10.スイッチバックの花輪線といわて銀河鉄道への乗り入れ
秋田駅まで行って駅員に「大館まで行きたいのですが、
どれに乗れば良いですか?」と尋ねたところ、
「7番線の弘前行きに乗って下さい。」と教えてもらった。
改札に入り、既に7番線に停車していた701系に乗り込む。
どれに乗れば良いですか?」と尋ねたところ、
「7番線の弘前行きに乗って下さい。」と教えてもらった。
改札に入り、既に7番線に停車していた701系に乗り込む。

701系2両編成を2本繋いだ4両編成だった。
これで1時間43分かけて大館まで行く。
奥羽本線は陸奥と羽後までを結ぶ鉄道路線で、
追分で男鹿線と接続、東能代で五能線と接続、鷹ノ巣で秋田内陸縦貫鉄道と接続する。
大館ではホーム隣に停車していたキハ110系2両編成に乗り換える。
花輪線はかつては急行も走っていた地方交通線で、区間は106.9mである。
2002年2月に大館を訪れた時に急行「よねしろ」を取材している。
これで1時間43分かけて大館まで行く。
奥羽本線は陸奥と羽後までを結ぶ鉄道路線で、
追分で男鹿線と接続、東能代で五能線と接続、鷹ノ巣で秋田内陸縦貫鉄道と接続する。
大館ではホーム隣に停車していたキハ110系2両編成に乗り換える。
花輪線はかつては急行も走っていた地方交通線で、区間は106.9mである。
2002年2月に大館を訪れた時に急行「よねしろ」を取材している。

※撮影時刻 2002/02/09 18:16:32
この時は午後6時を過ぎていたため、夜撮になってしまった。
急行「よねしろ」は大館から鹿角花輪までを結ぶ。
気動車はキハ58系が充当されていた。
勿論今は既にキハ58系は引退し、キハ110系になっている。
乗り換え時間12分で改札を出ずに花輪線に乗り込んだ。
土崎を通った時には車窓から駅と近接する秋田総合車両センターが見え、
そこには正確な形式名は分からなかったが、
総武緩行線の中間車両が留置されていた。
たぶん山手線からE231系500番台転籍ではじき出された車両なのだろう。
09:23に大館を出たキハ110系2両編成は10:00ちょうどに十和田南に到着する。
ここに来るまで知らなかったが、花輪線は十和田南でスイッチバックする。
折り返しには運転手が運転台を乗り換える時間として5分が設定されている。
急行「よねしろ」は大館から鹿角花輪までを結ぶ。
気動車はキハ58系が充当されていた。
勿論今は既にキハ58系は引退し、キハ110系になっている。
乗り換え時間12分で改札を出ずに花輪線に乗り込んだ。
土崎を通った時には車窓から駅と近接する秋田総合車両センターが見え、
そこには正確な形式名は分からなかったが、
総武緩行線の中間車両が留置されていた。
たぶん山手線からE231系500番台転籍ではじき出された車両なのだろう。
09:23に大館を出たキハ110系2両編成は10:00ちょうどに十和田南に到着する。
ここに来るまで知らなかったが、花輪線は十和田南でスイッチバックする。
折り返しには運転手が運転台を乗り換える時間として5分が設定されている。

このあと10:05にここを出て2つめには鹿角花輪に到着する。
急行の終着駅だったが、特別に大きな駅ではなかった。
このあと東北を横断する形で2時間23分かけて好摩に到着する。
ここで下車して西口と東口の駅取材をしてから待合室で列車の到着を待つ。
待合室には石川啄木が「一握の砂」に発表した歌の歌碑が設置されている。
急行の終着駅だったが、特別に大きな駅ではなかった。
このあと東北を横断する形で2時間23分かけて好摩に到着する。
ここで下車して西口と東口の駅取材をしてから待合室で列車の到着を待つ。
待合室には石川啄木が「一握の砂」に発表した歌の歌碑が設置されている。

霧ふかき好摩の原の
停車場の
朝の蟲こそ
すゞろなりけれ
停車場の
朝の蟲こそ
すゞろなりけれ
石川啄木は岩手県盛岡市の出身で、たぶん好摩駅も利用したことがあるのだろう。
好摩での上り方面の列車は12:35までなく、49分もある。
時間が余ってしまうのでいったん12:20で隣の岩手川口まで行くことにした。
岩手川口での乗り換え時間は5分で、この時間を利用して駅取材する。
12:30上りのいわて銀河鉄道の701系に乗り、
29分かけて盛岡に到着する。
好摩での上り方面の列車は12:35までなく、49分もある。
時間が余ってしまうのでいったん12:20で隣の岩手川口まで行くことにした。
岩手川口での乗り換え時間は5分で、この時間を利用して駅取材する。
12:30上りのいわて銀河鉄道の701系に乗り、
29分かけて盛岡に到着する。