信長狂詩曲(ラプソディー)・8
『信長美乃の中の信長』
信長という姓は山陰地方に多く見られ、広島県尾道市から岡山市の間に集中してみられる。信永氏、延永氏からの転化だといわれ、けして冗談や気まぐれで付いた苗字ではない。これは、そんな苗字で生まれた信長美乃の物語である。
みるみる夢羅の表情が曇ってきた……。
――こいつは、親の離婚だな――
そう思うと、美乃の夢羅の襟首を掴む力が緩んだ。
「ごめん。悪いこと聞いちまったね」
「いえ……分かってもらえたら、いいっす」
夢羅の苗字は荒木。姉の夢理は筒井。いつそうなったのかは分からないが、夢理が臆面もなく言い。夢羅が暗い顔をしたところを見ると、自意識が芽生える幼年期以降のことだろう。あの姉妹のお粗末さは自己責任だろうが、ああやってスケバンを気取らなければならないだけの理由はあるんだろう。美乃は、そう解釈した。
A組の変化や、今朝の校舎裏での一戦で、美乃の噂は全校的に広まり、崩れかかっていた一年生は落ち着きを取り戻しつつあった。いつも五分遅れで始まり、五分早く終わる授業が時間通りに行われた。まあ、これでいいけど、これでセンコウたちが調子に乗っては面白くないと思った。
そんな昼休み、担任の今川が直に美乃を呼びに来た。
「織田、校長先生がお呼びだ。昨日からの織田はちょっと……」
「ちょっと、なんですか?」
「いや、なんでもない……」
校長の呼び出しは、今朝美濃高前で、義龍とかいう美濃高の男子から足利ルミを助けてやったことのお礼だった。
にしては……お礼に情がこもっていなかった。
「今朝E組のルミを助けてくれたそうだね。理事長から、君に礼を言っておいてほしいということだった。授業中だったんで、取り次げなかった。以上」
それだけ言うと、校長はパソコンのモニターに注目した。いかにも重要な資料を見ているのかと思ったが、後ろの鏡には、流行りのオンラインゲームが映っていた。どうやら躓いているようで、それどころではない様子だ。
「どうも」
この遣り取りだけで終わってしまった。同じ足利とはいえ、理事長と校長は仲が悪いという噂だった。詳しいことは、校長が、いたってレベルの低いダンジョンで躓いていること以外、何も分からない。ただ、こいつらの関係には巻き込まれないでおこうと思う美乃だった。
校長の呼び出しのために、体育館のフロアーに行くのが遅れた。行ったときには、まっとうになりかけている一年生たちが、てんでバラバラだが、トスバレーや鬼ごっこに興じていた。
――邪魔しちゃ悪いな。仕方ない、本番ぶっつけでやるか――
美乃は、漠然と放課後や昼休みなどの時間は、生徒達が自由に過ごせる学校であればと思っていた。例えて言うなら楽市楽座。そこから、自然な活気が生まれるだろうと踏んだ。
「じゃ、やってみて」
部長の高山宇子が、期待に満ちた声で言った。『前しか向かねえ』の短いイントロが流れた。今日の美乃のフリは、昨日の倍ほどの迫力があった。踊り終わると、一瞬シーンとなり、高山宇子が促すように笑顔になると、ダンス部の全員が拍手した。
「これで大会の課題曲は完成ですね!」
部員の一人が言った。
「パンフレットには、振り付け信長美乃って書かせてもらうわ」
「いえ、振り付けはダンス部だけでいいです。チャンスをいただかなきゃ、これ出来なかったわけだし」
「いいの?」
昨日から今日にかけての美乃の武勇伝を知っているダンス部員達は、その謙虚さに拍子抜けがした。と、同時に美乃への好感度があがった。
「その代わり、自由曲やらせてもらえませんか?」
「ええ!?」という声がいっせいにした。
ダンス部の大会で自由曲というのは、その学校の力が試される華であった。課題曲が技術重視なのに比べ、自由曲は、技術プラス創造力が試される。まだ正式な部員でもない、美乃がやらせてもらえるようなシロモノではない。
沈黙が時を支配した。美乃一人にダンス部全員の目が注がれた。そして高山が口を開いた。
「分かった。信長さん、あなたに任せるわ」
「本当ですか!?」
同じ言葉が、美乃と部員達からした。
「昨日からの信長さんのハチャメチャは、あたしも知ってる。部員のみんなもね。清洲高の女番長まで凹ませた。信長さんが、その威を借りて迫ってくるようなら、断るつもりだった。でも、目を見ていて分かった。ウンと言われなかったら、あなたは課題曲の振り付けだけ残して、ダンス部を去っていくつもりだったでしょ?」
「はい、こんなの力押しでやるもんじゃありませんから」
「不思議な人ね、信長さんて。で、自由曲は、何をやるつもり?」
「『仰げば尊し』です」
帰り道、自転車を漕ぎながら、美乃は笑いがこぼれてしかたがなかった。自分の駆け引きがうまくいったからだけではない。「『仰げば尊し』です」と言ったときの高山たちの驚いた顔と、そのあとみんなで笑いあえたことが、とても嬉しかった。コワモテは覚悟していたが、やはり人間としての本当の姿を理解してもらえたことが嬉しかった。
その夜、ベッドに入ると一つになったはずの自分の片割れが、こう言った。
――苗字だけの信長。おまえは甘い。人間というのは無意識にでも嘘をつく。いずれ気が付く、心しておけ――
美乃は驚いたが、恐れはなかった「あなたは、それで失敗したんだから」そう呟くと、その、もう一人の信長は笑いながら、美乃の心の奥底に沈んでいった……。
