モハメディアには3箇所のキャンプサイトがあり、今回のサイトは手入れされたユーカリの林に囲まれた大きなサイトだった。サイトの前はきれいな海岸で夏にはウインド・サーフィングの若者で賑わうに違いない。
海岸を歩いてみるときれいなホリディ用のアパートメントが並んでいるが、そのわき道に山積みのごみは見るのも気持ちが悪い。この国がこれだけ貧富の差が激しいのなら、お金持ちが集まってせめてビンやプラスチック・ビニールの回収事業を起こしたらどうだろう。
浜辺に散らばるプラスチックボトルなど何キロでいくらかの買い上げ制度にでもすれば、ごみも減るだろうし、雇用促進されるに違いない。英国ではアルミ缶に何キロでいくらかの支払いが行われていて、我が家の近くの道路上に落ちているアルミ缶を拾ってゆくおじいさんが一人居る。それだけでもごみが減るのだ。
最近インターネットで青空文庫の中から夏目漱石の三四郎を読んだ。その中に列車内で食べた弁当の空き箱を窓から捨てるのが2度も書かれていて、明治時代の日本の公共道徳を知ることが出来た。日本が戸外にごみを捨てなくなったのはやっぱり戦後の教育のおかげだろう。
1990年代に5回もトルコへ旅行に行ってバスでいろいろな地域を走り回った。長距離バスには車掌がいて、飲み物を持ってきたり座席のゴミ箱からごみを集めたりする。
そしてバスが郊外を走っているときに、たくさん集まったごみをドアを開けて蹴りだしていた。彼らには自分の国を汚している感覚がないのだとつくづく嘆いたものだ。漱石の時代のごみは弁当も板だったろうから、捨てても自然に帰る。しかし最近のビニール袋とプラスチック・ボトルはどうしたって溶けてなくならない。
カサブランカやモハメディアは中心地域はヨーロッパと変わらないくらいモダンで、メイン道路も整備されている。
ところがこんな大都市の郊外こそ落ちこぼれの貧民窟が目にあまる。観光バスで表通りしか行かない観光客にはこのような場所は決して目に付かないだろう。
首都のラバト(Rabat)を迂回し、モハメディアから約200km北海岸のムーレイ・ブッセラムまで高速道路をとばした。ラバト以北ではビニールハウスが一面で、まるでビニールの海原みたい。驚いたことにそれのほとんどがバナナの林で、この地域は年中バナナが育成するには寒いと見える。
ムーレイ・ブッセラムはフラミンゴが巣を作っているとの事で行ってみた。キャンプサイトが湖のほとりで、巣造りしてるのが見られるかと甘い考えで行ったけれど、フラミンゴも馬鹿じゃない。広大な湖だもの、人ごみの側に巣を作るわけがない。観光客相手のボートツアーをサイトのすぐ横にたむろするアラブ人が呼びかけてくる。
ムーレイの町は岡の上、サイトの前から石段を登ってゆくと、ごみの山と貧民窟がまず最初に目に付く。そして岡の上の異様に広大なモスク前の広場。月曜日の昼間、たぶん無職のアラブの若者があちこちにたむろしている。この地域では私たち外国人を見ても声もかけてこない。許容量500のキャンプサイトがすぐ眼下に見え、地元の人たちから見ると私たちはすごい金持ちに見えるのだろうなと気恥ずかしくなった。