本人の男性一人、自転車で香港からアジア、ヨーロッパ一周をしていて、このサイトで泊まったそうだ。

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キャンプ旅行 カスケード・ドゥーズ(Cascades d Ouzoud)

2012-01-08 11:38:24 | モロッコキャンピング 2012年



昨夜は一晩中激しい雨が降り続いた。今朝起きてみると雨雲は去って、いつものように真っ青の空。
キャンプサイトが高台にあり、昨日やってきた谷間の道がはるかに見える。辺り一面に咲くアーモンドの花は朝日に白や薄いピンクを輝かせている。







ゼブラ・キャンピングはその名のとおり、作業トラックやトイレのデコレーション、お手伝いさんのエプロンにいたるまでシマウマの模様で、レストランの中はカップ、お皿などもすべてシマウマ模様。シマウマのぬいぐるみがあちこちに飾ってある。



ここはキャンプ場のみならず宿泊所も兼ねていて、清潔なトイレシャワーつきのベッドルームが7室ある。オーナーにモロッコの地球の歩き方に投稿するといったら喜んであちこち見せてくれた。



もし今日も雨だったら滝を見てすぐマラケッシュへ向かうつもりだったが、もう一泊することにして、午前中1.5Kmの道をゆっくり散歩がてら谷間へ降りていった。





アーモンドの花が彩る周囲の景色は素晴らしく、”やっぱり来てよかったね”と連発。
滝へ降りる道は、両脇にみやげ物屋やティーハウスが並んで、客引きがかしましい。自称ガイドが寄ってくるのを次々断り、谷間の高台から滝を見下ろすことが出来た。



昨日の雨で水は赤茶色,乾季には澄んでいるという。とにかく大量の水が流れ落ちて半ばで岩に当たり派手な水しぶきを上げていた。
石段を降りて滝の近くまで行くと、周囲に飛び散る水しぶきに日光が当たりきれいな虹が出来ている。



帰りに滝の源である川へ行ってみたが茶色の水が堂々と流れ、橋を渡って向こうは地元の貧しい村だった。

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キャンプ旅行 エッサウィラ(Essaouira)

2012-01-07 18:34:15 | モロッコキャンピング 2012年



マラケッシュの二日間は只ひたすらこのブログを書き送るために費やし、三日目の朝マラケシュから200数十キロ西のエッサウィラへ向かった。

長い間左手に雪を抱いたアトラス山脈が見え、それ以外はほとんど真平らの平野を道路状態も良く快調に海岸をめがけた。外気温は18度、窓を開けると肌寒いが、締め切った運転席は直射日光が熱い。

 

   

エッサウイラの町が見渡せる岡の上の見晴台ではラクダに乗って写真を撮る親子が数人楽しんでいた。海岸線まで岡を降り、町外れから200メータほどで、難なくキャンプサイトが見つかった。



入ってびっくりこの小さなキャンプサイトにキャンパーがびっしり、満員お断りかと心配したが、やっと隙間を見つけて駐車できた。2台の英国車の他はフランスとイタリアのキャンパーで、トータル50台。海岸線がこんなに込んでいるとは知らなかった。

  

2月1日、キャンプサイトから2kmも旧市街を目指して海岸線をゆっくり歩く。朝の9時半ごろから雲が厚くなり雨が降るかと傘の準備もして出かけたが、一日中曇り空だった。

  

港の魚市場では小さな鰯や鯖を売っていたが、持ってゆけない。港一面の人々とかもめがかしましい。港の門を通ってすぐの広場では野菜や鮮魚の市場が開きここも大きなかもめがうるさいほど鳴きわめき、低空飛行をしている。

 

 

この町は紀元前800年から栄えた歴史のある町で、今現在の城壁は16世紀のポルトガル支配下で建設され、18世紀フランス人によって町並みが作られた。だからスークも整然として広く、ほとんどが碁盤の目のようで非常に歩き易い。

  



 

 

スーク内の店はあらゆるお土産品を売っているが、しつこく声をかけてくる人も少ないし、物乞いがあまり居なくて、ゆったり店を見ながら歩き回れる。ここでは寄木細工の木工品が有名で、娘からコーヒーテーブルを買って欲しいと頼まれたが、キャンパーに積めるところが無いから断った。それでも一応見て廻ったけど・・・・。

