皆既日食
2009-07-22 | 社会
22日は日本で日食が観察できる。
国立天文台のホームページによると、「奄美大島北部、トカラ列島、屋久島、種子島南部など」では、
怪奇日食・・・じゃなかった、皆既日食が観察できるという。
日食とは地球と太陽の間に月の軌道が重なり、
地上から見ると太陽が欠けて見えるのものである。
日本列島の多くの場所で太陽の一部が欠けて見える部分日食が観察され、
日本列島南部の奄美や屋久島、種子島では太陽と月が完全に重なる皆既日食になると云う。
また皆既日食になると「空は、程度は日食ごとに違いますが、
夕方・明け方の薄明中のように暗くなり、明るい星ならば見ることができます。」とある。
日本では「1963年7月21日の北海道東部で見られた皆既日食以来、実に46年ぶりです。」とのことである。
それだけ皆既日食は珍しいことなのだ。
今年はガリレオが天文観察をしてから400年目になると云う。
地動説が確立し、日中も月が空にあることが分かっている現代だからこそ、
皆既日食になってもその理屈が理解できる。
しかしまだ天動説が信じられていた頃の人々は、皆既日食をどのように感じたのだろうか。
まさしく“怪奇”日食と思ったのではないだろうか。
日本の神話では天照大神が最高神とされる。
天地創造の神、伊弉諾尊からその支配権を譲られ、
天界である高天原を支配するのだ。
しかし日本の神話は世界のほかの神話、宗教と比べて変わったところがある。
それは最高神が女性であるということだ。
男女平等という発想が皆無だった時代にこれは画期的なことだ。
これは日本の神話の源典となった「古事記」が推古天皇紀で終わることに由来するのかもしれない。
いずれにしろ、天照大神が高天原を支配し、
地上界である葦原の中つ国に素戔嗚尊が降りるきっかけになったのが天岩屋のエピソードである。
素戔嗚尊が天界で暴れたために恐れをなして天照大神が天岩屋に隠れてしまう。
太陽神が隠れてしまったために天界も地上界も闇に包まれてしまったのだ。
信仰の対象としてではなく、一般論として日本の神話が全て事実とは云えないと思う。
天岩屋のエピソードも創作であろう。
しかし以前にも書いたが、人間は全く存在しない嘘をつくということは不可能である。
嘘をつくためにはその元となる真実が必要である。
創作で書かれた日本の神話も、その元となる部分には真実がある筈だ。
地動説を知らない古代の人々がこの話を創作するために元となった真実、
これがたぶん皆既日食ではなかったかと思う。
地動説を知らない当時の人々にとってはそれこそ天変地異かと思うほどの驚きだったに違いない。
その当時の人々にとっては神話とし残されるべき真実だったのだ。
今はコンピュータが発達し、難しい演算が可能になったことは今更いうまでもない。
太陽や地球、月の軌道から将来の皆既日食の日時や場所を計算できる。
次回の皆既日食は「2035年9月2日に北陸・北関東などで見られる」という。
これから将来の皆既日食の時期と場所が計算可能なら、
逆にこれまで皆既日食が見られた年月日と場所も計算が可能ではないだろうか。
「古事記」が成立したのは712年といわれている。
それ以前に起こった皆既日食の場所を計算すれば、
「古事記」のこのエピソードが何処で経験された真実を元に創作されたかが分かる。
日本の歴史がどの辺りまで記録として、記憶として残っていて、
それが「古事記」に取り入れられたかが分かるのかもしれない。
天照大神は日本の最高神であり、最高神としては珍しく女神である。
「古事記」の最後に登場する推古天皇は日本で初めての女性の天皇である。
推古天皇の即位には実子の竹田皇子の擁立のための中継ぎ的役割が大きいといわれているが、
いずれにしろ女性が天皇になったのは画期的なことであった。
神話上の人物である天照大神は別として、
日本の歴史の中で推古天皇以前に活躍した女性の歴史上人物が一人いる。
それは「邪馬台国」の女王「卑弥呼」である。
これは中国の「魏志倭人伝」の記述によって現在にも知られているところである。
ところで「邪馬台国」の「邪」は訓読みでは「よこしま」となり、
「卑弥呼」「卑」は訓読みでは「いやしい」であり、いずれもいい意味の言葉ではない。
何故、このような文字が使われたのかというと、
根本に中華思想があるからではないかと思われる。
つまり中国こそがその名の通り、世界の中で最も華やかな場所、栄えている場所であり、
その他の周辺国家には服従か、破滅かを迫っていたのである。
当時の邪馬台国は中国に貢ぎ物をして、国家として認めて貰い、「親魏倭王」の金印を貰った。
中国語はアルファベットや平仮名、片仮名のような表音文字を持たない。
それを漢字で代用するのである。
そのため、音のみで使用して意味の関係ない漢字が使われることがある。
「邪馬台国」や「卑弥呼」もその類なのだろう。
中国、当時の「魏」でも属国の音を表すのに、
中華思想によって意図的にあまりいい意味でない文字を選んだのだ。
