マラケッシュの二日間は只ひたすらこのブログを書き送るために費やし、三日目の朝マラケシュから200数十キロ西のエッサウィラへ向かった。
長い間左手に雪を抱いたアトラス山脈が見え、それ以外はほとんど真平らの平野を道路状態も良く快調に海岸をめがけた。外気温は18度、窓を開けると肌寒いが、締め切った運転席は直射日光が熱い。
エッサウイラの町が見渡せる岡の上の見晴台ではラクダに乗って写真を撮る親子が数人楽しんでいた。海岸線まで岡を降り、町外れから200メータほどで、難なくキャンプサイトが見つかった。
入ってびっくりこの小さなキャンプサイトにキャンパーがびっしり、満員お断りかと心配したが、やっと隙間を見つけて駐車できた。2台の英国車の他はフランスとイタリアのキャンパーで、トータル50台。海岸線がこんなに込んでいるとは知らなかった。
2月1日、キャンプサイトから2kmも旧市街を目指して海岸線をゆっくり歩く。朝の9時半ごろから雲が厚くなり雨が降るかと傘の準備もして出かけたが、一日中曇り空だった。
港の魚市場では小さな鰯や鯖を売っていたが、持ってゆけない。港一面の人々とかもめがかしましい。港の門を通ってすぐの広場では野菜や鮮魚の市場が開きここも大きなかもめがうるさいほど鳴きわめき、低空飛行をしている。
この町は紀元前800年から栄えた歴史のある町で、今現在の城壁は16世紀のポルトガル支配下で建設され、18世紀フランス人によって町並みが作られた。だからスークも整然として広く、ほとんどが碁盤の目のようで非常に歩き易い。
スーク内の店はあらゆるお土産品を売っているが、しつこく声をかけてくる人も少ないし、物乞いがあまり居なくて、ゆったり店を見ながら歩き回れる。ここでは寄木細工の木工品が有名で、娘からコーヒーテーブルを買って欲しいと頼まれたが、キャンパーに積めるところが無いから断った。それでも一応見て廻ったけど・・・・。
博物館内の建築物が素晴らしいとのことで入ってみたが二階へ上がるまでの階段とアラブタイル、天井の釣りランプなどが素晴らしい。展示物はあまり無くて、30分もかからなかった。博物館から近くの北稜壁の展望台からの眺めは素晴らしく、壁に沿って立派な大砲が海に向かって設置されている。この町が豊かだったことがよく判る。
お昼はメラーと呼ばれる昔のユダヤ人街近くの英国人経営レストランの前庭で食事をしていたら、地元民がたくさんのプラカードを持ちシュプレヒコールをしながら集まってきた。何のデモなのか判らなかったが、店のイギリス人の説明では、ユダヤ人街には今ではユダヤ人は住んでいず、貧しいアラブ人が占拠してしまい、電気代を払わないから電気も切られてしまい、生活に困っているらしい。そこに数ヶ月前このメラーの一部が崩れてしまい安全が脅かされているという。そのためのデモだったらしいが、100人もいず穏やかなものだった。それにしてもこの国でもこうしてデモが出来るだけの民主化が進んでいるのが驚きだ。
一応メラーも見ておこうと路地を入ったが明かりのない暗い通りと、ほとんど崩れ落ちた建物や、とおりのあちこちに立っている地元の人たちの様子は活気が無く、急いでこの地域を後にした。観光客が楽しみに入ってゆけるところではない。