 

 

 

 

博物館内の建築物が素晴らしいとのことで入ってみたが二階へ上がるまでの階段とアラブタイル、天井の釣りランプなどが素晴らしい。展示物はあまり無くて、30分もかからなかった。博物館から近くの北稜壁の展望台からの眺めは素晴らしく、壁に沿って立派な大砲が海に向かって設置されている。この町が豊かだったことがよく判る。

  

お昼はメラーと呼ばれる昔のユダヤ人街近くの英国人経営レストランの前庭で食事をしていたら、地元民がたくさんのプラカードを持ちシュプレヒコールをしながら集まってきた。何のデモなのか判らなかったが、店のイギリス人の説明では、ユダヤ人街には今ではユダヤ人は住んでいず、貧しいアラブ人が占拠してしまい、電気代を払わないから電気も切られてしまい、生活に困っているらしい。そこに数ヶ月前このメラーの一部が崩れてしまい安全が脅かされているという。そのためのデモだったらしいが、100人もいず穏やかなものだった。それにしてもこの国でもこうしてデモが出来るだけの民主化が進んでいるのが驚きだ。

一応メラーも見ておこうと路地を入ったが明かりのない暗い通りと、ほとんど崩れ落ちた建物や、とおりのあちこちに立っている地元の人たちの様子は活気が無く、急いでこの地域を後にした。観光客が楽しみに入ってゆけるところではない。

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キャンプ旅行 再びマラケシュ(Marrakesh)へ

2012-01-07 11:42:52 | モロッコキャンピング 2012年



ゼブラキャンプサイトのオーナーにこの地方と宿泊施設を地球の歩き方にリポートすることを約束して、日曜日の朝マラケッシュへ向かった。



谷間から県道R304へ行くまでの16Kmに日曜朝市が開かれていて、市場へ向かう村人たちが次々ロバに乗ってやってくる。今朝も素晴らしい天気だ。







ベニ・メラルからマラケシュへ向かう幹線道路N8は平野を走っているが、このR304は海抜1000メータ級の山岳平野でオリーヴとアーモンド林が一面に生育し、アーモンドの花畑の背景には雄大なアトラス山脈が雪を冠って延々とマラケッシュへ着くまで延びている。







マラケッシュの周辺50kmは広大な平野で農業が盛んらしい。畑はよく耕され、通り過ぎる村々の市場では野菜、果物が豊富に盛られていた。オリーヴの漬物も大瓶で並んでいる。



マラケシュの町へ入るバイパスで大渋滞に巻き込まれ、30分以上もほとんど動けず、モロッコ人の交通規則無視にいらちの亭主の怒ること・・・。



そしてキャンプサイトへ向かう道路ではマラソンレースの最中だったが、落ちこぼれの人たちで歩いているランナーもいた。
一番驚いたのが道端に100羽近くのコウノトリがえさをついばんでいた事。やっぱりこの辺りは暖かいのだろう。気温も18度に上がっている。数日前道端の広大なゴミ捨て場に白鷺とコウノトリがごみを漁っていたので、”コウノトリよ、もっと気高くあれ”と言いたくなったものだ。

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キャンプ旅行 サフィ(Safi)からモハメディア(Mohammedia)まで

2012-01-05 15:12:55 | モロッコキャンピング 2012年



昨夜は数時間激しい雨が降った。大西洋側は雨が多いからこの地方は緑が多いのだろう。
朝9時過ぎこのにぎやかなサイトを去るときは他に2台居る英国車が誰も起きてこなかったから別れが言えなかった。

今日は海岸よりの2級道路をサフィへ向かう。途中で何台ものキャンパーに出会った。この海岸線はヨーロッパのキャンピングブックに記されているらしい。ところどころ素敵な一軒家が目に付く。モロッコのお金持ちの別荘地のように見える。