「魏志倭人伝」の伝えるところによると、
「邪馬台国」は弥生時代にあたる1世紀から3世紀辺りに存在した国家で、
もともと男性の王が国を治めていたが騒乱が続き、
「卑弥呼」が王となって国の混乱が収まったという。
卑弥呼は占いによって国家を治め、弟が実質的な政務を執り行ったという。
卑弥呼の死後、男性の王が後継になったが再び国が混乱し、
壱与という女性が王になり、再び国が落ち着いたという。
勿論、研究者の所説はあるし、推論にしかならないが、
「邪馬台国」をローマ字に置き換えると“yamatai”となり、「大和」の“yamato”と、
最後の母音が違うだけということが分かる。
邪馬台国があった1世紀から3世紀と、大和朝廷が成立したといわれる6世紀との間には、
300年くらいの時間的な隔たりがある。
文字がなかったこの時代は人から人に言葉で伝えるしか歴史の伝承方法がなかったため、
その間に母音の一部が変化してもおかしくない。
また「卑弥呼」は占いによって国を治めていたと伝えられているが、
これは神の言葉を伝えるとされる古来の「巫女」に近い。
そう考えると「ひみこ」は「日巫女」の意と考えるのが妥当ではないだろうか。
この説を採ると「天照大神」と「卑弥呼」の類似点を多く見ることが出来る。
卑弥呼の死後、男の王が立ったが国が乱れたため、壱与という女の王が立って再び国が落ち着いたという。
これが「古事記」の天岩戸の源典になったと考えると、
皆既日食の時期が卑弥呼が生存していた時代と重なるかどうかを調べ、
その時期に何処で皆既日食が確認できたかを調べれば、
邪馬台国のあった場所も特定できるのではないだろうか。
邪馬台国の場所については大きく九州説と近畿説があるが、この論争にも決着がつくかもしれない。
「魏志倭人伝」では、邪馬台国に至るまでの道程を詳細に記述しており、
それの解釈によって九州説と近畿説が出てきているが、
これが何処まで正確に書かれているかは分からない。
「倭国に行くのはすごぉ~く大変でした」ということを強調するための記述と見ることも出来る。
日本は縦割りが大好きで、行政だけでなく、学問の世界も縦割りが横行している。
天文学は天文学、歴史学は歴史学、文学は文学といったジャンルに固執して、他の学問をなかなか取り入れようとしない。
しかしそれでは手詰まりになってしまうし、本当の意味での学問の価値も見いだせない。
新しいアプローチで研究すると、今まで不明だったことが案外簡単に分かるかもしれないと思うのだ。
国立天文台のホームページによると、「奄美大島北部、トカラ列島、屋久島、種子島南部など」では、
怪奇日食・・・じゃなかった、皆既日食が観察できるという。
日食とは地球と太陽の間に月の軌道が重なり、
地上から見ると太陽が欠けて見えるのものである。
日本列島の多くの場所で太陽の一部が欠けて見える部分日食が観察され、
日本列島南部の奄美や屋久島、種子島では太陽と月が完全に重なる皆既日食になると云う。
また皆既日食になると「空は、程度は日食ごとに違いますが、
夕方・明け方の薄明中のように暗くなり、明るい星ならば見ることができます。」とある。
日本では「1963年7月21日の北海道東部で見られた皆既日食以来、実に46年ぶりです。」とのことである。
それだけ皆既日食は珍しいことなのだ。
今年はガリレオが天文観察をしてから400年目になると云う。
地動説が確立し、日中も月が空にあることが分かっている現代だからこそ、
皆既日食になってもその理屈が理解できる。
しかしまだ天動説が信じられていた頃の人々は、皆既日食をどのように感じたのだろうか。
まさしく“怪奇”日食と思ったのではないだろうか。
日本の神話では天照大神が最高神とされる。
天地創造の神、伊弉諾尊からその支配権を譲られ、
天界である高天原を支配するのだ。
しかし日本の神話は世界のほかの神話、宗教と比べて変わったところがある。
それは最高神が女性であるということだ。
男女平等という発想が皆無だった時代にこれは画期的なことだ。
これは日本の神話の源典となった「古事記」が推古天皇紀で終わることに由来するのかもしれない。
いずれにしろ、天照大神が高天原を支配し、
地上界である葦原の中つ国に素戔嗚尊が降りるきっかけになったのが天岩屋のエピソードである。
素戔嗚尊が天界で暴れたために恐れをなして天照大神が天岩屋に隠れてしまう。
太陽神が隠れてしまったために天界も地上界も闇に包まれてしまったのだ。
信仰の対象としてではなく、一般論として日本の神話が全て事実とは云えないと思う。
天岩屋のエピソードも創作であろう。
しかし以前にも書いたが、人間は全く存在しない嘘をつくということは不可能である。
嘘をつくためにはその元となる真実が必要である。
創作で書かれた日本の神話も、その元となる部分には真実がある筈だ。
地動説を知らない古代の人々がこの話を創作するために元となった真実、
これがたぶん皆既日食ではなかったかと思う。