『信長美乃の中の信長』
信長という姓は山陰地方に多く見られ、広島県尾道市から岡山市の間に集中してみられる。信永氏、延永氏からの転化だといわれ、けして冗談や気まぐれで付いた苗字ではない。これは、そんな苗字で生まれた信長美乃の物語である。
みるみる夢羅の表情が曇ってきた……。
――こいつは、親の離婚だな――
そう思うと、美乃の夢羅の襟首を掴む力が緩んだ。
「ごめん。悪いこと聞いちまったね」
「いえ……分かってもらえたら、いいっす」
夢羅の苗字は荒木。姉の夢理は筒井。いつそうなったのかは分からないが、夢理が臆面もなく言い。夢羅が暗い顔をしたところを見ると、自意識が芽生える幼年期以降のことだろう。あの姉妹のお粗末さは自己責任だろうが、ああやってスケバンを気取らなければならないだけの理由はあるんだろう。美乃は、そう解釈した。
A組の変化や、今朝の校舎裏での一戦で、美乃の噂は全校的に広まり、崩れかかっていた一年生は落ち着きを取り戻しつつあった。いつも五分遅れで始まり、五分早く終わる授業が時間通りに行われた。まあ、これでいいけど、これでセンコウたちが調子に乗っては面白くないと思った。
そんな昼休み、担任の今川が直に美乃を呼びに来た。
「織田、校長先生がお呼びだ。昨日からの織田はちょっと……」
「ちょっと、なんですか?」
「いや、なんでもない……」
校長の呼び出しは、今朝美濃高前で、義龍とかいう美濃高の男子から足利ルミを助けてやったことのお礼だった。
にしては……お礼に情がこもっていなかった。
「今朝E組のルミを助けてくれたそうだね。理事長から、君に礼を言っておいてほしいということだった。授業中だったんで、取り次げなかった。以上」
それだけ言うと、校長はパソコンのモニターに注目した。いかにも重要な資料を見ているのかと思ったが、後ろの鏡には、流行りのオンラインゲームが映っていた。どうやら躓いているようで、それどころではない様子だ。
「どうも」
この遣り取りだけで終わってしまった。同じ足利とはいえ、理事長と校長は仲が悪いという噂だった。詳しいことは、校長が、いたってレベルの低いダンジョンで躓いていること以外、何も分からない。ただ、こいつらの関係には巻き込まれないでおこうと思う美乃だった。
校長の呼び出しのために、体育館のフロアーに行くのが遅れた。行ったときには、まっとうになりかけている一年生たちが、てんでバラバラだが、トスバレーや鬼ごっこに興じていた。
――邪魔しちゃ悪いな。仕方ない、本番ぶっつけでやるか――
美乃は、漠然と放課後や昼休みなどの時間は、生徒達が自由に過ごせる学校であればと思っていた。例えて言うなら楽市楽座。そこから、自然な活気が生まれるだろうと踏んだ。
「じゃ、やってみて」
部長の高山宇子が、期待に満ちた声で言った。『前しか向かねえ』の短いイントロが流れた。今日の美乃のフリは、昨日の倍ほどの迫力があった。踊り終わると、一瞬シーンとなり、高山宇子が促すように笑顔になると、ダンス部の全員が拍手した。
「これで大会の課題曲は完成ですね!」
部員の一人が言った。
「パンフレットには、振り付け信長美乃って書かせてもらうわ」
「いえ、振り付けはダンス部だけでいいです。チャンスをいただかなきゃ、これ出来なかったわけだし」
「いいの?」
昨日から今日にかけての美乃の武勇伝を知っているダンス部員達は、その謙虚さに拍子抜けがした。と、同時に美乃への好感度があがった。
「その代わり、自由曲やらせてもらえませんか?」
「ええ!?」という声がいっせいにした。
ダンス部の大会で自由曲というのは、その学校の力が試される華であった。課題曲が技術重視なのに比べ、自由曲は、技術プラス創造力が試される。まだ正式な部員でもない、美乃がやらせてもらえるようなシロモノではない。
沈黙が時を支配した。美乃一人にダンス部全員の目が注がれた。そして高山が口を開いた。
「分かった。信長さん、あなたに任せるわ」
「本当ですか!?」
同じ言葉が、美乃と部員達からした。
「昨日からの信長さんのハチャメチャは、あたしも知ってる。部員のみんなもね。清洲高の女番長まで凹ませた。信長さんが、その威を借りて迫ってくるようなら、断るつもりだった。でも、目を見ていて分かった。ウンと言われなかったら、あなたは課題曲の振り付けだけ残して、ダンス部を去っていくつもりだったでしょ?」
「はい、こんなの力押しでやるもんじゃありませんから」
「不思議な人ね、信長さんて。で、自由曲は、何をやるつもり?」
「『仰げば尊し』です」
帰り道、自転車を漕ぎながら、美乃は笑いがこぼれてしかたがなかった。自分の駆け引きがうまくいったからだけではない。「『仰げば尊し』です」と言ったときの高山たちの驚いた顔と、そのあとみんなで笑いあえたことが、とても嬉しかった。コワモテは覚悟していたが、やはり人間としての本当の姿を理解してもらえたことが嬉しかった。
その夜、ベッドに入ると一つになったはずの自分の片割れが、こう言った。
――苗字だけの信長。おまえは甘い。人間というのは無意識にでも嘘をつく。いずれ気が付く、心しておけ――
美乃は驚いたが、恐れはなかった「あなたは、それで失敗したんだから」そう呟くと、その、もう一人の信長は笑いながら、美乃の心の奥底に沈んでいった……。