海岸の突端にはこの平らな灯台があった。近くで見るとあちこちペンキがはげて、もっと手入れをしていたらこの国の建築物も長持ちするだろうにと二人で話し合う。
大体この3週間で停まったキャンプサイトでヨーロッパのスタンダードに追いつく設備を持ったところがあまりに少ない。一応水道もトイレシャワーもあるが、手入れされていないから半壊しているところが多い。

 

 

この海岸地方はアトラス山脈地方から見ると豊かなのだと感じたのは、道路わきを行きかう馬車で、ほろをかけた箱馬車の中に数人が座っている。馬のほうがロバよりも多いようだ。道端に開いていた市場では駐車場に一番多く見られるのが箱馬車だった。

 

 

どこへ行っても人の多いのには毎度とはいえ驚かされる。道端にぼんやり座っている人たちやキャンパーを見ると走りよって手を振る子供たち、でもこの子達が単に友好的に手を振っているのは少ない。ほとんど手に貝殻を持って売ろうとしているからだ。

 

 



道路と波打ち際の間はきれいに耕された畑地で、今は人参の収穫期らしい。人参の集積地ではトラックが何台も停まって出荷準備をしている。人参の葉を山積みにしたロバが絶え間なく道端を歩いてゆく。

 

 

時々海岸線にこのモダンな集合住宅地がみえ、一体このような家屋に住める人たちが何人居るのだろうかといぶかってしまう。


 

   


サフィのキャンプサイトは町外れで、町の特徴は缶詰工場が多いという。どこにも大なり小なりのスークをもち街中を見に行く気にもなれない。
このキャンプサイトには孔雀が放し飼いされていて、中の一羽が大変勇気があるか賢いか平気でキャンパーの周りを歩き回る。私の手からパンをつついて食べるほどで、こうなると孔雀といえどもかわいいものだ。洗濯ばさみの入ったバックを持っているだけで何かくれると思うのかいそいそとやってくる。
マラケッシュのキャンプサイトでも孔雀の群れが居て朝夕奇怪な叫び声をあげていた。でもこれほど人慣れしていなかった。

 

 



サフィとエル・ジャディダ(El Jadida)の間では素晴らしくモダンな町を通った。街道などヨーロッパと変わらないくらいだ。
途中から海側は塩田が並び、山側は雑草の花が満開の岩だらけの岡が続く。

 

 

エル・ジャディダ近くで見かけたアラブの墓地は、砂漠地方の貧しい墓地とは比べ物にならない。



エル・ジャディダから高速道路でモハメディアまで来たが、高速道路からモハメディアへの道路が閉鎖していて迂回の道がわからなくて、散々道に迷った。そしてこれほど悲惨な市街地を走り回ったこともない。亭主はこの町がモロッコで一番貧しいところだと言ってはばからない。
キャンパーで走り回ってあちこち写真も撮ったが写真を拡大してみて始めて人の住居だと知れるごみのような山があったりした。又不思議とこんなにひどい環境でも家屋の屋根にテレビの受信機がのっている。人間には娯楽が必要なんだな。特にこの環境では。

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キャンプ旅行 ムーレイ・ブッセラム(Moulay Bousselham)

2012-01-04 16:52:35 | モロッコキャンピング 2012年



モハメディアには3箇所のキャンプサイトがあり、今回のサイトは手入れされたユーカリの林に囲まれた大きなサイトだった。サイトの前はきれいな海岸で夏にはウインド・サーフィングの若者で賑わうに違いない。

 

 

 

海岸を歩いてみるときれいなホリディ用のアパートメントが並んでいるが、そのわき道に山積みのごみは見るのも気持ちが悪い。この国がこれだけ貧富の差が激しいのなら、お金持ちが集まってせめてビンやプラスチック・ビニールの回収事業を起こしたらどうだろう。



浜辺に散らばるプラスチックボトルなど何キロでいくらかの買い上げ制度にでもすれば、ごみも減るだろうし、雇用促進されるに違いない。英国ではアルミ缶に何キロでいくらかの支払いが行われていて、我が家の近くの道路上に落ちているアルミ缶を拾ってゆくおじいさんが一人居る。それだけでもごみが減るのだ。

