大橋むつおのブログ

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乃木坂学院高校演劇部物語・105『仰げば尊し』

2020-01-23 05:47:25 | はるか 真田山学院高校演劇部物語
まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・105   



『仰げば尊し』


 話しは戻るけど、三月十日は乃木坂さんがいなかった。

 三月十日は東京大空襲の日。乃木坂さんの命日でもあるし、大事なあの人、マサカドさんと言おうか、三水偏の彼女と言おうか、その大切な人の命日でもあったんだもんね。
 乃木坂さん自身の平気な顔は――それには触れないでほしい――という意思表示だと思ってわたしたちも、聞かないことにした、やっぱ成長したでしょ。

 潤香先輩は、ロケの疲れで二日ほど寝込んでいたけど、梅の花が満開になったころから、時々稽古を覗きにきてくれるようになっていた。

 そして……それは、桜の蕾が膨らみ始め、新入生たちの教科書や制服やらの引き渡しの日に起こった。
 稽古場の同窓会館にいても、新入生たちの満開のさんざめきが聞こえてくる。
 その日は、理事長先生と潤香先輩が稽古場でいっしょになり、乃木坂さんは、バルコニー近くで、静かに、しかし厳しい目で稽古を見ていた。
 
 クライマックスのシーンで、それは起こった。
 
 都ばあちゃんが、地上げ屋の三太にも三人の子供たちにも見放され、一人お茶をすするうちに突然脚と腰に走る痛み。遠く聞こえる若き日のなつかしの歌。
 
 埴生の宿も わ~が宿 玉の装い羨まじ……♪
 
 都ばあちゃんの最後が迫る。登場人物がみんな……といっても都ばあちゃんを入れて三人だけど、「埴生の宿」の合唱になる。都ばあちゃんは最後の力をふりしぼって、最後の一節を唄う。
「……楽しとも……頼もしや……🎵」

 そこで、見えてしまった。乃木坂さんの体が透けてきているのを……。

「乃木坂さん!」
 おきてを破って叫んでしまった。一瞬乃木坂さんは「だめじゃないか」という顔になり、そして……気がついた。
 自分にその時がやってきたことを……。
「あ、あなたは……」
 潤香先輩にも見えてしまったみたい。
「水島君……」
 理事長先生は、驚きもせずに、静かに、そして淋しそうに乃木坂さんの本名を呼んだ。
「高山先生……先生は、ご存じだったんですか」
「三月の頭ごろからね……この歳になるととぼけることだけは上手くなるよ。本当は、イキイキとした君の姿を見られて、とても嬉しかったんだ」
「……僕の役割は、もう終わっていたんですよ……それが、この子達と居ることが楽しくて、嬉しくて……つい長居をしすぎたようです」
「わたしを助けてくれたの……あなた……あなた、なんでしょ?」
 潤香先輩が、ささやくように言った。
「君は、こんなことで死んじゃいけない人だもの……僕は、昔、助けたくても助けられなかった人がいる。自分の命と引き替えにすることさえ出来なかった……みんな、最後は、こう思ったんだ。自分は死んでも構わない。その代わり、他の誰かを生かして欲しい……親を、子を、孫を、妻を、夫を、教え子を、愛しい人を一人だけでも……みんな、そう思って、身も心まで焼き尽くされて死んでいったんだ」
 わたしは、カバンから、あの写真を取りだした。
「この人だったんでしょ。乃木坂さん……水島さんが守りたかったのは、苗字の上の字が三水偏の女学生。ねえ水島さん」
「……そうだよ。あの時は、他の仲間に申し訳なくて言えなかった。今、ここに居る仲間は喜んで許してくれる。その子は、十二高女の池島潤子さん。潤子の潤は……」
「わたしと同じ……?」
「そう……不思議な縁だね」
「潤いを人に与える良い名前だよ」
「水島さん。下のお名前も教えてください。わたし一生、あなたのことを忘れません」
「それは、勘弁してくれたまえ。僕たちは『戦没者の霊』で一括りにされているんだ。こうやって、君達と話が出来ることだけでも、とても贅沢で恵まれたことなんだよ。苗字を知ってもらったことだけで十分過ぎるんだよ。高山先生、こんな何十年も前の生徒の苗字、覚えていただいていて有難うございました」
「もう歳なんで下の名前は……忘れてしまった。でもね、僕は時々思うんだよ……この歳まで生かされてきたのは、君達の人生を頂いたからじゃないかと」
「先生……」
「だとしたら、そうだとしたら、僕はそれに相応しい……相応しい仕事ができたんだろうか」
 水島さんは、仲間の承諾を得るようにまわりを見渡し、ニッコリとした笑顔で大きくうなづいた。
「ありがとう、水島君。ありがとう、みなさん」
 空気が暖かくなってきたような気がした。水島さんの体がいっそう透けてきた。

「それじゃ……」

 と、水島さんが言いかけたとき、バルコニーの外の桜がいっせいに満開になった。最初、水島さんに会ったときの何倍も、花吹雪は、壁やガラスも素通しで談話室に入ってくる。
 気づくと、壁に紅白の幕。理事長先生の後ろには金屏風、日の丸と校旗も下がっている。
「これは……」
 と言ったのは、水島さん。わたしは思った、ここにいる大勢の水島さんの仲間がはなむけにやった演出だ。
「ありがとう、みんな……先生、最後に一つだけお願いがあります」
「なんだい、僕に出来ることなら……」
「『仰げば尊し』を唄わせてください。僕は唄えずに死んでしまいましたから、最後にこれを……」
「では、僕たちは『蛍の光』で送らせてくれたまえ」
「僕には、もう、そこまで時間が残っていません」
 水島さんの手足は、消え始めていた。
「じゃ、じゃあ、みんなで唄おう!」
 理事長先生は、ピアノに向かった。  

――仰げば尊し我が師の恩 教えの庭にも早幾年(はやいくとせ) 思えば いと疾し この年月 今こそ別れめ……いざ さらば――

「さらば」のところでは、もう水島さんの声は聞こえなかった。そして、桜も金屏風も紅白幕も、日の丸も消えてしまった。

 でも、校旗だけがくすんで残っていた。

 いえ……最初からあったんだけど、だれも気がつかなかった。何ヶ月もここを使っていながら。
 そして……悔しかった。わたしたちだれも『仰げば尊し』を完全には唄えなかった。ちゃんと水島さんを送ってあげられなかった……わたし達は、この歌を教えてもらったことがない。
 でも、歌の心は分かった。
 それを忘れるところまでわたし達のDNAは壊れてはいなかった。その心が少しでも水島さんに届いていればと願った。

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