くノ一その一今のうち
すごい圧だ。
ジープで疾走しているのだから、当然風圧はあるけど、風圧なんかじゃない。
なにか、とんでもない事態が起こりそうな、歴史の歯車が大きく動き出しそうな、そんな圧だ。
アデリヤ王女とサマル王子を引き連れて、A国に潜入している桔梗さんとミッヒのところに行けば道は開ける。
高原の国王女とB国の王子が先頭に立って、どんなカタチであるかは分からないけど、A国の国王と政府に迫れば切り開ける道がある。ここから先は中忍である桔梗とミッヒの仕事、あるいは指令に従えば良いと思っていた。
それでは済まない、そんな圧を全身に感じる。
忍者は手足、考えてはいけない。
まして、わたしは下忍だ。下忍は、手足ですらない、指一本、いや、指の先かもしれない。
いざという時には、本体を救うために手足が犠牲になることもある。まして指の先、判断なんかしてはいけない。
でも、お祖母ちゃんは言った。
あれは、日暮里の駅を降りて内職の真田紐を納めにいく途中だった。
「火傷をしそうなとき、とっさに手をひっこめるだろ。あれは手足が勝手に判断してるんだ」
「え、そうなの?」
「脳みそに判断を仰いでいたら間に合わないときは、そうするようにできている」
「そうなんだ」
「それからね……」
微妙な間に、思わずお祖母ちゃんの顔を覗き込む。
その時、足の裏がゾワっとして、小さく横に飛んだ。
見ると、犬のウンコ。
あやうく踏んでしまうところだった。
「いま、何をした?」
「え、ウンコ踏みそうになったから、避けた」
「目で見たかい?」
「え……えと、なんとなく感じて、横に跳んだ」
「足が感じたんだよ。で、足は、咄嗟に全身の筋肉に警報を発して跳んだんだ。跳ぶっていうのは全身運動だからね、足一本だけでできる技じゃない」
「う、うん……」
「いまの東京、めったに犬のウンコなんて落ちてやしないけど、そのめったにないことに対処しなくちゃならないことが世の中にはある。憶えておきな」
あの時のことを思い出した。
「サマル殿下、あの灌木の群れのとこで停めてください」
「お、おう」
キーー
「なにかあるのか、ノッチ?」
アデリヤが友だち言葉で見上げる。
「一分だけ待って」
返事は木の上からした。
――えいちゃん、30メートルほど上がって下りてこれる?――
――後ろ45度の角度で投げてください。20秒観察して、ここに戻ってきます――
――見える範囲でいい、草原の国の気配を掴めるだけ掴んで――
――了解――
セイ!
風は高原の国からの吹きおろしている。えいちゃんは、W字型に広がると20秒間空中に留まって、灌木の5メートルほど先に下りてきた。
――すみません、少しズレました――
――ううん、上出来だ。で、どうだった?――
――A国の向こう、C国とD国の境目をすごい数の軍用車両が……A国の王都目がけて突き進んでいます!――
C国D国の向こうは草原の国だ。
事態はA国B国をどうにかするレベルを超えて、動き始めている。
埼玉県が足立区・葛飾区をシカトして、台東区・荒川区を蹂躙しながら都心に攻め寄せてくるようなもんだ。
なんの成算もないが、わたしは足の裏として、ウンコを避ける。
避けるだけではなく、避けた先の草原の国の横っ面に回し蹴りをかけるつもりになっていた。
☆彡 主な登場人物
- 風間 その 高校三年生 世襲名・そのいち
- 風間 その子 風間そのの祖母(下忍)
- 百地三太夫 百地芸能事務所社長(上忍) 社員=力持ち・嫁持ち・金持ち
- 鈴木 まあや アイドル女優 豊臣家の末裔鈴木家の姫
- 忍冬堂 百地と関係の深い古本屋 おやじとおばちゃん
- 徳川社長 徳川物産社長 等々力百人同心頭の末裔
- 服部課長代理 服部半三(中忍) 脚本家・三村紘一
- 十五代目猿飛佐助 もう一つの豊臣家末裔、木下家に仕える忍者
- 多田さん 照明技師で猿飛佐助の手下
- 杵間さん 帝国キネマ撮影所所長
- えいちゃん 長瀬映子 帝国キネマでの付き人兼助手
- 豊臣秀長 豊国神社に祀られている秀吉の弟
- ミッヒ(ミヒャエル) ドイツのランツクネヒト(傭兵)
- アデリヤ 高原の国第一王女
- サマル B国皇太子 アデリヤの従兄