最近インターネットで青空文庫の中から夏目漱石の三四郎を読んだ。その中に列車内で食べた弁当の空き箱を窓から捨てるのが2度も書かれていて、明治時代の日本の公共道徳を知ることが出来た。日本が戸外にごみを捨てなくなったのはやっぱり戦後の教育のおかげだろう。
1990年代に5回もトルコへ旅行に行ってバスでいろいろな地域を走り回った。長距離バスには車掌がいて、飲み物を持ってきたり座席のゴミ箱からごみを集めたりする。
そしてバスが郊外を走っているときに、たくさん集まったごみをドアを開けて蹴りだしていた。彼らには自分の国を汚している感覚がないのだとつくづく嘆いたものだ。漱石の時代のごみは弁当も板だったろうから、捨てても自然に帰る。しかし最近のビニール袋とプラスチック・ボトルはどうしたって溶けてなくならない。

 

 

  

カサブランカやモハメディアは中心地域はヨーロッパと変わらないくらいモダンで、メイン道路も整備されている。
ところがこんな大都市の郊外こそ落ちこぼれの貧民窟が目にあまる。観光バスで表通りしか行かない観光客にはこのような場所は決して目に付かないだろう。

 

 


首都のラバト(Rabat)を迂回し、モハメディアから約200km北海岸のムーレイ・ブッセラムまで高速道路をとばした。ラバト以北ではビニールハウスが一面で、まるでビニールの海原みたい。驚いたことにそれのほとんどがバナナの林で、この地域は年中バナナが育成するには寒いと見える。

 

 

ムーレイ・ブッセラムはフラミンゴが巣を作っているとの事で行ってみた。キャンプサイトが湖のほとりで、巣造りしてるのが見られるかと甘い考えで行ったけれど、フラミンゴも馬鹿じゃない。広大な湖だもの、人ごみの側に巣を作るわけがない。観光客相手のボートツアーをサイトのすぐ横にたむろするアラブ人が呼びかけてくる。

 

 

 

 

 

 

ムーレイの町は岡の上、サイトの前から石段を登ってゆくと、ごみの山と貧民窟がまず最初に目に付く。そして岡の上の異様に広大なモスク前の広場。月曜日の昼間、たぶん無職のアラブの若者があちこちにたむろしている。この地域では私たち外国人を見ても声もかけてこない。許容量500のキャンプサイトがすぐ眼下に見え、地元の人たちから見ると私たちはすごい金持ちに見えるのだろうなと気恥ずかしくなった。

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キャンプ旅行 再びティトゥアン(Tetouan)へ

2012-01-03 22:34:20 | モロッコキャンピング 2012年




ムーレイ・ブッセラムの最後の夜は満月だった。韓国テレビを見ていたら旧正月の後の初めての満月に願いがかなうとの事で、韓国では大きなお祭りがある。ここのキャンピングサイトは大きくて、フランス、イタリア、スペイン、ドイツなどのキャンパーがたくさん駐車しているが、日暮れとともに辺りは静寂が訪れ、遠くの波音がきこえるだけ。
満月をめでる人も見えず、月の輝きがあまりに明るすぎて周りの星など全然目に入らない。夜中まで湖畔のキャンプサイトは青い光が満ちていた。

 

 

 

 

 

 



朝もやの中、キャンプサイトを後にする。ララシェ(Larache)までの数十キロを高速にのり、ここからティトゥアンまでは山を分け入って東海岸へ向かう。広い耕作地や牧場が広がり、山もなだらかな起伏があるだけで、2時間くらいでティトゥアンの純白の町が見えてきた。

 

 


岡の上から隙間無しに純白の大小の箱を置き並べたような町は、メディナが世界遺産に登録されている。しかしそこまで行くほどの気力がなくなってしまった。本当はこの近くのマーティルのキャンプサイト(モロッコで初日に泊まった)で2泊してこのメディナも見てこようと思ったけれど、モロッコの町もメディナも大小の差はあれどこもあまり変わらない。

ティトゥアンの町外れの大きなスーパーマーケットでディーゼルを満タンにし、手持ちのお金は今夜のサイトの料金だけを残して全部使うことにした。食料をたくさん買い込み残ったお金がコインで9DH(約70ペンス)明日国境で誰かに上げよう。

 

 