地動説を知らない当時の人々にとってはそれこそ天変地異かと思うほどの驚きだったに違いない。
その当時の人々にとっては神話とし残されるべき真実だったのだ。
今はコンピュータが発達し、難しい演算が可能になったことは今更いうまでもない。
太陽や地球、月の軌道から将来の皆既日食の日時や場所を計算できる。
次回の皆既日食は「2035年9月2日に北陸・北関東などで見られる」という。
これから将来の皆既日食の時期と場所が計算可能なら、
逆にこれまで皆既日食が見られた年月日と場所も計算が可能ではないだろうか。
「古事記」が成立したのは712年といわれている。
それ以前に起こった皆既日食の場所を計算すれば、
「古事記」のこのエピソードが何処で経験された真実を元に創作されたかが分かる。
日本の歴史がどの辺りまで記録として、記憶として残っていて、
それが「古事記」に取り入れられたかが分かるのかもしれない。
天照大神は日本の最高神であり、最高神としては珍しく女神である。
「古事記」の最後に登場する推古天皇は日本で初めての女性の天皇である。
推古天皇の即位には実子の竹田皇子の擁立のための中継ぎ的役割が大きいといわれているが、
いずれにしろ女性が天皇になったのは画期的なことであった。
神話上の人物である天照大神は別として、
日本の歴史の中で推古天皇以前に活躍した女性の歴史上人物が一人いる。
それは「邪馬台国」の女王「卑弥呼」である。
これは中国の「魏志倭人伝」の記述によって現在にも知られているところである。
ところで「邪馬台国」の「邪」は訓読みでは「よこしま」となり、
「卑弥呼」「卑」は訓読みでは「いやしい」であり、いずれもいい意味の言葉ではない。
何故、このような文字が使われたのかというと、
根本に中華思想があるからではないかと思われる。
つまり中国こそがその名の通り、世界の中で最も華やかな場所、栄えている場所であり、
その他の周辺国家には服従か、破滅かを迫っていたのである。
当時の邪馬台国は中国に貢ぎ物をして、国家として認めて貰い、「親魏倭王」の金印を貰った。
中国語はアルファベットや平仮名、片仮名のような表音文字を持たない。
それを漢字で代用するのである。
そのため、音のみで使用して意味の関係ない漢字が使われることがある。
「邪馬台国」や「卑弥呼」もその類なのだろう。
中国、当時の「魏」でも属国の音を表すのに、
中華思想によって意図的にあまりいい意味でない文字を選んだのだ。
「魏志倭人伝」の伝えるところによると、
「邪馬台国」は弥生時代にあたる1世紀から3世紀辺りに存在した国家で、
もともと男性の王が国を治めていたが騒乱が続き、
「卑弥呼」が王となって国の混乱が収まったという。
卑弥呼は占いによって国家を治め、弟が実質的な政務を執り行ったという。
卑弥呼の死後、男性の王が後継になったが再び国が混乱し、
壱与という女性が王になり、再び国が落ち着いたという。
勿論、研究者の所説はあるし、推論にしかならないが、
「邪馬台国」をローマ字に置き換えると“yamatai”となり、「大和」の“yamato”と、
最後の母音が違うだけということが分かる。
邪馬台国があった1世紀から3世紀と、大和朝廷が成立したといわれる6世紀との間には、
300年くらいの時間的な隔たりがある。
文字がなかったこの時代は人から人に言葉で伝えるしか歴史の伝承方法がなかったため、
その間に母音の一部が変化してもおかしくない。
また「卑弥呼」は占いによって国を治めていたと伝えられているが、
これは神の言葉を伝えるとされる古来の「巫女」に近い。
そう考えると「ひみこ」は「日巫女」の意と考えるのが妥当ではないだろうか。
この説を採ると「天照大神」と「卑弥呼」の類似点を多く見ることが出来る。
卑弥呼の死後、男の王が立ったが国が乱れたため、壱与という女の王が立って再び国が落ち着いたという。
これが「古事記」の天岩戸の源典になったと考えると、
皆既日食の時期が卑弥呼が生存していた時代と重なるかどうかを調べ、
その時期に何処で皆既日食が確認できたかを調べれば、
邪馬台国のあった場所も特定できるのではないだろうか。
邪馬台国の場所については大きく九州説と近畿説があるが、この論争にも決着がつくかもしれない。
「魏志倭人伝」では、邪馬台国に至るまでの道程を詳細に記述しており、
それの解釈によって九州説と近畿説が出てきているが、
これが何処まで正確に書かれているかは分からない。
「倭国に行くのはすごぉ~く大変でした」ということを強調するための記述と見ることも出来る。
日本は縦割りが大好きで、行政だけでなく、学問の世界も縦割りが横行している。
天文学は天文学、歴史学は歴史学、文学は文学といったジャンルに固執して、他の学問をなかなか取り入れようとしない。
しかしそれでは手詰まりになってしまうし、本当の意味での学問の価値も見いだせない。
新しいアプローチで研究すると、今まで不明だったことが案外簡単に分かるかもしれないと思うのだ。