せやさかい・246
不覚にも笑みがこぼれてしまった。
サッチャー女史が来られなくなったのだ。
憶えてるわよね?
ヤマセンブルグでの、わたしの教育係り。
本職は女王のメイド長。実質秘書と言ってもいいんだけど、本人はプライドを持ってメイド長と称している。
一昨年ヤマセンブルグに行った時から、その肩書に『プリンセス教育係り』というのが付け加わった。
わたしは日本との二重国籍なので、正式にプリンセスになってからなんだけどね。まあ、一つには、そういう風に外堀を埋めていって、わたしが日本国籍を選んだりしないようにって布石。
宮廷内でも、サッチャー女史を教育係りにすれば、ひょっとして彼女が日本に行ってしまうんじゃないかという期待もあったみたい。
彼女が傍にいないとお祖母ちゃん(女王)は、なにかと不便なので、実際に付いてきたのは、ご存知のソフィー。
で、まあ、コロナの影響で領事館住まいを余儀なくされてるんだけど、楽しい高校生活を送らせていただいています。
でも、無駄に責任感が強いサッチャー女史は「鉄は熱いうちに打て」とばかりに、この夏から大阪に来て、わたしをイジメる気満々だった。
それが、直近のPCR検査で陽性になってしまった!
本人もお祖母ちゃんもワクチン接種は終わっているので、大事になることはないんだろうけど。二週間の隔離のうえ、日本行は流れてしまった。
「残念なことに、イザベラ(彼女の本名)さんは来られなくなってしまいました」
そう告げた総領事の頬は緩んでいて、わたしに伝染してしまった。そうよ、伝染よ! 私が最初に笑ったわけじゃないからね!
「国内的にもいろいろありますので、とりあえず、イザベラさんの来日は白紙ということになりました」
「まあ、白紙なの、それはそれは……」
「まことに残念です」
お互い顔を伏せて残念がる。だって、顔を見たらお互い笑い出すの分かってるからね。
「殿下」
部屋に戻る廊下でソフィーが呼び止める。
「なに?」
振り返ると、ポーカーフェイスのまま、胸元にカードを掲げている。
「ん?」
名刺大のそれに顔を寄せると、ソフィーもズイッと突き出す。
「え、免許とったの!?」
それは、日本の免許証とは、ちょっと異なる国際免許だ。
コクンと一回だけ頷く、わがガーディアン。
「ソフィアって(思わずキチンと呼んでしまう。普段は相性のソフィーなのにね)18歳だったの!?」
学校では同じクラスなので、てっきり同い年かと思っていた。
「女性に年齢を聞いてはいけません」
「アハハ、そうなんだけど、わたしの周囲って謎の人物多すぎ」
いつのまに取ったんだろう? たぶん、こないだまでの学年閉鎖の間に違いない。
「二日遅れですが、中秋の名月見に行きましょう!」
ソフィーもサッチャー女史の来日が流れてアグレッシブになっているようだ(^_^;)
たとえ中秋の名月でも、月は月でどこから見ても同じなんだろうけど、やっぱ、領事館の庭よりは、日本建築のほうがいい。
「やあ、いらっしゃい!」
墨染めの衣で出迎えてくれるテイ兄さん。
本堂の縁側におしるしのお団子のほか、女子会には欠かせないスイーツのアレコレを並べて、微妙に欠けている満月を愛でる。
「キチンとお月見するなんて初めてです!」
一番感激しているのは、文芸部の最年少の夏目銀之助少年。
「これで、マスクかけなくていいんなら、文句なしなんですけどね」
情緒を大事にする留美ちゃんは、ちょっとだけ残念そう。
「せやけど、お寺やから、ソーシャルディスタンスはバッチリでしょ!」
「そうだね」
一般家庭だったら、まだ正式には緊急事態宣言も解除されていないので無理だったろうね。
「行楽地も、あちこち人出でいっぱいだったらしいから、こういうのっていいんじゃないかなあ」
詩さんも縁に後ろ手突いてしみじみしている。この、中学と高校の先輩である詩さんは、年ごとに綺麗になっていく。
月を見上げる横顔の顎から喉元にかけての線が、とってもいい。
さくらは、さくらなりの……えと……魅力があるんだけど、この従姉女史の美しさは格別だ。
「なに見とれてるんですか?」
う、さくらは目ざとい。
「月よ、月」
「ほんとうに月がきれいですねえ……!」
感極まった感じで、横に座った銀之助が呟く。
ちょっと返事に困る。
「ぎ、銀之助少年、それは、口説き文句やぞ!」
テイ兄さんが、言わずもがなを叫ぶ。
「え、え、あ、あ、そんなんじゃないんです(;゚Д゚#)!」
純情な中坊が、空気をかき回すように手を振ってアタフタ。
初めて運転を許されたソフィーも明るく笑っている。
あのサッチャー女史がいたら目を剥いて怒っていただろうね。
鬱々とした毎日だけど、今年は、いいお月見ができた。
めでたしめでたし(^▽^)