マーティルのキャンプサイトでもオーナーは私たちを覚えていた。日本人でキャンパーでやってくる人は今まで居なかったと見える。午後3時、6時、8時と近くのモスクからお祈りの声が響いてきて、良く見れば塔の上の拡声器が此方を向いている。あぁぁぁウルサイ。
あのお祈りの声がどれだけ響いても地元のアラブ人がそのたびに頭を地面にこすりつけて祈っているとは思えない。モロッコは比較的穏健なイスラム教徒だとのこと。

それでも高速道路の休憩所には、お店やレストラン、それに男女別のお祈り用の部屋まであったが誰もいなかった。

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モロッコからスペインへ

2012-01-01 22:49:34 | モロッコキャンピング 2012年

 

 

昨夜は風が強くて、今日のフェリーがどんなに辛かろうと心配したが、朝から晴天、風も収まり暖かい一日だった。

 
 

スペインに近いこの地域は外国からのホリディ客を収容するホテルやアパート群が素晴らしく、南で見られたスラムなどどこにも見られない。道路もごみなど落ちていないようなところをせっせと掃除している清掃員たちが居た。

  

海岸べりのプロムナードもモスクの建っている純白の町もスペインやポルトガルの町と全然変わらない。ここだけしか見なかったら、モロッコは何と素敵な国だろうと思ってしまうだろう。

  

海岸線を走るとスペイン領セウタの町がはっきり見える。又セウタの町からは今までやってきたモロッコの純白の町と海岸線がよく見える。セウタへ行く国境は、入国時の混雑があまりに無秩序だったから、とても心配していた。




国境に着く手前の崖からたくさんのモロッコ人が続々降りてくる。この人たちは一体この国境に集まって何をするのだろう。

出国管理所の前には長い車の行列で、私たちのキャンパーを見ると数人のモロッコ人のおじさんたちが手に手に白い出国願書を持って近寄ってきた。私がお手伝いして早く行けるようにしますと言う。入国で懲りたから、すべてノーサンキューと断り、前方の車の人たちが並ぶと一緒に並んでパスポートに出国スタンプをもらい、キャンパーの登録許可すべて通過して、約一時間ほどでスムースにスペインへ入国できた。

徒歩でスペインへ入国するモロッコ人はまるで監獄のような網と柵の中でぎっしり行列をついている。この人たちはスペインへ日雇い仕事に行くのかもしれない。スペインへショッピングに行く人がこんなに多いとは思われない。
車の長い渋滞で待っているうち、センターを歩いている腰のまがった小さなおばあさんが居た。残った小銭9DHを彼女に手渡した。お礼は言わなかったけど振り向いてニコッと笑った。ヨーロッパへ渡ればごみにしかならない小銭だけれど、このおばあさんには何かに役立つかもしれない。



セウタの町で道に迷い、狭い道を走り回った。この小さな岬の町に一体何万人のスペイン人が住んでいることか。

 

  

今日は素晴らしい晴天だから、セウタの港からジブラルタルの大岩がはっきり見える。海は凪いで、スペインへ着いてもアフリカの山々がしっかり見えた。これはジブラルタルの大岩に匹敵するモロッコの岩の岬。

 

 

ジブラルタルはヴィクトリア時代のトラファルガーの開戦でスペインから勝ち取った小さな英国領土だけれどもスペインもモロッコにこのような領土を2箇所も持っている。
ジブラルタルのモリソンのスーパー内にあるレストランは地元のイギリス人でいっぱいだった。ここはまるでコミュニティセンターのような雰囲気で、おばあさんたちがおしゃべりに夢中。
ジブラルタルなど早くスペインに返上したらと思ったけれど、その土地で生まれ育って自分の国、自分の土地と思って生きてきた人たちにはそんな生易しいものではないだろう。
いつの時代にもどんなところであろうとも領土問題は大変難しいだろうとおばあさんたちの会話を聞きながら思った。

 

 

今日も飛行機が一機も見当たらない滑走路を横切ってジブラルタルへ出入国した。このような滑走路を横切って出入国するような土地は世界広しと言えどもこのジブラルタルだけ。ユニークな飛行場だ。

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