信長狂詩曲(ラプソディー)・21
『山の上の雲』
信長という姓は山陰地方に多く見られ、広島県尾道市から岡山市の間に集中してみられる。信永氏、延永氏からの転化だといわれ、けして冗談や気まぐれで付いた苗字ではない。これは、そんな苗字で生まれた信長美乃の物語である。
県民ホールの竹内は、照明家としては凡庸であったが、舞台管理者としては第一級だった。
自分自身は、舞台で事故を起こしたことは無かったが、舞台で起こった事故については、世界中の資料を持っていた。そこから、いかにすれば安全で確実な照明や舞台管理ができるか、日夜考え実行に移していた。
彼が昔働いていた大阪では、毎年大小さまざまな舞台機構上の事故がおこっていた。ある歌劇団では、袖に控えていた踊り子のベルトが綱場の金具にひっかり、吊り道具の転換中に巻き込まれ、胴体が両断されるという最悪の事故がおこっていた。彼の専門である照明でも、ずぼらな会館のスタッフがロクな保守点検もせずに使い、つもった埃が機材の熱で発火、本番中にスプリンクラーが起動して騒ぎになった。もっとも芝居のタイトルが『雨に歌えば』というものだったので、舞台監督の機転で、観客には演出上の効果と思われ事なきをえたが、内実は消防署が来るような事故ではあった。
竹内は、舞台袖や奈落、ステージ上のキャッツウォークに暗視カメラを付けて、絶えず異変がないか見守っていた。
今日は、県下の高校ダンス部の全県大会がある。清州高校が、なんと米軍のオスプレイでやってくるという珍事があったが、理由を聞くと、バスがバイパスで、何者かが道路に仕掛けた鉄条網に引っかかったというので、特に気を付けていた。
そして、清州高の出番の前、仕込みの最中にモニターを見ると、キャッツウォークに人影が見えた。
スタッフと同じく黒の上下にガチ袋。他の者が見れば、会館のスタッフだと思っただろうが、竹内は一瞬でおかしいと思った。後輩に上手側、自分は下手側から上り、その怪しい人影を視認。
「なにをしてるんだ?」と、声をかけた。
舞台上のキャッツウォークが騒がしいので、立ち位置の確認をしていた美乃たちは、思わず見上げた。すると、第二ボーダーの後ろからスタッフのナリをした男が落ちてきて、舞台上で宙づりになったので、騒然となった。
「不審者だ、ガードマンを呼んでくれ! それまでは宙づりのままにしておく!」竹内が叫んだ。
やがてガードマンがやってきて男は、ようやく宙づりから解放された。
「あ!」と声が出たが、あとの言葉は飲み込んだ。本番前に皆にプレッシャーはかけたくない美乃であった。
読者にはつまらないかもしれないが、県大会を制覇したのは事前の評判通り清州高校だった。
ほんの半年前には県下でも有数の困難校であった清州高校が初めて良いことで有名になった。
キャッツウォークの男は、美濃高校の斎藤義龍であった。かつて足利ルリに絡んでいたところを、美乃に邪魔され、以来義龍は美乃を、そして清州高を恨むようになった。
商店街の硫酸男も、バイパスに鉄条網を仕掛けたのも、義龍と、義龍の息のかかった者たちの仕業だった。
家裁送致になった義龍たちは、すぐに悪質すぎるということで、刑事事件として立件されることになった。
その、あくる年、異変が起こった。
清州高受験希望者の数が三倍になり、学校は急きょ募集定員を五割増しにしたが、競争率は二倍を超え、受験者の評定平均は2・0も上がった。入学者の多数がダンス部への入部を希望した。もう、部活というレベルではなくなってしまった。
「いっそ芸能プロを作ろう」
理事長のアイデアで、美乃たちは、部活でありながらプロのダンスユニットとしてデビューしてしまった。夢羅と夢理も復学し、マネージャーとして活躍しはじめた。
とうとう清州高校は県下を制覇してしまった。
「おめでとう。信長美乃くん」
「ありがとうございます」
理事長室で、美乃は理事長から礼を言われた。しかし、美乃の表情は冴えない。
「なにか、くったく有り気だね」
「分かったんです。清州高がよくなったあおりを受けて、いくつかの学校が、定員割れしたり、学校が荒れ始めてきました。県全体としては何もかわっていません」
「ようやく、気づいたようだね。こないだ、美濃高校の理事長が嘆いていたよ。定員割れした上に、評定が2・0下がったって」
「入れ替わっただけなんですね。清州高と美濃高が」
「そうだが、清州高は、かつての美濃高のレベルをはるかに超えてしまった。県下で、こんなに面白い高校はないよ。これは信長さん。君がもたらした成果だ」
「そうでしょうか……?」
「君には、芸術的才能と、人や組織をまとめる才能がある。もう、私のような老人が及びもつかないような。これからは、どうやったら県全体の高校が明るく楽しくなるか考えてみたまえ。君ならできるかもしれない」
とんでもないという気持ちと、面白いという気持ちがしてきた。
清州川の向こうの山に、白くたくましい雲が湧き始めていた。信長美乃はジャンプしたら、掴めそうな気がした……。
信長狂詩曲(ラプソディー) 完
『山の上の雲』
信長という姓は山陰地方に多く見られ、広島県尾道市から岡山市の間に集中してみられる。信永氏、延永氏からの転化だといわれ、けして冗談や気まぐれで付いた苗字ではない。これは、そんな苗字で生まれた信長美乃の物語である。
県民ホールの竹内は、照明家としては凡庸であったが、舞台管理者としては第一級だった。
自分自身は、舞台で事故を起こしたことは無かったが、舞台で起こった事故については、世界中の資料を持っていた。そこから、いかにすれば安全で確実な照明や舞台管理ができるか、日夜考え実行に移していた。
彼が昔働いていた大阪では、毎年大小さまざまな舞台機構上の事故がおこっていた。ある歌劇団では、袖に控えていた踊り子のベルトが綱場の金具にひっかり、吊り道具の転換中に巻き込まれ、胴体が両断されるという最悪の事故がおこっていた。彼の専門である照明でも、ずぼらな会館のスタッフがロクな保守点検もせずに使い、つもった埃が機材の熱で発火、本番中にスプリンクラーが起動して騒ぎになった。もっとも芝居のタイトルが『雨に歌えば』というものだったので、舞台監督の機転で、観客には演出上の効果と思われ事なきをえたが、内実は消防署が来るような事故ではあった。
竹内は、舞台袖や奈落、ステージ上のキャッツウォークに暗視カメラを付けて、絶えず異変がないか見守っていた。
今日は、県下の高校ダンス部の全県大会がある。清州高校が、なんと米軍のオスプレイでやってくるという珍事があったが、理由を聞くと、バスがバイパスで、何者かが道路に仕掛けた鉄条網に引っかかったというので、特に気を付けていた。
そして、清州高の出番の前、仕込みの最中にモニターを見ると、キャッツウォークに人影が見えた。
スタッフと同じく黒の上下にガチ袋。他の者が見れば、会館のスタッフだと思っただろうが、竹内は一瞬でおかしいと思った。後輩に上手側、自分は下手側から上り、その怪しい人影を視認。
「なにをしてるんだ?」と、声をかけた。
舞台上のキャッツウォークが騒がしいので、立ち位置の確認をしていた美乃たちは、思わず見上げた。すると、第二ボーダーの後ろからスタッフのナリをした男が落ちてきて、舞台上で宙づりになったので、騒然となった。
「不審者だ、ガードマンを呼んでくれ! それまでは宙づりのままにしておく!」竹内が叫んだ。
やがてガードマンがやってきて男は、ようやく宙づりから解放された。
「あ!」と声が出たが、あとの言葉は飲み込んだ。本番前に皆にプレッシャーはかけたくない美乃であった。
読者にはつまらないかもしれないが、県大会を制覇したのは事前の評判通り清州高校だった。
ほんの半年前には県下でも有数の困難校であった清州高校が初めて良いことで有名になった。
キャッツウォークの男は、美濃高校の斎藤義龍であった。かつて足利ルリに絡んでいたところを、美乃に邪魔され、以来義龍は美乃を、そして清州高を恨むようになった。
商店街の硫酸男も、バイパスに鉄条網を仕掛けたのも、義龍と、義龍の息のかかった者たちの仕業だった。
家裁送致になった義龍たちは、すぐに悪質すぎるということで、刑事事件として立件されることになった。
その、あくる年、異変が起こった。
清州高受験希望者の数が三倍になり、学校は急きょ募集定員を五割増しにしたが、競争率は二倍を超え、受験者の評定平均は2・0も上がった。入学者の多数がダンス部への入部を希望した。もう、部活というレベルではなくなってしまった。
「いっそ芸能プロを作ろう」
理事長のアイデアで、美乃たちは、部活でありながらプロのダンスユニットとしてデビューしてしまった。夢羅と夢理も復学し、マネージャーとして活躍しはじめた。
とうとう清州高校は県下を制覇してしまった。
「おめでとう。信長美乃くん」
「ありがとうございます」
理事長室で、美乃は理事長から礼を言われた。しかし、美乃の表情は冴えない。
「なにか、くったく有り気だね」
「分かったんです。清州高がよくなったあおりを受けて、いくつかの学校が、定員割れしたり、学校が荒れ始めてきました。県全体としては何もかわっていません」
「ようやく、気づいたようだね。こないだ、美濃高校の理事長が嘆いていたよ。定員割れした上に、評定が2・0下がったって」
「入れ替わっただけなんですね。清州高と美濃高が」
「そうだが、清州高は、かつての美濃高のレベルをはるかに超えてしまった。県下で、こんなに面白い高校はないよ。これは信長さん。君がもたらした成果だ」
「そうでしょうか……?」
「君には、芸術的才能と、人や組織をまとめる才能がある。もう、私のような老人が及びもつかないような。これからは、どうやったら県全体の高校が明るく楽しくなるか考えてみたまえ。君ならできるかもしれない」
とんでもないという気持ちと、面白いという気持ちがしてきた。
清州川の向こうの山に、白くたくましい雲が湧き始めていた。信長美乃はジャンプしたら、掴めそうな気がした……。
信長狂詩曲(ラプソディー) 完